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rakitarouのきままな日常

人間の虐待で隻眼になったrakitarouの名を借りて人間界のモヤモヤを語ります。

書評 愛国の作法

2014-07-24 15:16:44 | 書評

「愛国の作法」 姜 尚中 著 朝日新書001 2006年刊

 

8年前の第一次安倍政権の際に書かれた著作であり、「愛国」という右翼的な響きの持つ言葉のイメージに惑わされずに「国を愛する」とはどのような心構えであるべきか、を在日2世である著者の視点から論考したものです。実は私も「愛国の作法」というような題名のエッセイを書きたいと思っていた所、完全にかぶった題名の本があった(勿論姜氏の方が専売特許)のでこれは読まねばと購入した次第。以下自分の思っていた「愛国の作法」に比較して、姜氏の著作の1)共感できるところ、2)共感できないところ、3)物足りないと思う所、の3点に分けて書評としてまとめてみたいと思います。

 

1)      共感できるところ

○   特定の政権や組織が作った方針に沿って行動することが愛国ではない。

「愛国心に基づく行動」を特定の集団が自分達の利益のために作った、「愛国の衣をまとった体の良い暴力的な政策」を遂行させる使い走りにされぬよう自分でよく考える必要があります。それは現在戦争が行われているウクライナにも中東にも当てはまる事柄です。

 

○   愛国には迷いや対立があってはならないなどと言う事はない、それぞれの愛国のありようがあってよい(盲目的な愛国というのはありえない)。

100人100様の愛国があって良い、ただし本心からの売国は良くない。自分と意見が違い、一見他国を利するように見えてもその人なりのしっかりした考えがあっての事であれば理解してもよいと思う。例えば日露戦争の時に明石元二郎から資金援助をもらって帝政ロシアを倒した共産主義者達は日露戦争では敗戦を導いたから「売国奴」と批難されるかも知れないが、その後の強大なソ連の形成に貢献した事からは愛国とも言えるはず。

 

○   国家には単なる郷土とは異なる意味合いや意義が存在する。

国家は国民の自由を奪い、時には生命をも害する権力を持っている。それは国民が豊かな社会生活を送る方便として権利の一部を国家に移譲した結果ではあるが、単なる郷土や故郷といった概念とは異なるというのはもっともな理屈だと思う。

 

○   それぞれの人が信ずる大義を自国に尽くすことが愛国ではないか。

丸山眞男の「忠誠と反逆」でも述べられていた「大義への忠誠」という事が「真の愛国」につながるという思想は共感できると思う。

 

2)      共感できないところ

○   郷土愛の同心円的拡大が愛国になることはないという意見。

一民族一国家は一つの理想であり、米国のように「憲法を国の柱」とする国家もあるし、アフリカや中東のような他国の都合で線引きされてできた国家もある。しかし日本の一民族一国家を僥倖とすることはあっても悪い事であるかのごとく敢えて否定する必要はないと思う。それはひねくれである。第二次大戦以降国家の数は増加し続けている。それは一民族一国家の理想を追求している結果であることを筆者は考えていない。他民族多文化を良しとする国家があっても勿論よいけれど、現状ではうまくいっていないのである。しかしイスラム教のような一宗教一国家的な発想が今後強くなる可能性はあるとは思いますが。

 

○   自分以外の愛国の論考を全て「右翼小児病」的な盲目的愛国という型にはめて批難しているところ。

自分と相容れない意見や考え方の人を自分が批判しやすいステレオタイプの型にはめ込んで「レッテル張り」をした上で滔々と批判を述べるやり方を右翼も左翼も得意とします。批判されている方は自分とかけ離れた人格や思想について相手が批難しているだけなので痛くも痒くもないのですが、時間の無駄というか非建設的なやりとりに嫌気がさしてこのような批難しかできない人を「知性の限界」として相手にしなくなる、という繰り返しをネット上でも現実社会でも経験してきました。勿論自分自身が人にレッテルを張って批難するような陥穽に陥らないように気をつけてはいますが、建設的な討論ができる社会というのは極めてレベルの高い社会であると思いますし、そのような社会を目指してゆきたいと思います。

 

○   著者は最終的に韓国人としての国籍を選び、外国人として日本の愛国を論じているのに、韓国を始めとする諸外国の愛国事情について論考がなく、ひたすら倫理的善悪に基づく判定を日本の愛国に対して行っている点。

最後の章に種明かしの如く自分の立ち位置が書かれているのは何だかなあという感じで、それならもっと広い視野で世界の愛国について論考して欲しかったです。

 

3)      物足りないところ(論考がないところ)

○   国民国家における愛国とグローバリズム世界における愛国の違い。

20世紀的な国民国家における愛国は比較的理解しやすいのですが、グローバリズム的拝金主義資本主義の社会においては、国民国家的な愛国心がそのまま通用しなくなってきています。米国の軍人は米国の国益のためにイラクやアフガンで命をかけてイスラム教徒と戦いますが、得をするのは本社がタックスヘイブンにあり、国家に税金を払わないグローバル企業であり、米国は1%の金持ちと99%の奴隷的貧民社会に別れ、国家の借金ばかりが増加して行くという現実。真の愛国(自国民全てが豊かで幸せに暮らせるための国益の増進)を考える時、グローバリズムの促進は矛盾する結果にしかならない。

交易の原則は「互恵、平等、無差別」という浜矩子氏の主張の通りで、この原則に沿わない貿易協定は一切拒否するのが真の愛国であると確信します。また国家に税金を払わない企業は売国企業として国際社会から排除する国際的な協定こそ作るべきでしょう。

 

○   イスラム世界における「ジハード」と愛国の相克。

丸山眞男の「忠誠と反逆」に述べられているように、一神教においては忠誠を誓う相手は「神」であって、国家が神の教えに反するならばそれを倒すことが大義に基づく忠誠になるのであって、神の教えに忠実な国家であるならば愛国を貫けばよいのだと考えられます。現在のイスラム国家は特定の部族を王とする国家が多く、特定の人達の利害のみが国益につながっている場合が多いのが現実です。だから国民は愛国心などという概念はもともと持っていないと考えるのが妥当ではないかと思います。

 

○   国家資本主義における愛国の立ち位置。

中国、ロシアや一部中東の国で盛んになっている国家資本主義(国家社会主義ナチズムと実態は変わらないという意見も)は、グローバル企業を中心とする資本主義よりも愛国を前面に出しやすいように感じます。これは重要な論点と思われ、現在イアン・ブレマーの「自由市場の終焉」(国家資本主義とどう闘うか)などを読んでいますのでいずれ論考します。

 

という事で、自分が「愛国の作法」を書くとすれば、1)を取り入れ、2)の内容は却下し、3)について新たに論考を加えた内容になるだろうと思われます。

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人権よりも市場原理を優先させる米国の法制度紹介

2014-05-15 19:41:03 | 書評

堤 未果 氏の「貧困大国アメリカ」シリーズの3作目は(株)貧困大国アメリカ 2013年 刊 岩波新書 1430 ですが、全編に渡って現在の「人権よりも市場原理を優先」させるに至った米国のしくみを適確にまとめているので、通常の書評ではなく、ここに紹介された米国の法制度について備忘録として箇条書きにまとめてみました。

 

○ SNAP (Supplemental Nutrition Assistance Program)

貧しい人達のために食料品を現物給付できたFood stamp制度に変わって2008年から登場したクレジットカードで週29ドルまで食料品を買える制度。受給者は全人口の14%を超え、年間予算は750億ドルに達する状態だが、ウオルマートなどのスーパーやクレジット会社の大きな収入源になるため政府は受給者拡大を促進している風がある。食品の4大小売業者(ウオルマート、クローガー、コストコ、ターゲット)にも得点。

 

○      レーガン政権による独占禁止法の規制緩和

食肉業界などの寡占化を促進し、中小の独立した企業が消滅。大企業のスケールメリットを生かした安くて豊富な商品展開が可能になった反面生産者は奴隷的労働を強いられる状況になっている。

 

○      レーガン政権によるHACCP (Hazard Analysis Critical Control Point) 規準の規制緩和

食品の製造過程における安全審査規準を緩和し、企業側に審査を任せることで安く早く食品を商品化することを可能にした処置。4大食品生産業者(タイソンフーズ、クラフトフーズ、ゼネラルミルズ、ディーンフーズ)にとって有利な状況を作り出した。

 

○      反内部告発者法(HR0126)

アメリカ州議会交流評議会(ALEC)によって複数の州で可決された不法な工場や家畜施設などの内部を撮影し、告発しようとしても企業秘密漏洩罪として罪に問えるとする法律。悪い事はやった者勝ちという法律。

 

○      オーガニック食品生産法 (Organic Foods Production Act)

1990年から2000年にかけて形成されたオーガニック食品について認証する規準を定めたものだが、申請規準が複雑で巨大メーカーでないと認証されにくい結果となり、良心的な中小の企業の経営を圧迫する結果になっている。

 

○      モンサント保護法 (HR993-735)

2013年3月成立、遺伝子組み換え作物で消費者の健康や環境に被害が出ても、因果関係が証明されない限り、司法が種子の販売や植栽停止をさせることは不可とする。というもので遺伝子組み換え作物普及にフリーハンドの許可を与えたに等しい法案。「何が起きてもおとがめなし(どうせ因果関係の証明はできないし、認めないと宣言)」というお墨付きを与えた法案。

 

○      食品安全近代化法 (S501=FSMA)

2011年11月成立、バイオテロ防止という名目でFDAが定める食品の全てについて、栽培、売買、輸送する権利を政府が規制するというもの。大企業の行う大規模農法のレシピに沿わない中小の農業を許可を出さないという方法で駆逐するために利用されている。

 

○      落ちこぼれゼロ法 (No Child Left Behind Act)

ブッシュ政権が導入した学校同士で成績を競い合わせて、成績の悪い学校には補助を出さないという法律。底辺の学校を破綻させて替わりに営利学校(Charter school)が導入されるきっかけとなっている。

 

○      非常事態管理法

2011年にミシガン州で成立した州法で、破産に瀕した自治体の財政立て直しのために州が指名した危機管理人が住民の意思にかかわらず自由に公共サービスの停止や公務員の解雇を行って良いとする法律。公立学校の廃止や警察や消防の統合化で住民サービスは悪化している。

 

○      労働権法 (Right to work)

2012年から州毎に導入されている労働組合への加入と支払いの義務を廃止する法律で、雇う側(資本家側)が一方的に有利になるから企業が誘致しやすく、雇用も増えるという理屈。南部を中心に半数以上の州で導入済み。

 

○      正当防衛法 (Stand Your Ground Law)

2005年にフロリダ州で成立したもの。身の危険を感じたら公共の場でも殺傷力のある武器の使用が認められ、場所が自宅や車内であれば傷害致死であっても罪に問われることはない。正当防衛の立証責任も被害者側のみに義務づけられる、というもの。相手が有色人種やイスラムならば「殺した者勝ち」といえる。

 

○      テキサス刑務所産業法 (Texas Prison Industries act)

1993年に成立。刑務所労働への企業参入を許可する法律。獄産複合体の成立に貢献。

 

○      市民連合判決 (Citizens United)

2010年1月合衆国最高裁が「企業による選挙広告費の制限は言論の自由に反するから上限を設けない」という裁定を出したもの。企業献金の上限撤廃を意味し、政治・政府が大企業の都合に合わせて行われることを合法化したものと解釈される。企業は米国籍を問われず、日本のトヨタやサウジアラビアのアラムコなどグローバル企業が自由に献金して米国の政治に口出しできるようになった。州法成立を助けるアメリカ州議会交流評議会(ALEC)の企業会員として活動することで州議会において自企業に有利な法律を作ることができる。

 

同書ではこのような近年成立し、「民主主義や人権よりも市場原理主義を優先する」法律が紹介され、「市場原理主義に乗っ取られた病める米国の姿」が浮き彫りにされます。米国とTPPを結ぶということは、このような法制度がグローバルな常識として日本にも強要され、日本社会がかき回されることを覚悟しないといけないという点で、紹介する意味は十分にあると思われます。私が留学していた1990年前半ならばまだ「このままニューヨークに住んでいるのも良いかな」と思えましたが、今の米国の姿はとても住みたい国ではありません。「理不尽でも合法ならば正義」とする社会にあなたは耐えられるでしょうか。

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書評 「一神教と国家」

2014-03-06 19:21:07 | 書評

書評 「一神教と国家」 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教 内田樹 中田考 対談 集英社新書0725C 2014年刊

 

神戸女学院大名誉教授の内田樹氏と同志社大神学部元教授でイスラム教徒の中田考氏の主に「イスラム教とグローバリズム」についての対談集で、対談形式のため非常に読みやすい体裁になっています。

 

始めに内田氏が自身の立ち位置について語っていますが、内田氏は米国を中心とする拝金主義経済グローバリズムに反対であり、国民国家や地域の特性をもっと尊重した社会のあり方が人々を幸福な生活に導くのではないかと考えています。また現在の経済グローバリズムはイスラム社会をグローバリズム(に基づく民主主義)の敵と見なしていることについて、何故そうなるかをイスラム教に基づく社会のあり方を中田氏に問うという形で対談が進んで行きます。だからキリスト教やユダヤ教について詳しく語られることはなく、それらについては他書である程度アウトラインを知っておいた方が理解しやすいかも知れません。

 

面白いのはイスラム教に基づく社会こそが本来は国境がないグローバルな社会であって、そこに西欧社会から押し付けられた国家が立ちはだかることによって本来あるべきイスラム社会が毀損されているという中田氏の説明です。イスラム社会ではイスラム教を信じているか否かのみが問題であって、人種や国籍は問われない。イスラム教は遊牧民の宗教であって土地を境界で仕切る国家のあり方は向かないと言います。また食料の自給にも拘らず、「交易」を何より大切にする点で、国民国家が経済グローバリズムに対して農業を危機管理上完全解放したがらないことには反対の立場を取ります。

 

この「遊牧民」対「土着民(農耕民族)」の対立が「インディアン対開拓民」の場面でも「イスラム対経済グローバリズム」においても根源的な相容れない対立点であるという説明はなるほどと納得できる気がします。最近は縄文時代にも農耕が行われていたと言われていますが、縄文対弥生の変化もこの対立があったのかと言う歴史的感慨があります。

 

この「ノマド」対「土着」というのは次に論考しようかと思っている欧州における最近の民族主義右翼の台頭などにも通じるかなり重要なテーマではないかと感じています。一方的に排外主義的な「ネオナチ」は倫理的悪であると上から目線で決めつける論調が多いのですが、何故そういった思想が多くの人達を惹き付けているか、また本当にそれが「倫理的悪」と決めつける事で皆が幸せになるのかの納得の行く説明がなく、極めて土着的な存在である日本人が偉そうに論評していることに違和感が私にはあります。

 

中田氏はイスラム社会を現在の仲間内で闘争を続けている状態を治めて本来の平和的な宗教社会を築くには1924年に廃止になった「カリフ制」を復活する他にない、として日本からカリフ制再興の運動をしています。詳しくは本書を読んでいただくとして現在内部でも闘争が絶えず、対外的にも資本主義社会から危険視されているイスラム社会が、実は将来世界を拝金主義経済グローバリズムの「帝国」から救う手だてになるのではないか、という論考はつかみ所のない「ネグリ&ハート」の「マルチチュード論」よりも具体性があるように私は感じました。

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書評 集団的自衛権とは何か

2014-01-09 00:18:56 | 書評

書評 集団的自衛権とは何か 豊下 楢彦 著 岩波新書1081 2007年 刊

 

国際政治論、外交史を専門とする関西学院大学法学部教授であった著者が第一次安倍内閣の時代に戦後体制からの脱却を提唱し、改憲や集団的自衛権の容認に動こうとした安倍政権の危うさを日本国憲法の法律学的検討、外交史的考察から検討したもので、現在の第二次安倍内閣が目指している対外的な政治も第一次の時と同じであることから本書の内容は時宜を得たものになっています。

 

集団的自衛権を論ずる場合、1)日本国内において同盟国である米国の軍隊が攻撃されている場合自衛隊はどのように対処するか、2)PKO活動中に国外で友軍が攻撃されている場合にどう対処するか、3)北朝鮮から日本を飛び越えて米本国にミサイルが飛んで行く時にそれを撃ち落とせるか、4)米軍がどこかで戦争をしている時に同盟国軍として一緒に戦争に参加するか、といった場合に分けて検討されます。1)は多くの日本人は国内であるから一緒に戦う、2)は場合によって目の前で攻撃を受けていたら助けるけど遠方まで出かけてまで戦うべきではない、3)4)は不可、という答えが多いのではないかと思います。1)から4)まで全てOKという人もいるでしょう(法解釈上は集団的自衛権を認めるなら全て合法だから)。また厳密に全てが不可という意見も集団的自衛権を認めないという立場からは合理的であると言えます。朝鮮戦争やベトナム戦争では、日本の米軍基地から戦場に向かっていた訳で、日本国内は攻撃対象にはなっていませんでしたが、戦術上は日本の米軍基地を空爆したりミサイル攻撃したりすることもあり得たはずです。米軍基地を爆撃するために飛来した北朝鮮空軍機を日本の自衛隊機が迎撃すればそれは北朝鮮と戦争をしていることになります。

 

本書ではその前半において1970年代から「国際法上は日本国にも集団的自衛権は認められているが、日本国憲法においてはその使用は認められない」とした政府解釈について歴史的背景を含めて詳しく解説しています。米国は日本を軍事的に無力化することを戦後政策の柱として日本国憲法を策定したのですが、冷戦及びその後の湾岸・中東戦争、或いは中国・台湾・朝鮮における周辺事態に対して、米軍と共に戦うことを日本に求めるようになりました。しかし日本は「憲法上できない」と頑に拒否してきたわけで、それならばできるように「改憲」しましょうというのが歴代自民党(の改憲派)の意見だったのです。結果的には米国の都合で押し付けられた憲法を米国の都合で改憲しようということであり、あくまで意思の主体は常に米国にあるとも言えます。

 

私は前半についてはある程度既視感のある内容だと感じたのですが、後半「第4章 自立幻想と日本の防衛」あたりから著者の国際政治・外交史の豊富な知識を元にした「そもそも米国の外交政策が場当たり的で、日本の国益と常に合致している訳でもないのに集団的自衛権における敵の共通項を米国に求めることは不合理だ」という検討に非常に惹かれるものがありました。米国は「敵の敵は味方」という安易で場当たり的政策を取る事が多いために、例えば911では不倶戴天の敵であるはずのアルカイダがソ連のアフガン侵攻、アラブの春でのリビア、シリア内戦では味方になっていたりします。英国は常に米国に寄り添うように戦争を共に戦ってきましたが、米国の外交政策を決める上での発言力はありません。日本が改憲までして米国の使い走りとして他国と戦争をしたところで日本の国益にもならず、米国の政策に対して発言力のあるイコ—ルパートナーになることもない、という主張は説得力があります。また核拡散におけるパキスタンの危険性についての言及も日本の核武装論が主に北朝鮮と中国のことしか念頭にない偏った議論であることも明確に論じられていて説得力がありました。

 

私自身は昭和時代の「専守防衛」を旨とする自衛隊のあり方が最も日本には望ましいと考えていますし、その点で「自衛隊は合憲である」と以前も主張しました。また日本の核武装にも反対であり、日本こそは世界で唯一の被爆国としての揺るぎない地位をもっと主張して国際政治をかき回すべきだと考えています(こいつ被爆国、被爆国とうっとおしい奴だ、と嫌われて始めて発言力がある国と認められると考えます。日本は大人しい良い子すぎます。韓国の嘘っぱち従軍慰安婦と異なり日本は世界が認める被爆国であり、第二次大戦後世界で核戦争が起こらなかったのは日本が身をもって原爆の悲惨さを世界に示したからに他なりません)。豊下氏の著書は(米軍を対象とした)集団的自衛権行使が日本の国益に利することがないことを非常に論理的に示した点で有意義なものと思いました。

 

同書の内容に少し関連して、近代国家(国民国家)における軍人の精神構造と「テロとの戦争の時代」における軍人の精神のありかたについて、「しばやんさんのブログ」にコメントをした内容について追記します。

 

しばやんさんのブログでは、太平洋戦争末期において、日本軍の中枢にかなりソ連のコミンテルンに操られた人達(個人が認識しているかどうかは別として)が混ざっていて、終戦工作をソ連に頼ろう、逆にソ連に参戦してもらおうとする勢力があったことを最近明らかになった当時の記録などから示している非常に興味深いものなのですが、「近代国家における軍人は、その精神構造において元々社会主義に親和性があるのではないか」というコメントです。

 

(以下転載)

 

近代国家における軍人は社会主義に親和性が高いかも知れません。

 

しばやんさんのブログはいつも精緻な資料蒐集と分析で大変勉強になります。今回のシリーズも大変興味深い内容でためになりました。以前日本が本来信用できないソ連に終戦工作を頼ろうとしていたのか不思議に思った事をコメントさせていただきましたが、逆に取り込まれていた部分もあると解ると合点がゆくところがあります。

 

いつの時代もどこの国でも、国際関係の仕事をしている人達は自分の得意とする国や地域があるもので、その人がその地域や国を詳しいからといって他国のために働く(魂を売る)という訳ではないだろうとは思います。知日派と言われる外国人達が全員日本のために自国の国益を損ねてまで働くとはとても思えません。だから現在の外務省職員にしても当時の軍人にしても自分の専門とする国とは良好な関係を築いて自分の地位を高いものにしたいという我欲はあるでしょうが、他国の国益のために国を売る事まではしないのではと思います。そこに騙し、騙されの複雑なやりとりが絡むと一層外から判断することが難しいものになるだろうと思います。

 

さて、戦前の純粋な気持ちを持った日本の軍人達は当時の若者達が社会主義思想に傾倒したように我欲にまみれた資本主義よりも社会主義的な思想に親和性があったことは容易に推察されます。元々裕福なお坊ちゃんが軍人になる事は少なく、比較的貧しい田舎出の優秀な次男坊三男坊が兵学校などに進んでいったのだろうと思います。その点学徒出陣まで兵役を免れていた大学生達とは少し違っていたのではと思います。

 

中世における戦争は領主達(貴族)が領民を率いて或は兵隊を雇って略奪のために戦争を行ったのであり、植民地争奪戦なども結果的には国の利益よりも自分の利益に直結するから戦争をしてきたものと考えられます。つまり軍人は資本家的な思考をしていたはずです。現在の中国解放軍も次第に革命前の軍閥のようになりつつあるようで、金と権力が結びついた構造になりつつある点で既に中国は中世に戻りつつあるのではないかと考えます。本来近代国家における軍人は戦争によって自分が豊かになる事はなく、あくまで国益が追求されるのみであり、自分が戦うことによって国民が幸せになる、と言う代償しかない点で非常に社会主義的な精神を強いられ、それを受け入れていると言えるでしょう。それは自由主義国家(西側)社会主義国家(東側)を問わず共通の事でした。だから一個人として軍人同士が話をすると体制によらず結構価値観が似ていて気が合うということがありました。

 

ところが、グローバル社会になって、米国が「テロとの戦争」を始めて見ると、軍人達はいくら戦っても国民が幸せになったり豊かになったりする訳ではなく、グローバル企業(や一部の資産家)が商売をしやすくするためにそれを妨害するローカルなテロリズム(或はそれを快しとしない一般の人)と戦争をするだけになってしまいました。つまり近代国家における軍人の精神構造では対応が難しくなっている。むしろ中世の貴族や資産家が傭兵を雇って自分達の取り分を増やすために戦争をしている姿に戻りつつあると考えるほうが理解しやすく、米国でもブラックウオーターなどの傭兵企業が大きな役割を担うようになっています。

 

長いコメントで恐縮ですが、しばやんさんの渾身のブログを拝見してそのような感慨を持ちました。中国は国内の人民解放軍が中世の軍閥化しつつある事を危ぶんで国民国家型の軍(党の軍ではなく)に変換しようと試みているように見えます。強力な軍を背景にした国家資本主義が中国の目指す「21世紀生き残り戦略」のように見えますが、そのとばっちりを日本があびないようにうまく振る舞って行く必要があると思います。

 

(転載終わり)

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書評 日本人の心のかたち

2013-12-18 23:37:19 | 書評

書評 日本人の心のかたち 玄侑 宗久 角川SSC新書201 2013年刊

 

臨済宗の住職で福島県に在住し、芥川賞作家(2001年)でもある著者が、日本人の物事の決め方の特性について、荘子の斎物論篇にある「両行」という思想と、維摩経の不二の法門にある「不二」という思想からこれらが日本人特有のこころのあり方に影響していることを日本の古典や現行の作法、習慣など広い例証から論考したものです。

 

日本人は、基本的に二つの異なる思想を対立・選択することをせずにどちらも取り入れることによって新たな物を産み出すことを得意としている、ことから両行・不二という思想が導かれるのですが、これは和洋折衷であるとか、漢字と大和言葉から漢字仮名まじりの日本語体系を作ってきた日本文化を考えれば容易に理解できます。アンパンのように和菓子の餡とパンを共に生かして新しい物を作るのが「両行」ですし、善悪や生死のような対立・分別されるものを敢えて分けて考えずに同時にそのまま受け入れてしまう思想が「不二」にあたり、例えば健康であっても病気であっても構わずに自分のやりたい事や生き方を貫く境地は「不二」にあたるのだと思います。

 

この本を読もうと思ったきっかけは、私自身が先のブログでエッセイとして書いたように、日本人特有のエトスというのは一神教のユダヤキリスト教圏の人達とは異なり、しかも中国韓国のアジアでも大陸圏の人達とも異なると考えていたことと、僧侶である氏の考えが高齢者医療の問題点を解決する何らかのヒントを与えてくれるのではないかと期待したからです。

 

私が示した日本人の「善」を決定する思考法とは説明が異なりますが、著者は日本人の物の決め方の西洋人との違いを次のように説明します(115ページ)「(日本人は)人間の思考そのものを信用していないから、とりあえず両行する考え方を配しておき、結論は「無心」において「直感的」に決めるのである。ロゴスとキャラクター(論理と個性)に重きを置く国とは違っていて当然と言うしかないだろう。」「西欧の人々は初めにロゴスありき、と繰り返し学んできたせいか、人間の思考や論理にずいぶんと信頼をおいている。思考し、論理を操る主体は、無論「我」である。」(内はrakitarou注)この直感的に決める動機は論理を超えた「周囲との協調」や「バランス感覚」なのでしょうが、後付けでどのようにも正当化できるように相反する論理付けができるしくみが日本語にはあると説明します。例えば「善は急げ」と「急がば回れ」、「君子危うきに近づかず」と「虎穴に入らずんば虎児を得ず」のような相反する選択肢を正当化できることばが日本語には用意されていると言う事です。

 

高齢化社会になればなるほど日本の医療費は高騰を続けています。年をとれば種々の病気を併発し、また医療の進歩から以前であれば助からなかった病気も治療が可能になってきています。多くの病気を併発している人を治療するのは疾患が一つしかない人を治療するより当然多くの医療費と手間がかかります。医療費が無限大にあるのならばいくらでも手間をかけて医療を施す事もできるでしょうが、「もうこれ以上の医療費の高騰は無理」と政府は判断していて、総医療費を抑えるために単価を下げる政策を取り続けてきました。政府は「年寄りは死ね」とは決して言いません。でも本音は「高齢者の医療はほどほどにしてね。」と明確に政策上告げています。

一方で医療を受ける高齢者の方も限りなく医療を受け続けることに必ずしも幸福を感じていないように見えます。「年に不足はない」「余生だから」と言いながら毎日のように病院に通って十種類以上の薬を飲み続ける姿は「論理的には矛盾」していますが、「両行」や「不二」のなせる所と言えなくもありません。お年寄りは、恐らくは100万円かかるぞんざいな医療よりも、効果は劣っても1500円の心のこもった医療の方を喜ぶのではないかと思います。80台の人が50台に若返れる医療はありません。80台のまま一つの病気が癒されるにすぎず、すぐにまた他の病気が出てくるのであれば、一つの医療に莫大な治療費と患者の心身への負担をかけたところで大して幸福になることはないのは当然です。

効果は劣るけれどその分「心のこもった医療だから」というエクスキューズが得られるのならば最先端の高額医療を行わなくても満足が得られるのではないか、高齢者医療の問題解決の糸口はこの辺にあるのではないか、と私は思います。

 

著者は仏僧らしい視点から、「薬師如来と阿弥陀如来は両方揃ってこそ人間の安寧を保証する両行だったのである(83ページ)。」と医療、治療の権化(悟りを開いた仏)と死に向かう不安を和らげる仏を両行させる大乗仏教の形態を説明します。また日本人は死を終焉と考えず、身体から魂が黄泉の国に去る、いずれ黄泉返る(よみがえる)、或は弔辞などでも「先に天国でゆっくりとお休み下さい、私も後からまいります。」などと死そのものを認めない思想がある(46ページ)と日本人独特の死生観を説明します。他にも魂が肉体から離れる状態を「魂消る」(たまげる)と表現したり、魂が抜けた状態の肉体を「呆」や「惚」(ほうけ)と表現したりします。敵も味方も、善人も悪人も死んでしまえば皆仏様、というのも「不二」を実現した日本特有の優れた思想であり、誰でも死ねば仏になれるという安心感が死への不安をなくす知恵として育まれてきたと説明されます(怨親平等と和の思想170ページ)。

 

欧米では病院にも患者の宗派に応じた宗教家の出入りが心の治療の一環として行われていたり、病院そのものが教会によって運営されていたりして、死への不安やグリーフケアへの積極的な取り組みがなされています。日本の医療では診療報酬にそのような項目は皆無であり、病院内にもやっと緩和医療が癌治療や終末期医療に取り込む努力がなされているに過ぎません。私は治療のガイドラインが50歳台と80歳台で同じなのはおかしい、と度々主張していますが、米沢慧氏が提唱する「往きの医療」「還りの医療」の思想を取り入れた「高齢者の満足につながる医療」こそが「医療費の高騰」「高齢者医療問題」を解決するヒントになるだろうと思います。

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書評 憲法とは国家権力への国民からの命令である

2013-12-12 00:34:50 | 書評

書評 憲法とは国家権力への国民からの命令である 小室直樹著 2013年ビジネス社刊

 

小室直樹氏は1932年生まれの政治経済学者で、副島隆彦氏の師匠であり、2010年に亡くなっています。本書は2002年に氏が「日本国憲法の問題点」と題して刊行した書籍を再編したものです。小室直樹氏は日本の既存の大勢に捉われず、基本に帰って世界的な視点から論理的に日本の問題点を指摘するという点で、大衆受けは多分しないでしょうが、私は非常に惹かれるものがあります。

 

本書の主題は「近代デモクラシーにおける憲法とは国家というモンスターを縛る鎖であり、憲法とは国家権力への命令である」という点と、日本国憲法における最も重要な条文は第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という一文に尽きる。というものです。この第13条はアメリカ独立宣言と同じ文章が使われており、ジョン・ロック以来の連綿たる近代デモクラシー思想のエッセンスが込められたものであって、国家たるものどんなに逆境、困難が待ち受けていても、国民の生命、自由そして幸福追求の権利を守らなければならない、と力説します。

 

近頃話題になった自民党の憲法改正案では、第13条「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。」と変更されています。一見あまり変わりがないように見えますが、実はジョン・ロックの思想を否定する基本的思想から変える大変革であることが解ります。社会契約説に基づいて人間が生まれながらに神から与えられた無制限の権利の一部を差し出すことによって、国家が形成されているのであるから、「もし国家権力が人民を不幸にるすなら、契約を改めてもいい。つまり革命を起こして、新しい政府を作るのは人民の正当な権利なのだとロックは述べています(同書籍30ページ)」と小室直樹氏は解説していますが、自民党案では、「公の秩序に反してはならない」と憲法が国民を規定してしまい、「国家が国民のあり方を規定する」という逆転現象によって憲法の原則からも離れ、いかにして近代国家が必要とされて作られたかという根本理念さえも忘れ去られてしまっています。自民党案を作った人はもう一度中学から民主主義とは何かを勉強し直す必要があります。もし全て理解した上でこのような逆転を仕掛けたとすれば、「日本には(お上を信ずる)思想があって、民主主義に儒教的な仁の思想を融合した」特殊な考え方に従って憲法を作り直したのだ、西洋的な民主主義は一度全て否定したのだ、と重々説明しないと「単なる騙し」になります。

 

小室氏はバブルを崩壊させて、数十兆円の国民の資産(株や地価など)を奪ったことも、北朝鮮の拉致を放置していたことも、日銀が長期間ゼロ金利を続けた事も全て「国民の生命財産を守る」という憲法の国家への命令に違反した行為であると断罪します。憲法9条については私が前から述べている解釈と同じであり、国益を追求する一手段として戦争という手段は放棄しているが、国民の生命を侵略から守るために自衛権の範囲で戦争を行うことは国家の使命であり、否定されようがない、と述べています。つまり「専守防衛の自衛隊は合憲である」という世界の常識に基づいた至極まっとうな解釈です。

 

本の後半では小室氏は民主主義を実現するための教育の重要性(日本の良さ、日本人としての自覚を大切にし、民主主義を不断の努力によって実現するようにする国民教育の重要性)を説いています。それはそれで説得力があり、重要なことですが、第5章「日本人が知らない戦争と平和の常識」は9条論争に関連して、日本人が国際紛争に関する常識にあまりに無知であることが述べられていて参考になります。

 

「統帥権の独立とシビリアンコントロール」

戦前政治家であっても民間人が軍事に関わる決定を下すことを「統帥権の干犯」と称して天皇の直轄事項を侵害する行為であり、認められないなどと軍人達が独走する元になりました。小室氏は「統帥権の独立」とは戦争において「軍略は軍人が専ら行う」ことを規定しただけであり、軍政・国家戦略は政治家が行うことは明治時代においてはきちんと分けて考えられていたと説明します。日露戦争を終わらせたのは軍人ではなく小村寿太郎です。またシビリアンコントロールならば何でも良いというものではなく、軍略を素人であるシビリアンが行うと第一次大戦のガリポリ上陸作戦(対トルコ、チャーチル主導により英仏連合軍48万のうち25万の死傷者が出て失敗)のような大敗を期する教訓もあると説明します。

 

「日本も批准している戦争法規であるジュネーブ条約」

1949年に制定されて日本も1953年に批准しているもので、他国に侵略された場合に、自衛官でない一般市民が家族を守るために敵と戦う決意をした際、万一捕虜になっても正規の戦闘員として保護を受ける基準も定められている。つまり

・  部下について責任を負う一人の者が指揮している事。

・  遠方から認識する事ができる固有の特殊標章を有する事。

・  公然と武器を携行している事。

・  戦争の法規及び慣例に従って行動している事。

がアピールできれば、正規軍でなくとも合法的軍隊として捕虜になった場合保護されるが、そうでなければゲリラ、テロリストとして虐殺されても文句が言えない。またこのようなテロリストが混ざっていたら周囲の一般人も見分けがつかないから同様に虐殺されても文句が言えない、というものです。日本人で知っている人は殆どいないでしょうが、永世中立国のスイスではこの規定が全国民に周知徹底されているということです。

 

これは重要な項目で、便衣兵が混ざっていたら南京で一般人が虐殺されても国際法上合法だったという事。ベトナムでベトコンが農民に混ざっていたので米兵が農民を虐殺したのも合法、アフガンでテロリストが民間人に混ざっているので無人機で民間人ごとミサイル攻撃するのも合法、テロリストはジュネーブ条約で保護されないからグアンタナモ収容所で拷問しても合法、という理屈の元になっています。

 

本から離れますが、私がよく見ている米国のテレビ番組「Law & Order」シーズン20第一話「Memo from the Dark Side」ではイラクで捕虜虐待をして精神的に障害を来した帰還兵が虐待の合法性を政府にテキスト制作によって進言した法学者を訴える(実際は法学者がこの帰還兵を殺害したのですが正当防衛で無罪)という筋書きで、テロリストの虐待は人道的には許されないけど合法であること、政府が人道的に間違った事をしたことをNYの地方検事と市民(陪審員)が裁く事は民主主義の理念からは正しいこと(既出のロックの思想から国家への反逆ではなく正当な権利と検事は陪審員を説得する)などが番組内で語られて、結果的には連邦検察の横槍で審理無効になってしまうのですが、捕虜虐待問題を正面から扱うアメリカのテレビ番組の質の高さや制作者の意気込みが感じられます。

 

憲法のあり方、国際法と国家の関係、忘れていた戦争の概念、そういった問題が身近なものに感ぜられる現在、この本は時宜を得たものであり、民主主義の原点を顧みるために必読のものであると思いました。

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書評 ルポ貧困大国アメリカ II

2013-11-21 00:50:32 | 書評

書評 ルポ貧困大国アメリカ II 堤 未果 著 岩波新書1225(2010年刊)

 

前回のオバマケアの所でも少し触れましたが、これは本の第三章の内容を参考にしました。本書は前著の続編といえる物で、米国社会のひずみがより顕著になり、富める者と貧しくなる者の差が開いて行く「しくみ」について解りやすく解説したものと言えます。我々は米国社会を他山の石として後追いすることがないように日本の社会について見つめ直さないと行けないと思います。以下章を追って内容を簡略に紹介します。

 

第一章      公教育が借金地獄に変わる

 

米国は植民者が数百人という時代からまず大学を作ったというように、教育は国の未来を作るという思想で力を入れてきた伝統があります。学問のレベルは今でも高いと思います。しかし教育を「資本主義的金儲けの道具」にしはじめた2000年代になってからその様相が様変わりし始め、今では教育が若い人達をローン地獄に落とす道具に成り果てているという事です。

学資ローン制度の「サリーメイ」という民営のローンがあるのですが、これが高利で学生に融資した上に、大学は次々に学費を値上げすることで学生の借金が膨らみ、不景気で卒業しても非正規雇用でしか就職口がない学士達が借金を返しきれずに破産してゆくという事です。住宅ローンは返せそうにない「サブプライム」の顧客に対しても家を放棄すれば借金は棒引きになるという規定があるので返せなくても社会から逸脱することはありませんが、学資ローンは返済免除の規定がなく、借金は一生付いてくるそうです。しかも負債が商品として他人に売られて行くので、借金は知らないうちに増えて行き元金の倍以上になってとても返せない状態になってゆくということです。多くの不幸な学生を生むサリーメイのCEOの年収は数百億円ということです。日本人の感覚ではこのCEOは教育を食い物にする「腐れ外道」でしかないのですが、米国では会社を高収益に導いたエリートの扱いだそうです。

 

第二章      崩壊する社会保障が高齢者と若者を襲う

かつては製造業に就いていても定年退職したら就業時に近い十分な年金が補償されて、悠々自適な老後が送れたのですが、不景気と高齢者の増加によって企業の年金負担が現役が支えるには耐えられない額になり、かつての給付型から個人の自己責任で運用して額が決まる確定拠出型(401k)になって、定年退職しても高齢者はパートで働かないととても食べて行けない状態になっているそうです。しかも医療費が高騰し、メディケアの自己負担分も馬鹿にならない。若い人達も不景気と学資ローンで年金の負担ができない状況です。

 

第三章      医療改革 vs 医産複合体

 

この内容は前回のブログに書いた内容と重複しますが、医療保険会社と製薬会社の商業主義によって医療費が高騰し、国民皆保険制度導入は妨害され、公的保険であるメディケア、メディケイドの費用も増え続けて病院などの医療者側も民間保険からの支払いが厳しいために経営が成り立たなくなってきている。結果的に多くの医療難民と医療破産の国民が増え続けているという内容です。

 

第四章      刑務所という名の巨大労働市場

 

これが一番衝撃的な内容かも知れません。民営の刑務所が増えていることは知られていましたが、刑務所営業会社と刑務所の土地建物が投資の対象として非常に高収益が期待できるようになっています。借金漬けになった国民は犯罪者になって刑務所に入るのが最も安定した生き方になってきており、しかもスリーストライク法という軽微な罪でも3回犯したら終身刑という人権無視の信じられない法が各州で成立していて終身刑の受刑者が増加中という状況。しかも受刑者は時間30セントの超安値労働者として各企業から重宝されている由。既に受刑者は巨大で確実な労働市場として企業からもて囃されているということです。何しろ海外のアウトソーシングと異なり英語の心配がなく酷使しても争議がなく、定期昇給の必要がなく、替わりはいくらでもいるのですから。刑務所の食費や備品は全て有料でしかも市価よりも2倍くらい高く、安値で働いた労働賃金から支払うことになるそうです。労賃が安いために通常出所する時には借金が増えている状態になるそうで、社会に出ても前科者で働き口がないので借金も返せず、結局また犯罪者になって戻ってくる。そして極安の労働者として終身働く運命にあるということです。既に労働のシェアとして米国における防弾チョッキなどの防具46%、組み立て家具の36%、電気製品の18%などが連邦刑務所の囚人を労働者として作られているということで、それらの製品は増加中ということです。何しろ後進国よりも賃金が安いのですから。米国における合法的な新たな奴隷階級の出現と言って良いかも知れません。

刑罰は社会復帰のための教育刑というのが日本では常識ですが、人権先進国の米国では刑罰は労働市場提供のための提供源というのが常識になりつつあり、それを正そうという機運はないようです。一時街にあふれていたホームレスも炊き出し禁止令などで減少しつつあり、刑務所や劣悪な収容施設にあふれるようになってきているということです。

 

エピローグでは10年に及ぶテロとの戦争で戦費がかさむ中、戦争経済を批判するオハイオ州選出の民主党クシニッチ議員の言葉が紹介されています。「国内には4200万人の飢餓人口と4700万人の無保険者がいる。1500万人が職にあぶれ、1000万人が家を差し押さえられそうになっている。財界へ流れた分と戦争予算のしわ寄せを受けて拡大する貧困と失業者こそが大量破壊兵器ではないか。」

 

まったくその通りです。しかしむかし映画ロボコップで想定された通りのような社会になりつつある中、本来の人間らしさ、民主主義、正しい社会に戻そうという運動も少しずつではあるが盛り上がってきていると紹介されて本書は終わっています。我々日本人が手を結ぶべきは「腐れ外道」のようなグローバリストどもではなくそのような良識ある米国人達だと思います。

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書評 世界の宗教がざっくりわかる

2013-11-01 19:13:41 | 書評

書評 「世界の宗教がざっくりわかる」 

島田 裕巳 著 新潮新書415  2011年刊

 

以前書評で同著者の「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」を取り上げましたが、書名と異なり内容は「解りやすい日本の宗教(主に仏教)大全とその歴史」について網羅的に解説したものでした。今回の本はそれの世界版といえるもので、これは表題通りの内容と言えます。世界の宗教について網羅的に簡潔に記した本は世界的にみてもあるようでない、ということで、著者が1970年代にエリアーデという宗教学者が「世界宗教史」という大部の本(全3巻)を出して、その後コンパクト版を出そうとしたが未刊に終わったと紹介しているように世界中の宗教を歴史や宗教同士の関連を示しながら網羅的に解説した本というのは希有な存在であると解ります。

 

日本人は日常生活において、宗教的習慣には非常にこだわりながらも単一の宗教へのこだわりがないという世界でも特殊な立場にいるからこそ、このような網羅的な解説本を書けるし、読む方も気軽に読めるのだと言う著者の主張はその通りだと思います。ともすると日本以外の世界の人達も自分達と同様宗教にこだわりがないのではないかと思い込んでしまっている日本人が沢山いるように感じます。私は歴史観や日々の物事に対する善悪の判断も外国人は日本人とは異なり宗教観に基づく考え方をかなりしているはずだと考えていますが、なかなか日本人には納得できないようです。

 

書評から少し離れますが、先日(2013.10.13)のNHK特集「激動中国・さまよえる人民のこころ」は非常に面白い内容のある番組でした(最近NHK特集は頑張っていると思う)。中国人の物の考え方から儒教的思考が一掃されて「親孝行をする」「人を思いやる」という意識さえ教えられると「初めて聞いた」「感動した」と涙を流してありがたがるというのは日本人から考えると「???」なものばかりでしたが、拝金主義が昂じて格差社会が定着し、住みにくい殺伐とした社会になって初めて儒教的な教えに新鮮な暖かみを感じるというのは「儒教は為政者のための道徳」といった批判も認めた上でやはり儒教的思考が人としての社会生活に必要な潤滑剤であるのだと感じます。中国人の思考は儒家と法家の混ざったものと「おどろきの中国」で宮代真司が言ってましたが、どうもこれらの基礎となる考え方自体が文化大革命できれいに白紙になって、後は拝金主義だけが改革開放後に書き込まれたということだったようです。

 

書評に戻りますが、第一章「一神教と多神教は対立するか」ではユダヤ教やキリスト教、イスラム教について発達した歴史もふまえて総論的に解説されるのですが、面白い視点として「キリスト教の異質性」に触れていて、宗教のなかで世俗と離れた出家者がいるのはキリスト教と仏教だけであると紹介されます。キリスト教の場合この出家の存在が世俗者の自由さにつながったと解説されます。また三位一体という考え方は多神教につながる思想でもあり、天使が堕落したとされる悪魔の存在もマニ教などの善悪二元論と関連していると言えます。アウグスティヌスは著書「告白」でマニ教からキリスト教に改宗してキリスト教の優越性が示されるのですが、キリスト教の歴史において様々な公会議などで教義について議論されないと教えが定まらないという事自体、内容的に単純明快でなく、根本教義に無理がある(数々の異端が無理のない善悪二元論に向く事で生じるし)のではないか、という解説は納得できます。

 

東と西の宗教が関連づけられるのはイランにおいてであるという解説も興味深く、ゾロアスター(ニーチェのツアラトウストラと同意)教は紀元前10世紀位からあった可能性がある善悪二元論の宗教で、その後の宗教にも数々の影響を与えて行きます。

 

第二章「仏教はなぜヒンズー教に負けたのか」ではインドにおけるバラモン教、仏教、ヒンズー教の盛衰を紹介しながら、仏教が一時隆盛を誇りながらやや現世利益から離れて精神世界の救済に特化していったことから民間信仰に近いヒンズー教の方が現在強くなっていることが示されます。また日本に仏教を伝来したのは中国ですが、現在の中国仏教はNHK特集でみるように見る影もなく、チベットなどに密教の形で残る程度であり、仏教についてはある意味日本が最も伝統を残している(日常においては葬式仏教ですが)という状態です。孔子の儒教や老子の道教は宗教か思想かは議論のあるところですが、どちらも仏閣に相当するところもあり、教典もあるから宗教の要点は満たしていると言えます。日本人は仏教神道儒教部分的(初七日とかするし)道教の信者ということになるでしょうか。

 

第三章の「日本人は無宗教か」はまさに宗教的習慣にこだわりながら単一の宗教にはこだわらない日本の特色を歴史的に説明していて、終章ではグローバリズムと行き過ぎた資本主義のために世界は再び宗教の時代に向かっているのではないかという問題提起をしています。中国の現実はそれを暗示しています。「テロとの戦争」も実は宗教戦争になっているように見えます(経済の発展に役立ってないし)。本書は各宗教の立ち位置を確認する上で度々読み返してみる価値のある本と言えそうです。

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書評 タックス・ヘイブン

2013-10-09 21:21:15 | 書評

書評 「タックス・ヘイブン」—逃げていく税金 志賀 櫻 著 岩波新書1417 2013年刊

 

東京大学在学中に司法試験に合格する俊才である著者が、卒後大蔵省に入省し、その後税務畑を歩む中でOECDなどの国際的な場で日本を代表して活躍するようになり、一時警視庁に出向してこれまた湾岸戦争などの国際舞台を経験する中でタックス・ヘイブンとの関わり、諸外国の税務関係者と共にタックス・ヘイブンをどう対処するか奮闘した経緯などを一般の読者にも解りやすく解説したもので、非常に興味深くスラスラと読んでしまいました。

 

タックス・ヘイブンの特徴として1)まともな税制がない2)固い秘密保持法制がある3)金融規則や法規則が欠如している、といったことがあげられ、高額所得者や大企業による脱税・租税回避、悪徳資金のロンダリングやテロ資金の隠匿、投機マネーによる秩序ある経済の破壊、の温床になっていると説明されます。

 

タックス・ヘイブンには、バージン諸島やクック諸島などの南の孤島、モナコやサンマリノなどの都市、金融センター(ウオールストリートやロンドンのシティ)内のオフショアセンターなど様々な形態があって、それぞれに特徴があると解説されます。本書ではこれらのタックス・ヘイブンで実際にどのような租税回避が行われているかが解説されると共に、日本を含めた諸外国がいかに協力してタックス・ヘイブンによる租税回避に対抗してきたかについても解説されます。私などは、米英は「政府がらみでグローバリズムの権化」のように普段感じているのですが、米英の税務当局も決してタックス・ヘイブンを放置しているわけではなく、何とか税を回収し、悪徳マネーを表に引きづり出そうと四苦八苦していることが示されます。マネーロンダリングと取り組むFATF(financial action taskforce)とか国際金融について問題を話し合うFSB(financial stability board)などの国際機関について、実際に著者が参加した内側からの解説は非常に興味深いものがあります。

 

タックス・ヘイブンも経済の発展のためには悪い所ばかりではなく、きっとそれなりに必要悪な部分もあるのでは、と私のような経済の素人は思ってしまうのですが、著者の揺るぎない視点は「タックス・ヘイブンは人類にとって百害あって一利なし」という立ち位置で貫かれており、安心感を持って読み進むことができます。

 

著者も指摘しているのですが、タックス・ヘイブンを利用しているのは民間ばかりではなく、「MI6やCIAなどの各国諜報機関もからんでいることがある程度解っているから厄介」と暴露しているのですが、「タックス・ヘイブン退治のための新たな税制」や「秘密を暴露させる法制」について解説があり、少しずつ実効性を持ってきていることは希望を持たせます。

 

NHK特集のブログでも触れましたが、強大なマネーによる金融マネーゲームによって金融が不安定になると、庶民が額に汗して働いた所得から納められた税を原資に政府から金融機関救済の補助金交付がなされたり、国債が発行されたりして金融の安定が計られるのですが、それらは税を納めた庶民の元には還元されず、富裕層や巨大なファンドに吸い上げられてタックス・ヘイブンを経由してより大きな行き場のないマネーにと変わってしまいます。日本も消費税増税が決まりましたが、これらの税が日本の国民のために使われて我々の所得となって還元されるのならば問題がないのですが、景気刺激のためにこの20年間使われてきた政府の支出は、結果的に日本の経済を回す事に使われず、行き場のないファンドマネーとして国民の手から離れていった事が問題なのです。そしてこの事を皆が解っていても解決策がなかったことが一番の問題だと日本だけでなく、国際的に共通の認識ができてきたのだ、とこの本を読むと感じます。つまりこれは日本だけではなく、米英、欧州、そして中国でも対策をとりはじめているということです。

 

行き過ぎた管理社会につながる危惧はありますが、各国の行政官僚によるタックス・ヘイブン(強大なファンドマネー)退治という国際協力を私は支持します。「タックス・ヘイブンを利用する者は必ずそこに居住し、それ以外の国に入国する際は10億円の入国料を払うこと」というような国際協約を作ってもよいと私は思います。オフショアセンターはなくても普通の庶民は困りません。庶民と関係のない世界の超富裕層の方達はアンパン一個500万円といったタックス・ヘイブンの小島で一生暮らしたら幸せだろうと思います。

 

これは私の妄想だけではなく、本書でもシチズンシップ課税、出国税、以前ブログでも紹介した金融取引税・トービン税などの新しい税のありかたとして紹介されています。

 

著者の志賀氏は1949年生まれの60台の方ですが、ひ弱な東大の秀才というより銃弾の飛び交う紛争地にも乗り込んで日本の国益を追求するといった男気を感ずる頼もしい方であり、文章も簡潔明瞭で解りやすい、世の中に対する基本姿勢もぶれない、という点で本書は十分一読に値する書籍と思いました。

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書評 おどろきの中国

2013-07-17 23:41:16 | 書評

書評 おどろきの中国 講談社現代新書 橋爪大三郎、大澤 真幸、宮代真司 対談2013年 刊

 

意外と知られていない中国の社会、歴史、日本との関係などについて、奥様が中国人で自身も中国の研究を長年している橋爪大三郎氏を中心に、大澤、宮代の両氏が問答形式で論を進めて行くという内容で、日本的感覚からは「ほう!」と驚く事が多い中国の社会を再認識するという意味でこの題名が付けられたそうです。

 

私としては中国人が物事を「良し」と判断するエトスのようなものが分かればという部分と、毛沢東思想や文革であれだけ資本主義を嫌っていながら、現在の拝金主義に矛盾を感じないのは何故か、といったことに興味を持って読みました。

 

構成としては、第一部で「中国とはそもそも何か」を問い、国民国家という概念ではない古代からの「中国という枠組み」をそこに住む人達がどのように認識していたかが語られます。種々の民族や社会が「漢字」という統治を行う一部のエリートだけが共通に理解できる文字と四書五経という教科書によって儒教と法家を使い分けながら適宜易姓革命によって王となる人を代えながら社会が成り立ってきたという過程です。面白いのは諸派分立している春秋戦国時代のような状態は中国としては据わりが悪く、専制的であっても一人の皇帝がいて、冊封体制で周りが従っている方が落ち着くという体質です。これが実は現在の共産党王朝の専制体制が続いていることにつながっている可能性があるということです。

 

第二部は辛亥革命から共産党政権の樹立、ソ連東欧の崩壊と現在中国の関係までの歴史的な背景を解説しています。興味深いのは文化大革命についての考察で、中国文化の権威とされるものが破壊されて行く中で、権力者である党の幹部までもが紅衛兵という末端の民衆によって粛正されて行く所がナチズムやスターリニズムとも異なるということです。そしてこの古くからの中国的な伝統の破壊が、次に来る改革開放をスムーズに行わせる元を築いた、つまり「文革と改革開放は結果論的にワンセットになっている」のではないか、という考察はなかなか面白いと思いました。

 

第三部は日中関係について、主に日中戦争について検討されます。解りやすい説明として、中国が日本を信用できない理由として、本来日本はロシアに対抗するために満州に進出して行ったのに意図が不明確なうちに中国と戦争を始めてしまった所にあるという点です。何を目的、ゴールとして中国と戦争していたのか解らないから戦後の現在も何を謝罪したらよいのか良くわからない、というのはその通りと思います。勿論中国一流の外交カードとしての謝罪要求というものもありますが、それを逆手に取って中国の上を行く日本の外交が行われないのも事実ですから。

 

第四部は現在とこれからの中国と日中関係についての考察で、中国は21世紀の覇権国家になるか、社会主義と市場経済は両立し続けるか、日本はそれらといかにつき合うべきか、といった非常に興味深い問題が語られます。まず、覇権国家については、今まで交代してきた覇権国は全てキリスト教文化圏の中で交代してきたのであって、考え方の異なる中国やイスラム国家が覇権国として世界の中心となることは難しいのではないか、まず欧米先進国が追従しようとせず、衰えたりといえ、米国が覇権国であり続けるように支援するのではないか、と考察されます。結果日本は米国を支える国家の端っこにくっついて、しかも中国ともそこそこうまくつき合って行くのがよいのではないかと語られます。

社会主義・市場経済というのは本来両立しない概念なのですが、始めに思想から入る民族性ではない中国においては「何でもあり」である程度うまくやってしまう可能性があると考察されます。しかし現在危惧されているシャドーバンキングなどの問題で、一度経済の信用がなくなると誰も(外国の資本家が)中国内で金のやり取りをしなくなって経済が破綻する危険性があります。「危ない物へのフタ」を国家権力がやり続ける事は、資本主義経済では不可能でしょう。

 

終わりの方で、中国との尖閣問題や小泉政権時に拉致被害者を北朝鮮に戻さなかった事で外務省と中国・北朝鮮が描いたその後のストーリーが崩れたといった事が裏話を交えて語られるのですが、日本には日本の作法があるのだから、その点全てを相手国に合わせなかったといって日本の政治家を批難するのは少しいただけない内容に思いました。相手に合わせていればこちらの筋書き通りに事が運ぶというのは甘いと思います。もっと外交は狡猾で汚いものであり、そのなかから何とか妥協点を見つけて国益を守って行くのが外交ではないかと私は思います。

全体としては、この本は読みやすく、また興味深い内容で、読む価値があると思いました。

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書評「ロシアから見た北方領土」

2013-03-04 19:26:54 | 書評

書評「ロシアから見た北方領土」岡田和裕 著 光人社NF文庫2012年刊

 

著者は新聞記者から作家になった岡田和裕氏1937年中国東北地方生まれ。日本とロシアが安政年間に領土問題、交易に関して初めて接した時(1854年)から1.5世紀に渡る歴史をロシア側からの資料と視点から眺めたもので、勿論日本がもつ各種資料と比べながらできるだけ公平な視点で北方領土問題を考えようという書籍です。とかく「一方的な日本固有の領土の侵略」と「頑迷固陋なロシアの態度」だけに目が行きがちな北方領土問題を多角的にとらえ、特に将来ロシアとの平和条約締結、共同開発には欠かせない国境線の確定(これが領土問題そのものですが)交渉を行う上では有用な資料となりえると思いました。

 

構成は江戸時代における日本・ロシアの北方探検、開発の歴史に遡り、開国後の交易交渉、樺太千島交換条約における確執、その後のロシア、ソ連との戦争状態と満州、北方地域の所有の移行経緯、第二次大戦とそれ以降のやり取り、現代における日露交渉という内容でまとめられています。特筆すべきは帝政ロシア時代の探検に基づく千島列島の開発や松島藩とのやり取りなどがロシアの資料を十分に利用して書かれている事です。

 

ロシアから日本を見ると、「日中は近代で2回(日清戦争、日華事変)しか戦争をしていないのに、ロシアとは4回(日露戦争、シベリア出兵、ノモンハン事変、第二次大戦)もしている。日本は侵略好きな油断ならない国家だ」という事になるようです。こちらの認識では「油断ならない熊はロシアだろう」と思ってしまうのですが、実際日本固有の領土をロシアが侵略したのは第二次大戦末期に北方領土を奪った事と不当なシベリア抑留をした事くらいで(それでも十分悪い奴と思いますが)、ロシアにしてみるとシベリア出兵やノモンハンもかなりな痛手であった事が資料から解ります。

 

江戸期における開発では日本が1635年には択捉島に到着していた一方で、帝政ロシアが1697年にカムチャッカ半島に到着ですから日本に一日の長があり、樺太に至っては1422年の室町時代から多賀城の碑に記述があるというので、何らかの行き来があったものと思われます。しかし日本もロシアも元々現地に居住していたアイヌ・クリールといった人達に混ざって動物や魚を捕ったのが始まりであって、いつ記載があるからその土地が記載した国のものというものではないと思います(アイヌ原住民の物というのが一番正しい)。でないと太古に記載があるという理由で、日本は中国の所有物になってしまいます。

 

「千島や樺太は諦めるとして、北方4島は日本固有の領土だろう、ソ連(ロシア)が終戦のどさくさに奪って居座っているのはけしからん」という日本の主張は国際法を含む各種法的には正しく、正面切って公正な場で判断を仰げば日本に利があることは間違いありません。しかしソ連にしてみると第二次大戦後、北海道の領有は諦めたのだから小さい島位でガタガタ言うな(主にアメリカに向かっての主張)というのが本音のようです。日本は独立国といっても至る所に米軍基地があり、第三者的に見てアメリカの属国であり、国際問題において大戦後米国に反旗を掲げた事が一度もないのですから、日本を一人前の国家として扱えない、領土問題を話し合うにもまず米国の意向を確かめてからでないとできないのであれば、日本と話し合うより米国と話せば済む(米国は勿論取り合わないですが)という考えも納得できるものです。

 

4島を返してほしければ沖縄を含む日本全国から米軍を追い出せ、という非公式声明も彼らの本音と言えるでしょう。ソ連が崩壊して、ウクライナやバルト諸国などソ連時代に比べて領土がかなり減った現在のロシアにとって僅かな島であっても領土を日本に割譲するというのは選挙制度で指導者が選ばれる体制である現体制ではなかなか難しい問題であることは間違いないでしょう。6章7章ではエリツイン、プーチン時代における日露交渉の経緯が書かれているのですが、エリツインが提案したとされる5段階案(20年くらいかけて、開発、経済交流を優先させてから4島の管理方法を決める)などは建設的対応としてもっと積極的に考慮してもよいのではと思いました。プーチンは2島(歯舞色丹)プラス北方海域を一つの提案としているのでは、という推測がされていますが、最終決定は先延ばしにして交流を優先するという方法は現代社会においては唯一の建設的対応のように私は思います(尖閣のようにそれを壊すことも容易と言えますが)。

 

本書の巻末には1945年4月の「日ソ中立条約破棄に関するソ連の覚書」戦後の日本の領域を示した「連合国最高司令官訓令677号」など歴史的に参考になる有益な資料がまとめられており、領土問題を考える際の資料集としても参考になると思いました。

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書評 「通貨」はこれからどうなるのか

2013-01-09 22:03:10 | 書評

書評 「通貨」はこれからどうなるのか 浜 矩子PHPビジネス新書216 2012年刊

 

新しい政権を担う安倍総理は「アベノミクス」なる政策を掲げて「金融緩和(お金を沢山市中に流してインフレを誘導)」「財政出動(公共投資をして無理矢理需要を創出する。13兆円を超える補正予算を策定、経済対策としては20兆円規模)」「成長戦略の実現」を行って日本経済をデフレから脱却させて、再び成長路線に乗せようとしています。市場ではその期待感から円安、株高が現出され、新政権への追い風となっています。金融緩和や財政出動はいままでも散々やってきたことですが、「兵を小出しにしてもその都度大きな不況の波に損耗してしまうので、思い切って大量の兵を投入してみる」というのが今回の違いなのでしょう。「賭け」的な要素もあり、要は3個目の「成長戦略」をいかに実現させるか(大胆な規制撤廃とか)に計画の正否がかかっていると言えそうです。成長戦略が単にTPPに入るという意味で、金融緩和も財政出動もあらかたアメリカに吸い上げられて(米国債を50兆円買うという話もある)終わり、という結末であればもう日本は本当に終わりになるのかも知れません。

 

ここで金融緩和の主役である「お金」とは何か、について詳しく説明されているのがこの本です。本にも書かれていますが、「100円」と書かれた紙切れを皆が100円の価値がある、と考えればそれが通貨としての100円の価値を持つというもので、国が発行しようが、地域が発行しようが、場合によっては個人が発行してもそれが100円として流通しえるものと言えます。日本では馴染みがありませんが、外国では銀行に口座を作ると通帳はくれませんが、小切手帳を渡されます。その銀行の発行した紙に100ドルと書いてサインさえすれば、それは100ドル札として通用してしまいます。勿論銀行に行けば現金に替えられるという保証があるから個人が発行した小切手が「お金」になるのですが、実際は換金してみないと不渡りであるかどうか分からない訳で、それまでは額面上の価値があるものとして流通してしまうことになります。

 

本書では、現代のお金の問題について、実に具体的に「疑問に答える」形で解説がなされています。例えば第一章、読者の疑問に答える、では

1)      円高はいつまで、どこまで続くのか(1ドル50円になるまで)

2)      1ドル50円になったら日本の産業は壊滅するか(急にはならない)

3)      日本の財政が破綻寸前ならば円の未来も暗い?(そのとおり)

4)      財政デフォルトが起こるとどうなる(社会保障やサービスが消滅)

5)      財政再建には増税しかないか(そのとおり、但し課税法に工夫)

6)      ユーロは今後どうなる(現在の形は消滅する、重複通貨として残る?)

7)      中国やインドが基軸通貨になるか(ならない、基軸通貨という概念が消失する)

という具合に簡明かつ具体的に解説がなされてゆきます。本の構成としては、4-5回のシリーズでNHK特集の番組ができそうな形式でまとめられていて、第一章で通貨の全体像を概観し、第二章で21世紀の通貨のありかたとしての「地域通貨」の活用(現実にあるフランスやスイスの地域通貨を紹介)、第三章では欧州の分裂(国家間の南北問題)と今後、第四章で1ドル50円時代の日米関係を解説(アベノミクスに比肩されるレーガノミクスが一見インフレなき経済成長に見えたが結局1ドル250円から100円にドルを暴落させるプラザ合意とブラックマンデーに終わる課程を解説し、その後の金融立国を目指したニューエコノミーも結局リーマンショックに終わった顛末の解説が圧巻。そしてドルの本来の相場である1ドル50円になることで、通貨が安定し、短期的な円の相場変動によって一喜一憂することがなくなると解説される)。

第5章は日本の財政破綻を避けるための税制の改革について述べられています。つまり、現在の税制は高度成長時代に作られたものがそのまま使われているから経済成長がのびなくなると税収も減ってしまう。成熟した経済においても安定した税収が得られて所得の再分配がなされるような形、そこに定住している国民からだけでなく、グローバル時代で物と金が自由に行き来している所からも税を徴収できるしくみを国際的に作ってゆくことが大事と建設的な意見が出されてゆきます。そして結論として、国家や政府に吸収されずに強大な力となって世界を荒らしている「マネー」を飼いならすために「基軸通貨」から「地域通貨」の時代へ変わってゆく事が必要という提言がなされます。

 

いや本当に分かりやすい「NHK特集」ができそうに思う、新春に読むにはお勧めの一冊です。

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書評 勝てないアメリカ

2012-12-06 19:45:12 | 書評

書評 勝てないアメリカ —「対テロ戦争」の日常 大治 朋子 著 岩波新書1384 2012年刊 

 

毎日新聞ワシントン特派員時代の著者が米国内の現役、退役軍人、国内の基地やグアンタナモの米軍基地を取材し、また従軍特派員として2009年5月から1ヶ月間アフガニスタンの米軍前線に出陣して実際にゲリラの爆弾攻撃(IED)にも遭遇するという体験もまじえ、世界一の戦力を持つ米軍が何故アフガン、タリバンとの戦争で勝てないのかを軍事的に考察した力作です。男勝りといっては失礼ですが、実弾が飛んでくる前線に出向いて取材をし、米兵達に公では聞きにくいような本音を聞き出す胆力、ジャーナリスト精神には頭が下がります。

 

私は以前から「対テロ戦争」は軍隊の本来の使われ方ではない、と指摘してきました。ある政治目的を達するために目標を定めて限定的に「相手国の軍隊に対して」使われるのが本来の軍隊の使い方だからです。国家をバックボーンとしないテロリストの殲滅を目的に非限定的(相手国の治安、経済、政治の全てに渡りしかも期間を限定せずに)に使用することは軍隊機構の構造からしてありえません。だから例え世界一の戦力を持っている米軍であっても、そのような使い方をしたらうまく行かないのは当然なのです。

 

著者は勝てない米軍の実態を、兵士達の目線から解明してゆきます。まず手製爆弾(Improvised Explosive Device IED)の爆風で飛ばされた経験のある退役した兵士達が、明らかな傷がないにもかかわらず原因不明の頭痛や感情障害に悩むようになる外傷性脳損傷(Traumatic Brain Injury TBI)に悩まされ、またその治療に十分な国家や社会のフォローがなされていない事を明らかにします。またベトナム戦時代と異なり、徴兵制がなく、志願兵のみになった現在の米軍では、前線に行く兵士は貧しい家庭の子弟ばかりで、しかも戦場に行く兵士の希望者が少ないため、10年にのぼる史上最長の戦争の中で、同じ兵士が何度も最前線へ出兵させられる実態が明らかにされます。その中にはTBIやPTSD(心的外傷後の障害)に悩む兵士が繰り返し戦場に向かわざるを得ない状況も示されます。一方で戦争に行く若者は国民の1%であり、殆どの国民にとって戦争は他人事になってしまい、兵士達の悩みや戦争の実態を当事者として意識していないと言います。

 

私は自衛隊医官の時代に米軍と共同演習を行って米軍兵士の診察もし、「良く診療してくれた」ということで米軍から感謝状をもらった事もありますが、当時(90年代)は米軍兵士といっても屈強なだけでTBIやPTSDを念頭におく必要などありませんでした。現在米軍の兵士を診る必要が出たら、このような知識がないと正しい判断ができない可能性があり、現役の医官の人達には必須の知識だろうと思われます。TBIというのはケーキの入った箱に外から衝撃を加えた場合を考えると分かりやすいですが、箱に傷はなくても中のケーキは元通りではありえない。全体の脳の形は変わらなくても、微細な神経回路がケーキのデコレーションが微妙に崩れるように変わってしまった状態と言えます。TBIは訓練を受けた神経科医が時間をかけて治療しないと治らないと言われており、多くの米国の若者達が受傷したことがいかに国家の損失に今後なってゆくだろうかと危惧されます。最近在日米軍の兵士達の奇行が報道され、飲酒禁止や夜間外出禁止など子供じみた規則の発令がニュースになっていますが、その背景にはこのような米軍兵士達特有の問題が隠れているのではないかと私は推測します(そのような分析をするメディアは皆無ですが)。

 

第二章では従軍取材で見た在アフガニスタン米軍の現状が赤裸に示されます。ここでは米軍の現地における任務(テロとの戦争)の実態が『DIGS/development. information, governance, security』に集約される事が説明されます。Developmentは道路や学校などのインフラの整備、そして反対テロ勢力の情報を市民から集め、政府や地方の行政組織を整備し、治安を維持する事ということの頭文字を会わせたものだと示されるのですが、これは本来軍隊の任務(相手国の軍隊を撃滅する)と全くかけ離れている事が明白です。実は、米軍はテロとの戦争が従来の軍の任務とかけ離れていることを十分理解していて(それでも本格的に取り組みだしたのは2005年から)COIN(counterinsurgency対内乱作戦)と呼ばれる戦術マニュアルが作成されました。著者は当時の司令官のDペトレイアス氏で、282ページに及ぶ内容はインターネットでもダウンロードできます(http://www.fas.org/irp/doddir/army/fm3-24.pdf)。このペトレイアス氏は最近醜聞問題でCIA長官を突如辞任したことで世間を賑わしましたが、実際はリビアの大使殺害事件でCIAとアルカイダの関係を議会で追求されそうになったために慌てて辞任したという裏事情が指摘されていて、氏がCOINの著者という事実と合わせて考えると、アメリカという国家が犯す「テロとの戦争という国家犯罪」の業の深さが偲ばれます(http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/cia-60de.html)。

 

アメリカは建国以来自衛のための戦争をしたことがありません。「戦わなければ家族が殺される」という切迫感なく、常にエイリアンのように他国領土を侵略して戦争をしてきました。だから米軍兵士の戦うモチベーションはせいぜい「共に戦う兵士のため」良くて「国益のため」以外にはありません。この実態は従軍した著者の兵士達からの取材でも語られます。前にも書きましたが、この戦争をする意義の矛盾を鋭く描いたのがCイーストウッド監督の硫黄島2部作です。つまり日本とアメリカの兵士が戦う意味を家族への「手紙」と「旗」に象徴させて異なる描き方をしたのです。そして2011年のB級SF映画「世界侵略、ロサンゼルス決戦」では祖国を侵略するエイリアンに対して家族を守るために死力を尽くして戦う米軍が描かれ(アフガンと違って何と生き生きとした米軍が描かれているか)、そこには家族への手紙が象徴として登場します。つまり米軍は「本当はこういう戦争をしたいんだよー」とSFでしか実現しない夢を映画に託したのです。

 

第四章では終わりのないテロとの戦いの今後を俯瞰しています。米軍は無人攻撃機によるテロリストの殺害(実際は多分テロリストなんじゃないのという怪しい人への有無を言わせぬ殺戮)に力を入れていて、確率的に一般人40人にテロリスト一人位の割合で殺害をしていると言われます。この罪無く殺される40人はコラテラルダメージと呼ばれ、仕方ないで済まされます。同じ事をイスラム国家がアメリカ人に対して米国内で行ったらどのような反応を示すか想像がつきますが、米国はこれを戦争犯罪ではなく、合法としています。当然の結果として、そのようなアメリカが大好きな現地人などいないので、アメリカを憎む人達が増加しつづけ、趣向を凝らしたCOIN戦略にも関わらずテロとの戦争はずっと続くことになります。無人機を使った殺戮はアメリカ本土で無線操縦で飛行機を飛ばし、誰も兵士は死なず、費用も安く、何人殺したという戦果の報告もしやすく、軍産複合体の利益も大きいので国民受けも良いのですが、COINの方は人と金がめちゃくちゃかかります。米軍はアフガニスタンにおける安定した国家社会の設立を「テロとの戦争」の終結にしたいと考えているのですが、無人機攻撃が増えればそれだけ敵が増えて終結が遠のくというジレンマに出口を見いだせない状態に陥っていると言えます。そしてもう政府の財政支出も限界が見えている。だからこの本の題「勝てないアメリカ」という結論が導きだされるのです。

 

ここに来て自衛隊の国防軍化、集団的自衛権による米軍への協力といった事柄が突然選挙の公約の中に日本の喫緊の問題の如く上げられてきたのは意図的に起こされた尖閣の問題だけの事例ではないことが見えてきます。日本の自衛隊にもCOINをやってほしい、ということではないでしょうか。その意味でもこの本は現在のアメリカと日本を考える上で有意義な著作と言えます。

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書評 誰も書かなかった世界経済の真実

2012-10-18 01:09:23 | 書評

書評 誰も書かなかった世界経済の真実 浜 矩子 著 アスコム2012年刊

 

揚羽蝶の様な風貌と男らしいだみ声に圧倒されてしまい、テレビで経済解説をされていても言っている内容がちっとも頭に入ってこない浜先生だったのですが、何か良い事を言っているようだと以前から気になっていました。そんな浜先生が2時間で今がわかるシリーズの経済本を出されたので手に取って読んでみた所、数ページ流し読みしただけで非常に面白い。思わず購入してじっくり読んでみました。

 

氏は同志社大学の経済学教授をしておられますが、元々一橋大を出て三菱総研のロンドン駐在員など実戦の現場で活躍しておられて通貨や貿易の実務を肌で経験してきただけに書いている内容が理解しやすくまた現実に即していると思いました。本書の主題は「現在のグローバリズムは本来の自由貿易のあるべき姿から乖離しつつあり、戦前のブロック経済の反省から出発したGATTやWTOの理念から外れ、再び世界を排外的なグループに切り分ける不自由な世界に戻りつつあるのではないか」という警鐘を鳴らす事にあります。経済の自由化を目指したWTOの基本理念は「自由・無差別・互恵」の三大原則にあると言います。しかし世界は各国毎の個別FTAやEPAを進める傾向にあり、その最たる物が「野田民主政権が進めるTPP」であると主張します。個別のFTAというのは締結国以外を差別化するものであり、TPPに至ってはアメリカだけが利益を得る一方的な経済協定であって「無差別・互恵」の対極に位置するものだと喝破します。私も全くそのとおりと思います。浜先生見た目に惑わされていましたが素晴らしい経済学者です。

 

手前味噌ですが、私もグローバリズムの行き着く先はグローバル企業に都合の良いブロック経済圏の形成ではないか(http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/3fcf7008a0990ea85ab2d2aabc513225)と素人なりに危惧を抱いていましたが、浜先生の主張は「我が意得たり」の内容であり、しかも本来の自由経済のあるべき姿はこんな物ではないという歴史に基づく説明は非常に説得力のあるものでした。

 

氏は現在の偏った自由貿易の姿に至る過程を「歴史を遡る旅」という形で分かりやすく説明してくれます。まず1995年に遡り、世界貿易機関(WTO)の設立から話が始まるのですが、その具体的成果となるドーハラウンドというのが結局参加国の同意が得られずに終わりなき通商交渉として今に至っていて、その一方で個別のFTAが次々と結ばれてしまっている状態を説明します。

WTO設立に至る過程では、その前身であるところの「関税と貿易に関する一般協定」(GATT)の成立過程が戦後の1948年に遡る旅として語られます。第二次大戦後有り余る工業力をアメリカが世界に輸出で生かすために国際貿易憲章(ITO)の設立を計るのですが、自国の議会に否決されてしまい、その代わりにGATTによる関税を低減させて貿易を活性化する協定が世界で結ばれるに至ります。しかしケネディラウンドやウルグアイラウンドを経てもなかなか貿易自由化の実りが得られないことからWTOの構想に至ることが語られます。

 

本書の旅はそもそも何故世界は自由貿易が大事と考えるに至ったか、という命題に答えるために世界がブロック経済と化して第二次大戦に至った1930年代にも旅をします。そこでは大恐慌の元になったアメリカでさえ頑固な保護貿易主義であったりします。そんな中で1934年にアメリカは互恵通商協定法という将来の自由貿易につながる協定を各国と結ぼうとするのですが、当時は帝国主義と植民地経済が中心であって、その考えが広がることなく戦争に進んでゆくことが語られます。

 

氏は「本来自由貿易の目指すものは自由貿易そのものではなく、完全雇用ならびに高度かつ確実に増加する実質所得および有効需要の確保である」、(p85)と説明し、自由貿易はこの最終目標を達成するための手段にすぎないと言います。「基本的に完全雇用目標が貿易自由化目標に優先するもの」であり、「自由貿易は生かすも殺すも当事国達の見識と節度にかかっている」「自由貿易の世界は基本的に性善説が通用する世界でなければならない」というGATT/WTOの基本理念の説明のあたりはTPP礼賛の凡百の御用経済学者達はもう一度一から自由貿易について勉強しなおせと思わせる内容です。

 

本来あるべき自由貿易の姿は「自由・無差別・互恵」であり世界の人々が幸福になるものです。そうであるならば私は自由貿易について全面的に賛成です。いやービジュアルを含めて浜先生のファンになりました。

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書評 消費増税亡国論

2012-09-06 00:05:22 | 書評

書評 消費増税亡国論 植草一秀 著 飛鳥新社 2012年刊

 

でっち上げの痴漢えん罪で長期勾留、社会的抹殺を一度受けた著者は、社会に対して負けずに正論を発信し続けています。この本は野田内閣の消費増税に焦点を当てながら、民主党政権が2010年6月に反小沢・鳩山クーデターによって国民に約束したマニフェストと正反対の施策を打ち出してきていることに違和感を感じている我々が、具体的に何がおかしいのか、何故おかしくなったのか、本来どうあるべきか、また今後の日本が本当に良くなるにはどうすれば良いか、といった建設的な意見ものべつつ纏めた良書と言えます。語り口は平易で分かりやすく、参考資料もふんだんに付けられていますので説得力もあります。

 

著者は「シロアリ退治なき増税はありえない」という野田首相が選挙前に行った演説を社会に再度広めた功績がありますが、この本では民主党が掲げたマニフェストに立脚して選挙という民主主義の基本ルール通りに政治を行わない菅直人以降の民主党政権の異常さを的確・明瞭に指摘しています。

 

私自身、増税にもTPPにも反対であり、公務員改革、医療改革も必要であると思います。著者の種々の具体的な改革提案について私も賛同する部分が多いと感じました。例えば現状の上級職国家公務員は入省すると退職まで同じ省に所属し、年功によってポストが減るので順次特別法人などに天下らないと成り立たない組織になっていますが、全ての職員を定年まで奉職できるようなシステムにして退職20年前に遡って退職後10年は関連した民間企業や特殊法人には勤務できない決まりを作るといったことは法をいじるだけで可能な改革です。私はそれに局長以上は省の壁をなくして内閣府所属として全ての省のポストに自由につけるシステムにするべきだと考えます。たいていは皆東大文一の同窓なのですから、どこの省の仕事もできるはずです。これは自衛隊において将官以上になるとgeneralとして普通科(歩兵)特科(砲兵)機甲(戦車)などの兵科の区別がなくなり、科別の徽章を外すことに倣っています。つまり一部の兵科にこだわっていては全体の目標である敵を倒すという目的を達する事ができないという常識に従った結果です。陸海空3軍の統幕議長も本来それぞれの軍の制服は脱ぐべきなのですが、持ち回りなためそれぞれの服を着ています。しかし基本となる考え方は同じです。

 

自衛隊においても将官にならない二佐どまり、或は一佐どまりの人達は防衛大卒の幹部であっても兵科徽章を外す事はありません。つまり公務員一種の合格者も局長以下で定年まで残る人達は省に残ってベテランとして統率してゆけば良いのだろうと思います。

 

本の内容から外れましたが、「政府の予算措置はよく見ると天下り組織に流れるようにできているものが非常に多い、唯一異なるのは子供手当のように直接国民に渡される場合である。だから役人に何のメリットも無いこの手当はつぶされるのである。」という指摘などはまったくその通りだろうと思います。

 

この本に指摘される内容が繰り返しNHKなどで詳しく報道されるようになれば日本はもっとまともで住みやすい国に変わってゆくだろうと思います。

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