rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

日本における平等とは「不幸の均霑」か

2009-02-11 17:52:14 | 社会
格差という言葉がメディアなどで多用されるようになったのは2005年からであるという(http://diamond.jp/series/kajii/10011/ダイアモンドオンライン梶井厚志氏のコラム)。物事の量や質に違いがあることを「差」と現せばすむことを敢えて「格差」と表現することは、本来同類であって差があってはならないものに「差」があることを批判する意味が含まれているということです。80年代後半からのバブルの時代には思いきり儲けている人達と公務員など決まった収入の人達との「収入差」は莫大であったにも係わらず当時は「格差」という表現は殆ど使用されず、不景気が長期化して公務員や正社員などの収入の安定している人とそうでない人との差が固定化するに至って「格差」という言葉が多用されるようになったようです。

マスコミが不景気の時代に格差を強調することの適否は別として、日本においては戦後、機会の平等よりも結果の平等が重視されてきたことは普段から感ずるところだと思われます。一生懸命働くか否かに係わらず儲かる人とそうでもない人がいるバブルの時は「格差」は気にならないけれど、一所懸命働いても報われない人がいる不景気の時代は本来同じ結果が得られるべきだとして「格差」と言う言葉が多用されることになるのかも知れません。

「不幸の均霑(きんてん)」という言葉は、桃山学院大教授の高田理恵子氏が著書「学歴・社会・軍隊」(08年中公新書)の中で、拙ブログでも紹介した岩波新書「満州事変から日中戦争へ」の著者である加藤陽子氏が他書籍の中で旧日本軍の平等性を現すことばとして使っている、として紹介していたもので、元々良いものを分け与える均霑という言葉を悪いことを平等に味わう、悪い方に合わせるという意味で「不幸の均霑」と表現したものです。なかなか上手い表現だなと思います。高田氏の「学歴・社会・軍隊」は戦前の日本社会の平等性が出自に係わらず階級で上下が決められた軍隊と、成績が良ければ誰でも上級学校に進めた「学歴」に求めて、二つの平等社会が戦争末期の学徒出陣によって混在するに至った時に、軍内では学歴の劣る上級者が高学歴の下級者に辛く当たったという現象について「きけわだつみの声」を柱に分析するという興味深い内容です。

出自にかかわらず優秀ならば士官になれたということは明治期の日本において国民国家形成上重要なことであり、日露戦争において貴族しか士官になれなかったロシア軍との「軍全体」としての戦力の決定的な違いとなった因子でもあります。第一次大戦まではアメリカを除く西欧諸国の軍隊は原則的に全て貴族と平民で階級が分かれていて、国をあげての戦争にエスカレートするにつれて「無名戦士の墓」といった階級にかかわらない「国民」を強調したイメージが大切にされるようになります(油井大三郎・なぜ戦争観は衝突するか岩波現代文庫07年)。日本における平等主義が機会でなく結果の平等を求めるものである、というのは戦後の左翼的均等主義を反映したものではなく、戦前から日本にあった考え方かも知れません。もともと逃げ場のない島国ですから、一部の人間だけが豊かになることを潔しとせず、身分の格付けを「士農工商」とした上で「士」は質素倹約に勤めて生活における「格差」を少なくしようと心がけたことが日本社会を争いなく治める工夫であったのだろうと思います。

昨今破綻したユダヤ金融のような「儲かるものは上限なくいくら儲けても良い」という日本人からは単に浅ましいとしか思えない連中も「論理的に正しいことは倫理的にも正しい」というレシオの考え方からは批難される覚えのないことなのでしょうが、島国で争わずに工夫して生きてきた日本人のDNAにはなじまないものです。そう考えると「状況の悪い方に皆で合わせよう」という「不幸の均霑」というのは「良い方に合わせること」が物理的に不可能である時には社会における争いをなくす良い方法であるとも言えます。

マスコミが問題にする「格差社会」の解決すべき方法というのが「不幸の均霑」に求めるべきか、「良い方に合わせる」ようにすべきか、政治家もマスコミもどうも明言を避けているように思われます。「良い方に合わせる」がベターに決まっているのですが、それを実現する具体的な方法を誰も示せないのですから「不幸の均霑」でも良いのではないかという雰囲気作りを無意識の内に日本社会は行っているのではないかと思われてなりません。
コメント (2)
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