ここ数年夏の年中行事として休日に靖国神社に参拝しています。15日はうるさいのでそこは避けて今年は1週間後の昨日に行ってきました。直射日光もまぶしく照り返しも暑い一日でしたが、境内は既に静かであり、二拝二拍手の時も神様の前で一人でお参りできました。
参拝後は遊就館で名物の海軍カレーをゼロ戦を見ながら食べて、帰りはのんびりと神田神保町の方に回ってジャズの中古CD店や古本街を散策し、三省堂などに寄って秋葉原に寄って帰宅します。暑い一日でしたが、適宜冷房の効いた店舗に入ってクールダウンするので熱中症になることもなく快適に半日歩けた上、なかなか良い買い物もできました。
靖国神社は三十歳台まではあまり興味もありませんでしたし、左翼系のネガティブキャンペーンもあって足が向くことはなかったのですが、中韓が政治問題化してからは日本の戦没者を自分たちの利益のために政治問題化するあざとさに却って反発を覚えて感謝の意を込めてお参りする事にしました。
昨日は入り口近くで「何とかの会」の有志の人達がテントを張って寄付を募ったりしていました。その一人が「靖国神社は日本国の英霊が祭られた神社です、皆さんお参りをして感謝の心を捧げましょう」といったことをマイクで放送していたのですが、「言っている事は間違いではないが、そういうことは大声で言うものではない」と感じました。「場の雰囲気と違う」という違和感を強く感じたからです。よほど注意しようか、とも思ったのですが私は変な左翼ではないし、炎天下で頭に血が上っている人に思いが上手く伝わる自信もなかったのでスルーしました。
靖国に祭られた戦没者の多くはそれぞれの大事な生活もあったであろう時に当時の日本の時流に逆らえず止むなく戦場に行き、倒れた人が多かったと思っています。職業軍人であっても優秀な軍人ほど太平洋戦争については愚かな戦いであったことは実感していたはずです。「自分は人生を犠牲にしてしまうけれど、それが無駄死にではなく、将来の日本に少しでもプラスになってくれれば良い。戦死すれば靖国に祭られることになっているから、未来の日本人が無駄死にではありませんでしたとお参りに来てくれるだろう。」と考えて犠牲になった人達が沢山いたと思います。
私の父も一橋大学在学中に学徒出陣で中国戦線に送られた一人で、よく学徒出陣の記録映画に出てくる丸めがねの一人は父ではないかと感じてしまうのですが、「招集直前まで英語の授業があった」というほどの大学だったので「ばかな戦争を始めたものだ」と友人と話していたそうです。父は戦死はしなかったのですが、主計少尉として任官中に肺結核になり内地に送還されて療養所で終戦を迎えました。療養が長引いたので、結局終戦後は学歴を活かすこともできず(息子が言うのも僭越ですが)能力から見れば不遇な人生を送る事になりました。父は三十年以上前に他界していますが、父以上に人生を狂わされた多くの戦没者達に感謝の心で静かにお参りしたい、という所で言わずもがなのマイク放送は邪魔以外の何ものでもないと感じたのです。それぞれの気持ちで静かにお参りをする分には、特攻服だろうが軍服だろうがかまわないのですが他の人を邪魔してはいけません。
近くに千鳥ケ淵戦没者墓苑という施設があります。こちらはまだ行っていないのですが、軍人だけでなく民間人も含めて戦争で犠牲になった人の行き場のない遺骨が納められているそうです。靖国神社の代わりにこちらを推奨する人もいますが、こちらは墓苑であって遺骨の納められた墓なので私は意味が違うように感じています。靖国参拝を批難する人が毎年欠かさずこちらを参詣しているのならばそれも見識なので良い事だと思いますが、大抵批難はするけどどちらにも行かない人達ばかりなので犠牲になった人達は浮かばれないことになります。
九段下の駅を出た所でどのような組織か解りませんが「台湾独立を、チベットウイグルへの弾圧反対」を訴えるビラを一人静かに配っている人がいました。帰りにも同様に配っていたので誰に邪魔されることもなく活動できていたようですが、このような活動ができているうちは日本は自由な国なのだと感じました。
参拝後は遊就館で名物の海軍カレーをゼロ戦を見ながら食べて、帰りはのんびりと神田神保町の方に回ってジャズの中古CD店や古本街を散策し、三省堂などに寄って秋葉原に寄って帰宅します。暑い一日でしたが、適宜冷房の効いた店舗に入ってクールダウンするので熱中症になることもなく快適に半日歩けた上、なかなか良い買い物もできました。
靖国神社は三十歳台まではあまり興味もありませんでしたし、左翼系のネガティブキャンペーンもあって足が向くことはなかったのですが、中韓が政治問題化してからは日本の戦没者を自分たちの利益のために政治問題化するあざとさに却って反発を覚えて感謝の意を込めてお参りする事にしました。
昨日は入り口近くで「何とかの会」の有志の人達がテントを張って寄付を募ったりしていました。その一人が「靖国神社は日本国の英霊が祭られた神社です、皆さんお参りをして感謝の心を捧げましょう」といったことをマイクで放送していたのですが、「言っている事は間違いではないが、そういうことは大声で言うものではない」と感じました。「場の雰囲気と違う」という違和感を強く感じたからです。よほど注意しようか、とも思ったのですが私は変な左翼ではないし、炎天下で頭に血が上っている人に思いが上手く伝わる自信もなかったのでスルーしました。
靖国に祭られた戦没者の多くはそれぞれの大事な生活もあったであろう時に当時の日本の時流に逆らえず止むなく戦場に行き、倒れた人が多かったと思っています。職業軍人であっても優秀な軍人ほど太平洋戦争については愚かな戦いであったことは実感していたはずです。「自分は人生を犠牲にしてしまうけれど、それが無駄死にではなく、将来の日本に少しでもプラスになってくれれば良い。戦死すれば靖国に祭られることになっているから、未来の日本人が無駄死にではありませんでしたとお参りに来てくれるだろう。」と考えて犠牲になった人達が沢山いたと思います。
私の父も一橋大学在学中に学徒出陣で中国戦線に送られた一人で、よく学徒出陣の記録映画に出てくる丸めがねの一人は父ではないかと感じてしまうのですが、「招集直前まで英語の授業があった」というほどの大学だったので「ばかな戦争を始めたものだ」と友人と話していたそうです。父は戦死はしなかったのですが、主計少尉として任官中に肺結核になり内地に送還されて療養所で終戦を迎えました。療養が長引いたので、結局終戦後は学歴を活かすこともできず(息子が言うのも僭越ですが)能力から見れば不遇な人生を送る事になりました。父は三十年以上前に他界していますが、父以上に人生を狂わされた多くの戦没者達に感謝の心で静かにお参りしたい、という所で言わずもがなのマイク放送は邪魔以外の何ものでもないと感じたのです。それぞれの気持ちで静かにお参りをする分には、特攻服だろうが軍服だろうがかまわないのですが他の人を邪魔してはいけません。
近くに千鳥ケ淵戦没者墓苑という施設があります。こちらはまだ行っていないのですが、軍人だけでなく民間人も含めて戦争で犠牲になった人の行き場のない遺骨が納められているそうです。靖国神社の代わりにこちらを推奨する人もいますが、こちらは墓苑であって遺骨の納められた墓なので私は意味が違うように感じています。靖国参拝を批難する人が毎年欠かさずこちらを参詣しているのならばそれも見識なので良い事だと思いますが、大抵批難はするけどどちらにも行かない人達ばかりなので犠牲になった人達は浮かばれないことになります。
九段下の駅を出た所でどのような組織か解りませんが「台湾独立を、チベットウイグルへの弾圧反対」を訴えるビラを一人静かに配っている人がいました。帰りにも同様に配っていたので誰に邪魔されることもなく活動できていたようですが、このような活動ができているうちは日本は自由な国なのだと感じました。