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rakitarouのきままな日常

人間の虐待で隻眼になったrakitarouの名を借りて人間界のモヤモヤを語ります。

むさぼる人ふたたび

2012-06-06 23:26:41 | 社会

2009年11月の拙ブログ「患者さんはお客様という発想は市場原理主義者の妄言である」に「仕事ができるのに社会から施しを受ける人」を「むさぼる人」という名称で紹介しました。その一節を引用します。

 

(引用はじめ)

宮城谷昌光氏の小説「月下の彦士」に「人から与えられるばかりで、与える事をしないことを、むさぼると申します。むさぼった者はなべて終わりが良くない。」という心に残る一節があります。自分で一生懸命働き、或いは人の世話をすることで社会に奉仕をしてきた人は人から奉仕されることに素直に感謝の気持ちを表わします。休日に病院で働いていると「先生もお休みの日に大変ですね。」などと自然に声をかけてくれる方もいて「ああ、この人は解っているな。」と思います。患者さんでも、各種サービスにおいても「むさぼる」状態の人ほど「勝手とも言える一方的な要求」をするものです。我々は患者さんのプライバシーもある程度知り得る立場にあるのでより一層解ってしまうのですが、本当に「むさぼった者は終わりが良くない。」です。

(引用終わり)

 

今、生活保護を「不正に」受給している人について世間で問題になっています。病気などで誰が見ても仕事ができない状態、家族が支えられない状態にあって社会のセーフティネットとして正しく生活保護制度が活用されている分には何の問題もありませんが、仕事をする能力があったり、家族が裕福であるのに生活保護を平気で受けている人達がいること、しかもそういった人達が増加していることは大きな問題と言えます。

生活保護受給者が医療を受けると無料になりますが、ひと月後位に「医療の必要性」について役所に提出する書類が診察をした医師の下にまわってきます。私は「医療の要否」についてはありのまま記入しますが、同じ書類の「労働の可否」の欄には医学的に就労可能な場合は明確に「就労可能」と書くようにしています。そう書いた所でその患者さんが次に来たとき生活保護が取り消されていることはないのですが、生活保護認定の見直しを定期的にしっかり行なうようになればこのような問題はかなり解決されるかと思われます。そのためにはそれに係わる役所の人員増加が必要というジレンマに陥ることにもなりますが。

今回の問題でもう一つ感ずるのは、不正受給をしている人達は「(うまい事やりやがって)狡い」という印象を批難している側が醸し出していることです。これは少し違うのではないか、を私は思います。日本の社会は伝統として「働いて社会に貢献すること」を美徳であり、人としてあるべき事として重んじてきました。「居候は三杯目にはそっと出す」よう社会貢献していない事は自らも恥と考えるものであるし、武士でも農家でも家督を継がない次男三男は自ら養子に行くなどして生活の道を切り開いて行く事が当然とされてきました。それをしない者を「田分け(家督を分ける者)」と呼んで蔑んできた伝統があります(友人のH君から教わった)。これは古い伝統を持つヨーロッパの社会でも同様と思われます(2012年2月デンマークの高福祉社会について述べた<大きな政府と国民の矜持>参照)。

自ら額に汗して働かず、他人が働いて得た収入を収奪して是とする考えは主に二十世紀後半の米国、裁判社会と金融立国を是とする幼稚な米国社会を中心に出てきた発想であって、それが最近日本にも波及してきているように私は思います。人から与えられるばかりの「むさぼる生活」というのは実に充実感のない不幸な人生ですし、社会から必要とされない、と感ずることほど虚しいものはありません。勿論人はひとりでは生きてゆけないのですから、どこかで他人の世話になり、またどこかでオーバーアチーブメントをすることで人の役に立って社会を支えることで自分も社会の一員として暮らしてゆくものであることは前に述べた通りと思います。だから人から与えられるばかりの生活を「ずるい(ある種うらやましい)」とは普通思わないのではないでしょうか。

人の性格や能力は正規分布を示すものだと私は考えます。試験をすると平均点を中心によくできる人からできない人まできれいな山形の人数分布がかけるのが普通です。体育の能力、人の良さ、働く能力などどの因子を調べても多数の人を対象にすれば優秀な人からそうでない人まで山形の正規分布を示すでしょう。大事なのはそれぞれの人が全ての因子で同じ分布位置にいるのではなくて、体育では上位2%の優秀な所にいても絵を描く能力では下位5%のあたりにいるなど全部が駄目、全部が良いということはないということです。「生活保護不正受給を恥と考える度合い」も多数の人を対象とすれば正規分布を示すように思います。恥と考えない下位5—10%の人はチャンスがあれば不正受給をするでしょう。そのような人はどんなチェック体制にしてもすり抜けて不正受給をしてしまうように思います。このような人は社会性がないのですから、金に困れば平気で盗みをしたり反社会的行為をしたりするものです。だから私はこのような人への生活保護不正受給というのは社会をある程度平穏に維持するための「捨て銭」だろうと考えています。いずれにしてもこのような「むさぼる人」は終わりが良くない、幸福な人生を終えることはありません。だから羨ましいなどとも全く思いません。

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