日本、長寿世界一を維持 WHOの世界保健統計
【ジュネーブ21日共同】世界保健機関(WHO)は21日、2009年版の「世界保健統計」を発表、07年の平均寿命が世界で1番長いのは日本の83歳で、前年までに続いて首位の座を維持した。
男女別では、日本の女性の平均寿命が86歳で世界一。男性ではイタリア中部にある内陸国サンマリノの81歳が世界一で、日本はスウェーデンなどとともに、80歳のアイスランドに続き3位の79歳だった。
世界全体の平均寿命は71歳で、最も平均寿命が短かったのは西アフリカ・シエラレオネの41歳。長寿国としてはスイスやイタリア、オーストラリアなどが82歳とされ、日本に続いた。
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平均寿命が一番長いということは0歳の子供の平均余命が世界一長いということです。高齢者の平均余命はその年齢以下の人達の死亡リスクを考えない分平均寿命より少し長くなります。「今の若い人は現在のお年よりのように長生きできない」などと言う人もいますが、昭和生まれも80台になり、日々の診療でやはり高齢者が増加している(中年の死亡は特に増えていない)ことを実感しますので、今の若年者も長生きするように思います。平均寿命が長いということの意味は1)乳幼児死亡が少ない、2)政治経済が安定していて戦争や飢餓がない、3)医療や保健衛生が充実していて疾病による若年の死亡が少ない、ということを意味しています。
考えて見るとこの3点は有史以来人類の夢として掲げられてきた目標といえるものです。日本が世界一の長寿国であると報道されたならばメディアは特集を組んでその意味を解説し、この人類の目標とも言うべき状態を今後も永久に維持するためにどうするべきか話し合うべきです。
百年に一度の不景気とか、日本の社会は住みにくいとか軽々しく論じられていますが、暴動が各地で起こるでもなし、あちこち道端で餓死者が倒れているでもなし、我々は戦後高度経済成長の「末広がり」の時代を基準にして現在を比較するから閉塞感や希望がない感じを覚えるだけで、本当は今そこにある幸福にもっと目を向けてそれを評価し大事にしてゆくべきではないでしょうか。
ジャーナリズムの真価は「批判力」でなく「分析力」なのですが、日本のジャーナリズムは批判だけ(それも批判しやすい所の)していれば良いと勘違いしているようで、なるほどと思わせる分析力を示してくれることは希有です。政府に対しても良い所は大いに評価して悪い所について対案や改善案を示すのがジャーナリズムの責務なのですが、殆ど「人の揚げ足取り」程度の報道しかする能力がない。揚げ句は官庁の記者クラブの大本営発表しかできない。
かつて日本の教育は世界に誇る高レベルだったのですが、脅威を感じた諸外国から指令を受けたのかどうか知りませんが、マスコミ主導で校内暴力の原因は高レベルの教育のせいだとされ、教員は徹底的に批判されて言葉以外の指導は禁止、教育内容は「ゆとりと自主性」というレベルダウンを強制されました。円周率を3と教えることで全員が授業を理解できて校内暴力もなくなるなどという「でたらめ」がまかり通ってきました。
大蔵省や通産省が支配力を持っていると日本の会社を米国の投資銀行が買えない、ということからかノーパンシャブシャブを始めとして日本の高級官僚の一斉攻撃が行われ、順に警察も攻撃の対象になりました。さすがに官僚は攻撃をかわし続けているようにも見えますが、日本の会社は米国に随分食い物にされてしまいました。
成長しつづける日本の医療費を米国への市場開放によって吸い上げるために日本の医療の信頼を失墜させよ、という指令の下2000年からマスコミの医療批判キャンペーンが始まり、既に「市場開放しなくてよい」とされたにも係わらず医療批判をやりすぎたために今や「医療崩壊」などという90年代までは想像もしなかった事態がおこりつつあります。
良い所は良いと評価し良い点が永続するように努力し、改善するべき点は対案を出して変化させることの利点欠点を考慮して世の中は変えてゆくべきであり、その道しるべとなるのがマスコミの責務です。しかし現実のマスコミは日本の良い所を破壊してより悪い方向に持ってゆこうとしているように見えます。
始めにあげた2番目の「戦争と飢饉がない」ことは国家社会にとって非常に重要なことで「国民の幸せの基本」とも言える事ですが、くれぐれもこれを壊す方向にマスコミは誘導しないでほしいものです。
【ジュネーブ21日共同】世界保健機関(WHO)は21日、2009年版の「世界保健統計」を発表、07年の平均寿命が世界で1番長いのは日本の83歳で、前年までに続いて首位の座を維持した。
男女別では、日本の女性の平均寿命が86歳で世界一。男性ではイタリア中部にある内陸国サンマリノの81歳が世界一で、日本はスウェーデンなどとともに、80歳のアイスランドに続き3位の79歳だった。
世界全体の平均寿命は71歳で、最も平均寿命が短かったのは西アフリカ・シエラレオネの41歳。長寿国としてはスイスやイタリア、オーストラリアなどが82歳とされ、日本に続いた。
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平均寿命が一番長いということは0歳の子供の平均余命が世界一長いということです。高齢者の平均余命はその年齢以下の人達の死亡リスクを考えない分平均寿命より少し長くなります。「今の若い人は現在のお年よりのように長生きできない」などと言う人もいますが、昭和生まれも80台になり、日々の診療でやはり高齢者が増加している(中年の死亡は特に増えていない)ことを実感しますので、今の若年者も長生きするように思います。平均寿命が長いということの意味は1)乳幼児死亡が少ない、2)政治経済が安定していて戦争や飢餓がない、3)医療や保健衛生が充実していて疾病による若年の死亡が少ない、ということを意味しています。
考えて見るとこの3点は有史以来人類の夢として掲げられてきた目標といえるものです。日本が世界一の長寿国であると報道されたならばメディアは特集を組んでその意味を解説し、この人類の目標とも言うべき状態を今後も永久に維持するためにどうするべきか話し合うべきです。
百年に一度の不景気とか、日本の社会は住みにくいとか軽々しく論じられていますが、暴動が各地で起こるでもなし、あちこち道端で餓死者が倒れているでもなし、我々は戦後高度経済成長の「末広がり」の時代を基準にして現在を比較するから閉塞感や希望がない感じを覚えるだけで、本当は今そこにある幸福にもっと目を向けてそれを評価し大事にしてゆくべきではないでしょうか。
ジャーナリズムの真価は「批判力」でなく「分析力」なのですが、日本のジャーナリズムは批判だけ(それも批判しやすい所の)していれば良いと勘違いしているようで、なるほどと思わせる分析力を示してくれることは希有です。政府に対しても良い所は大いに評価して悪い所について対案や改善案を示すのがジャーナリズムの責務なのですが、殆ど「人の揚げ足取り」程度の報道しかする能力がない。揚げ句は官庁の記者クラブの大本営発表しかできない。
かつて日本の教育は世界に誇る高レベルだったのですが、脅威を感じた諸外国から指令を受けたのかどうか知りませんが、マスコミ主導で校内暴力の原因は高レベルの教育のせいだとされ、教員は徹底的に批判されて言葉以外の指導は禁止、教育内容は「ゆとりと自主性」というレベルダウンを強制されました。円周率を3と教えることで全員が授業を理解できて校内暴力もなくなるなどという「でたらめ」がまかり通ってきました。
大蔵省や通産省が支配力を持っていると日本の会社を米国の投資銀行が買えない、ということからかノーパンシャブシャブを始めとして日本の高級官僚の一斉攻撃が行われ、順に警察も攻撃の対象になりました。さすがに官僚は攻撃をかわし続けているようにも見えますが、日本の会社は米国に随分食い物にされてしまいました。
成長しつづける日本の医療費を米国への市場開放によって吸い上げるために日本の医療の信頼を失墜させよ、という指令の下2000年からマスコミの医療批判キャンペーンが始まり、既に「市場開放しなくてよい」とされたにも係わらず医療批判をやりすぎたために今や「医療崩壊」などという90年代までは想像もしなかった事態がおこりつつあります。
良い所は良いと評価し良い点が永続するように努力し、改善するべき点は対案を出して変化させることの利点欠点を考慮して世の中は変えてゆくべきであり、その道しるべとなるのがマスコミの責務です。しかし現実のマスコミは日本の良い所を破壊してより悪い方向に持ってゆこうとしているように見えます。
始めにあげた2番目の「戦争と飢饉がない」ことは国家社会にとって非常に重要なことで「国民の幸せの基本」とも言える事ですが、くれぐれもこれを壊す方向にマスコミは誘導しないでほしいものです。