今日はおもいつくままの音楽雑感です。音楽の好き嫌いは十人十色で、どれでなければいけないという物はないし、その人にとって良いものは良いということになるのでしょうが、世の中に名盤や名演奏と評価されるものがある以上、やはり良い音楽には多くの人が良いと認める何かがあるのだと思います。
私は学生時代はクラシックばかり聞いていたのですが、医者になって忙しくなるにつれてクラシックを聞く余裕がなくなり、次第にジャズに魅かれるようになりました。たまに若い頃聞いていたクラシックを聞き直すと改めて「良いなあ」と感動することもあります。
ジャズにも名盤と呼ばれるものがあるのですが、私はどうもジャズについては人が良いという演奏が必ずしもぴんと来ない事があります。恐らく演奏家によってジャズは同じ曲でも全く違う印象になってしまうほど広がりを見せるから個人的な好みもかなり人によって異なるのだろうと思います。ジャズはオリジナルと呼ばれる演奏家独自の作曲も良い場合はあるのですが、私はどうもスタンダードと呼ばれる多くの演奏家が既にものしている曲の方が好きで、スタンダードをいかにアレンジするかで演奏家の良さや実力が出るように思っています。
実際に音が無い所では説明しがたいものがありますが、最近聞いた中ではトランペッターのThomas MarriottのTones for Johan’s BonesはオリジナルのChick Coreaの演奏よりも明るく現代的でこのような曲想にできるのかと思わせる演奏でした。一方で47年の映画からスタンダードになった On Green Dolphin Streetは多くの人が演奏していますが、他の曲に比べて名演奏が多いように思います。Bill Evansを始め、私としてはMcCoy Tynerや日本の辛島文雄が絢爛豪華な広がりを見せる痺れるほど良い演奏をしています。
数あるジャズ演奏のなかでどのように気に入ったものを探すかというと、最近ではインターネットラジオを活用しています。iTunesにあるラジオのradioio jazzなどをコンピューターで仕事をしながら聞いて、気に入った曲がかかったときに演奏者や曲名をチェックしてそのままiTunes storeで検索することが多いです。iTunesにとっては良いお客さんだと思います。
クラシックについて言うと、私はこの曲はこの演奏でないとだめかな、という好き嫌いがあります。例えばマーラーの9番はCarlo Maria GiuliniのChicago交響楽団でないと聞く気にならない、ホルストの惑星はZubin MehtaのLos Angeles交響楽団といった定番ができてしまって、試しに他のレコードを買って見たりもしたのですが「ちょっと違うなあ」と思ってしまい聞かなくなってしまいます。ジャズと違ってクラシックの場合、気に入ったレコード(今はCD)は諳んじられるほど聞くのでなおさら他の演奏を受け付けなくなるのかも知れません。ちなみに死を意識しながら作曲したと言われるマーラー9番の第一楽章は世の中で最も美しい交響曲という評判もあるようで、私も貴公子然とした風貌のジャケットであるGiuliniの9番第一楽章はクラシックの中でも最高だと思っています。
ジャズとクラシックはGershwinの楽曲のように始めから融合しているものもありますが、ジャズの演奏家がクラシックを演奏したり、逆になったりということがよくあります。全て楽器は練習するときにクラシックの曲をやるのでもともと親和性があるのでしょうが、どうもクラシックが否でジャズに行くというのでなく、ジャズが好きだからそちらに行ったプレイヤーが多いらしく、名演奏家ほどクラシックも演奏したいという欲望があるようです。
私はFazil Sayというトルコ生まれの若いピアニストに注目しているのですが、彼はクラシックもジャズも手がけるようです。ようですというのはジャズについては私は聞いた事がないからで、クラシックについては(Lisztのピアノソナタなど聞くと)超絶技巧のピアニストでありながらTchaikovskyのピアノ協奏曲やGershwinのRhapsody in Blueなど聞くと「あれ、こんなフレーズもあったかな」というような展開をクラシックで見せてくれてクラシックの新しい楽しみ方を知るように思いました。
私は楽譜も読めませんし(メロディを出せない)、音楽が好きだというだけでしっかりと勉強をしたこともありませんが、高校生の娘は小中の吹奏楽部でトランペットをやり、高校でオーボエを練習して先生にも付いたりして演奏会で賞を取ったりしています。自分が出来なかった夢を託しているようでもあり、羨ましくもありですが、親というものは多かれ少なかれそのようなものなのだろうと最近思います。自分の両親もきっと私に果たせなかった夢を託した部分があったのだろうと思います。親に羨ましがられる子供は親孝行ということでしょうかね。
私は学生時代はクラシックばかり聞いていたのですが、医者になって忙しくなるにつれてクラシックを聞く余裕がなくなり、次第にジャズに魅かれるようになりました。たまに若い頃聞いていたクラシックを聞き直すと改めて「良いなあ」と感動することもあります。
ジャズにも名盤と呼ばれるものがあるのですが、私はどうもジャズについては人が良いという演奏が必ずしもぴんと来ない事があります。恐らく演奏家によってジャズは同じ曲でも全く違う印象になってしまうほど広がりを見せるから個人的な好みもかなり人によって異なるのだろうと思います。ジャズはオリジナルと呼ばれる演奏家独自の作曲も良い場合はあるのですが、私はどうもスタンダードと呼ばれる多くの演奏家が既にものしている曲の方が好きで、スタンダードをいかにアレンジするかで演奏家の良さや実力が出るように思っています。
実際に音が無い所では説明しがたいものがありますが、最近聞いた中ではトランペッターのThomas MarriottのTones for Johan’s BonesはオリジナルのChick Coreaの演奏よりも明るく現代的でこのような曲想にできるのかと思わせる演奏でした。一方で47年の映画からスタンダードになった On Green Dolphin Streetは多くの人が演奏していますが、他の曲に比べて名演奏が多いように思います。Bill Evansを始め、私としてはMcCoy Tynerや日本の辛島文雄が絢爛豪華な広がりを見せる痺れるほど良い演奏をしています。
数あるジャズ演奏のなかでどのように気に入ったものを探すかというと、最近ではインターネットラジオを活用しています。iTunesにあるラジオのradioio jazzなどをコンピューターで仕事をしながら聞いて、気に入った曲がかかったときに演奏者や曲名をチェックしてそのままiTunes storeで検索することが多いです。iTunesにとっては良いお客さんだと思います。
クラシックについて言うと、私はこの曲はこの演奏でないとだめかな、という好き嫌いがあります。例えばマーラーの9番はCarlo Maria GiuliniのChicago交響楽団でないと聞く気にならない、ホルストの惑星はZubin MehtaのLos Angeles交響楽団といった定番ができてしまって、試しに他のレコードを買って見たりもしたのですが「ちょっと違うなあ」と思ってしまい聞かなくなってしまいます。ジャズと違ってクラシックの場合、気に入ったレコード(今はCD)は諳んじられるほど聞くのでなおさら他の演奏を受け付けなくなるのかも知れません。ちなみに死を意識しながら作曲したと言われるマーラー9番の第一楽章は世の中で最も美しい交響曲という評判もあるようで、私も貴公子然とした風貌のジャケットであるGiuliniの9番第一楽章はクラシックの中でも最高だと思っています。
ジャズとクラシックはGershwinの楽曲のように始めから融合しているものもありますが、ジャズの演奏家がクラシックを演奏したり、逆になったりということがよくあります。全て楽器は練習するときにクラシックの曲をやるのでもともと親和性があるのでしょうが、どうもクラシックが否でジャズに行くというのでなく、ジャズが好きだからそちらに行ったプレイヤーが多いらしく、名演奏家ほどクラシックも演奏したいという欲望があるようです。
私はFazil Sayというトルコ生まれの若いピアニストに注目しているのですが、彼はクラシックもジャズも手がけるようです。ようですというのはジャズについては私は聞いた事がないからで、クラシックについては(Lisztのピアノソナタなど聞くと)超絶技巧のピアニストでありながらTchaikovskyのピアノ協奏曲やGershwinのRhapsody in Blueなど聞くと「あれ、こんなフレーズもあったかな」というような展開をクラシックで見せてくれてクラシックの新しい楽しみ方を知るように思いました。
私は楽譜も読めませんし(メロディを出せない)、音楽が好きだというだけでしっかりと勉強をしたこともありませんが、高校生の娘は小中の吹奏楽部でトランペットをやり、高校でオーボエを練習して先生にも付いたりして演奏会で賞を取ったりしています。自分が出来なかった夢を託しているようでもあり、羨ましくもありですが、親というものは多かれ少なかれそのようなものなのだろうと最近思います。自分の両親もきっと私に果たせなかった夢を託した部分があったのだろうと思います。親に羨ましがられる子供は親孝行ということでしょうかね。