晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

浅田次郎 『壬生義士伝』

2012-05-19 | 日本人作家 あ
小説をたくさん読んでいると、中に「早く結末を知りたい、でもこの文中の
世界にまだまだ浸っていたい」というくらいのめり込んでしまう作品と出会え
ることがありますが、久しぶりに来ました、浅田次郎の『壬生義士伝』。

江戸末期、大坂の南部藩蔵屋敷に、ボロボロになった侍が訪ねてきます。
なんと、新撰組の生き残りで、この時期、南部藩は薩長側につくか幕府側
につくか決めかねていて、中立の立場という状態で新撰組が南部藩の屋敷
にくるとは何事かと訝ります。

そのうち、その侍は、かつて南部藩の足軽で、脱藩したのちに新撰組に
入った、吉村貫一郎と名乗るのです。
そして、表が騒がしいと出てきたのは、蔵屋敷差配役、大野次郎右衛門。
吉村は、かつて南部藩にいたときに、大野の組付足軽という身分で、いわ
ばかつての上司と部下。

妻子を故郷に残しての脱藩とはよほどのこと、ここで満身創痍のかつて
の部下が恥をしのんで帰ってきたとなれば、武士の情で助けてあげる、と
思いきや、大野は「この恥知らずが、切腹しろ」と無情な一言。

とはいえ、せっかくなので、南部藩の蔵屋敷の一部屋を貸してやる、さらに
大野家家宝の刀も貸してやるから、それで腹ば切れ・・・

じつはこの二人、子供のころには同じく身分の低い侍で、寺子屋で武芸に
励んだ親友だったのですが、次郎右衛門は大野家に養子として入ることに
なるのです。

かつての親友、そして上司と部下の間柄の貫一郎になんという酷い仕打ち、
南部時代の吉村を知る人たちも大野様の非情さに驚きます。

ここから、命を絶つまでの貫一郎の回想と、生前の吉村貫一郎を知る人へ
のインタビューという形式が、交互に描かれていきます。

まずは、大政奉還から明治という新しい時代になって数十年が経過した
居酒屋のオヤジへのインタビュー。
このオヤジ、じつは新撰組の生き残りで、なんやかやでこのオヤジのこと
を聞きつけた人たちが訪ねてきたりするのですが、局長の近藤勇、鬼副長の
土方、沖田といった、のちに講談話で「活躍」する隊員について聞きたい
のがほとんどなのに、このインタビュアーは、吉村貫一郎について教えて
くれ、というのです。

たいして有名人でもない吉村について、何を知りたいのか。吉村といえば、
剣の腕は立ち、「人斬り貫一」と恐れられるも、なにかにつけて金、金、金
で、まわりからは「守銭奴」と罵られます。
しかし、彼は、妻と幼子を残して脱藩してきて、家族に送金するために、
たとえ小馬鹿にされようが、嫌な仕事、危険な仕事も率先してやるのです。

そんな吉村を尊敬する人もいれば、忌み嫌う人もいます。

そして、彼をさらに深く知る人たちにインタビューは続くのですが、彼が
なぜ愛する故郷、そして大切にしていた家族を捨てて新撰組に入ることに
なったのか、攘夷、勤皇、佐幕といったスローガンがごちゃごちゃ出てきますが、
いったい何が正義なのか、武士として生まれて武士として死ぬには・・・

文庫で読んだのですが、下巻のはじめあたりから、それこそ堰を切ったように
涙があふれてきました。
そこから、吉村のエピソードを新しく知るたびにまた涙、あげくには、ここは
たいして感動するところではないというような、南部訛りが出てくるだけで
ホロホロ。
そして、序盤では血も涙もない男として描かれた大野次郎右衛門についても
描かれていますが、こちらもまた感涙。

ちなみに、吉村が京都にいたこの時代に起きた大事件と言えば坂本龍馬の暗殺。
これについて、犯人というか首謀者は、新撰組、京都見廻組、あるいは薩長の
手の者、諸説ありますが、ここでは「ほう、あの人が」という人にしてます。

「本を読む」という趣味を持つことができて、この本に出会えて心の底から
良かった、と思わせてくれる作品です。


コメント
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