rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

演繹法による西洋医学の限界

2012-06-13 23:58:12 | 医療

看護学校の専門授業の一部として「演繹法による西洋医学の限界」と題するミニレクチャーをしたので備忘録として記します。

 

真実を追及する方法として、経験によって得られた知識を積み重ねることでAならばBになるという法則を見つける方法を「帰納法」と言います。一方、まず前提、仮説を立ててそれを論理的に検討することで結論を得る方法を「演繹法」と言います。皆さん感覚的に判ると思いますが、東洋医学・漢方というのは中国三千年の歴史の中で経験的に積み上げられた知識を基に構築された医学であってこれは帰納法によるものです。従って東洋医学の体系で新しい発見というのは年数を積み重ねないと出てきません。

 

西洋医学というのは科学・サイエンスに基づく考え方で構築されていて、サイエンス自体が演繹法で成り立っているので西洋医学の考え方も演繹法で組み立てられています。つまり生物は器官からなり、器官は組織からなり、組織は細胞が集まってできていて、細胞の構造は核や細胞質内器官、細胞膜などから成り立っている。従ってそれぞれの病気はこの構造のどこかが異常を来す事から生じるのであって、その異常を正すことが病気の治療になる、という考え方です。これらは突き詰めると原子や陽子の反応にまで遡って自然科学の体系と矛盾しないように論理付けされています。

 

西洋医学は自然科学に裏打ちされた非の打ち所がない医学の様に感じてしまいますが、実は自然科学自体が必ずしも「絶対に誤りがない」とは言えないという事実を知っていれば、西洋医学も全て正しいとは限らないという限界が理解できると思います。それは演繹法の根本となる前提や仮説が誤りであれば、途中の論理展開がいくら正しくても得られた結論は誤りになってしまうからです。

 

今忘れかけられていた「オウム真理教」の逃走信者が逮捕されたりして話題になっています。10数年前のサリン事件当時、かなり優秀な知能を持った人達が何故こぞってオウムの信者になってしまったのかという問題で、「ハルマゲドンが来る」という教義の前提がおかしいのにそこに疑問を持たなかったために、途中の精緻な論理展開が正しかったためにサリンを撒いて「ポアされてよかった」という間違った結論の誤りに気付かなかったのだろう、という考察があります(私の説ですが)。薬剤や洗脳的なトランス状態で前提に疑問を持てなかった「自然科学的思考に慣れた理系人間」が途中の論理展開が正しかったために得られた結論に全く疑問を持たずに種々の事件を起こしてしまったのではないかということです。

 

演繹法の良い所は新しい前提となる事実が発見されるとそれを応用して新しい治療法がすぐに確立される所にあります。例えば10数年前に発見されたサイトカインに対してその阻害物質が発明されて既に臨床応用されて大きな効果をあげているものが沢山あります。帰納法に基づいていたらこのようなことはありえません。一方で新しい事実の発見で今まで医学的真実とされていたものが否定されてしまうこともよく起ります。例えば昔は尿路結石の患者さんはカルシウムを制限しないといけないと言われて、乳製品を控えることが推奨されていましたが、現在ではカルシウムの適度な摂取は腸内で余分な蓚酸と結合して排泄させることにも役立つのでむしろバランス良く種々の食品を食べることが推奨されていて唯一推奨されるのは水分摂取を多くする事であることなどがあげられます。だから西洋医学では看護士さんであっても常に新しい事実や発見を勉強しつづけないといけない、ということが判ると思います。

 

前回西洋医学では急性期疾患は治癒できるけれど、慢性疾患は症状をごまかすことしかできないので急性期疾患が合併症として将来起ってくることを予防する予防医療にシフトしてきている、という話しをしました。この西洋医学では治らない慢性疾患とか、進行してしまって緩和医療しかできない進行癌に対して、・・・を使えば手遅れになった癌が治る、とかずっと悩まされてきた病気が・・・ですっかり良くなった、という怪しげな似非医療が世の中にはびこっています。皆さんが医療従事者として似非医療か信頼できる医療かを他の人から相談された時、似非医療であることを見分けるには「・・を使って治った」といった経験則、限られた帰納法的アプローチしか述べられていなければ100%似非医療と断定してかまいません。ちゃんと西洋医学の疾患定義を示して、それが具体的にどのように改善されたのか、科学的・論理的に説明されているものならば信用して良いかも知れません。例えば「癌は細胞の無秩序な増殖」と定義されますから、癌細胞自体が消失するか、増殖がコントロールされたということが科学的に証明されなければ似非医療であることになります。

 

—以上—

 

実際にはもう少し平易に話したつもりですが、けっこう興味を持ってきいてくれました。看護学生さんといっても高卒の初々しい女子達に混ざって国立大学を卒業した学士さんや修士終了の理系男子などもいて、多彩な内容で話しをした方が興味を持って聴いてくれます。短い泌尿器科の講義の中で癌の話しや男性機能障害(ED)、男性更年期、性同一化障害と女装趣味・男色の違いなど種々の話しをします。

 

サイエンスが演繹法に基づいていることから思う事ですが、経済学者達が経済を分析する際、前提や仮説として設定する条件が限られているミクロ経済学の分野では「経済学」の学問通りに現実が対応するように思うのですが、あまりにも多くの因子が絡み合い、また人それぞれの金銭欲も異なることから前提を設定しきれないマクロ経済は経済学者の言う通りになっていない、と感じます。私はこれが演繹法に基づく経済学の限界だろう、と思います。だけど経済学者はなかなかそれを認めないばかりか、「理論通りにゆかないのは現実の方が間違っているのだ」的な事を言いだす者までいて「ああ、経済学者はマルクス経済の時と同様で現実を受け入れる柔軟さがない石頭が多いのだな」と感じてしまいます。

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