晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

ジョン・バーンズ 『エビータ』

2012-02-09 | 海外作家 ハ
その国で、実政権を握った夫のほうよりも、その夫人のほうが
有名になった、という話は古今東西(日本では・・・?)多く
ありますが、中でもこの「エビータ」は、ミュージカルや映画
の影響もあるのでしょうが、夫で元アルゼンチン大統領のペロン
よりも有名であることは間違いないでしょう。

そんなエビータの生涯、それからエビータの死後のペロンのノン
フィクションです。

本名、旧姓マリア・エバ・イバルグレンは、首都ブエノスアイレス
から西に100マイル以上のところにある寂れた、ちょっと強い風
が吹けば壊れそうな家に生まれ、母は、愛人生活をして、生計を
立てていたそうです。
その当時の暮らしぶりを、エビータは後年、世の中の不公平にショ
ックを覚えたと書いています。
中学生のときにエバは、学芸会で端役を与えられたのですが、それ
がきっかけで彼女は女優を目指すようになります。が、当時の彼女
を知る人の証言は、いつもおとなしく、目立たない、あまりパッと
しない女の子、まあ平たくいうとキレイではなかったようです。
それからエバは地元に巡業に来た歌手といっしょにブエノスアイレス
へ着いて行ってしまうのです。

さて、ブエノスアイレスに着いた彼女ですが、すでに首都にいた兄
(後年エバが大統領夫人になったときに大出世した)に助けてもらい
ながらもスターを夢見ていたそうですが、とても惨めな生活をして
いたようです。
ようやく舞台の端役をもらえるようになり、生活もそれなりに楽に
なってきたそうですが、当時の女優は、夜にちょっとしたバイト(
お金持ちの男性とお付き合い)もしていて、エバがそうしていたか
どうかは定かではありませんが、ある日、大金を持っていたことも
あったりしたとか。

そんなこんなでエバはラジオドラマに出演、そこそこ名前も売れて、
彼女は当時の逓信大臣の愛人になります。逓信大臣といえばラジオの
放送許可を出す所管であり、エバの給料は大幅アップ。
このときに軍事クーデターがあって政権が交代し、とあるチャリティー
イベントがあり、そこでエバはハンサムな若き将校、フワン・ドミンゴ・
ペロンと運命の出会いをはたします。

いくども政変が起こり、全国の労働組合を味方につけたペロンは大統領
に就任することに。この組合員を味方につけたのはエバの功績が大きく、
大統領夫人となってからは、それまでの低賃金に苦しむ労働者の給料
アップ、休暇の取得、女性の参政権などの地位向上、地方に公共施設
(学校、図書館、病院など)を建設するなど、大多数の貧しい国民のため
に奔走。
しかし一方では、自分を悪くいう富裕層、新聞などには容赦ない攻撃を
するなど、だいぶ恨みも買ったりしています。

ペロンが「軍事独裁政権」となっていることが多いようですが、彼は
大統領に就任すると同時に大佐の職を辞任、大統領在籍時に軍部とは
揉め事もあったりして、軍事政権ではなかったこと、それから「独裁」
ですが、確かにペロン政権時は(エビータのせいでもあったわけですが)
新聞や雑誌では大統領批判は許されず言論の自由は無く、逮捕、拘禁
などは日常茶飯事だったそうですが、”一応”は、民主的に選挙によって
当選したのです。

エビータは33歳の若さで死亡したのですが、その際、死体がアルゼンチン
国内から消えます。亡骸は長旅を経て、なんとイタリアにあり、しかも別名
で埋められていたとのこと。

本を読み終えて、ミュージカル「エビータ」の有名な曲「アルゼンチンよ、
泣かないで(Don't cry for me Argentina)」を聴きたくなってしまい、
ネットで探して視聴。
それにしてもアンドリュー・ロイド・ウェバーはほんとうに天才ですね。

コメント
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