今回の上京の目的の一つにフェルメール展がある。上野の森の東京都美術館で開催。日曜の朝、開館20分前の8時40分に駆けつけたが、上野駅公園口から降りる客は既に殺気立っている。レース前の選手のように美術館へ駆けるのである。
既に150人近く並んでいが、ほとんど開館と同時に見ることができた。
自分がフェルメールを意識したのは2000年の大阪である。その時の図録が写真右手である。青いターバンの少女(真珠の耳飾の少女)が目玉であった。写真の真ん中が今回の図録。左手は1968年末の「レンブラントとオランダ巨匠展」の図録で叔父にいただいたもの。この時初めて日本にフェルメールが来た。しかし、当時の主催者の国立西洋美術館長が「(フェルメールの所持者は)貸し出しを極度に嫌うため、初期の作品(「ディアナとニンフたち」1点)しか展示できぬのは申し訳ない」と巻頭言に書いている。
今回この「ディアナとニンフたち」を含め7点の作品が出展されていた。世界中で36点しかないので貴重は貴重。大阪の時は5点。うち1点「リュートを調弦する女」は共通。まぁ押すな押すなの館内でありましたが、しっかり見てきました。
美術館を出る頃には1時間待ちになっていました。上野公園の中を人が川の流れのようにこの美術館に向かって流れており、さすが大都会と感心するやらあきれるやらでした。14日までの展示。
既に150人近く並んでいが、ほとんど開館と同時に見ることができた。
自分がフェルメールを意識したのは2000年の大阪である。その時の図録が写真右手である。青いターバンの少女(真珠の耳飾の少女)が目玉であった。写真の真ん中が今回の図録。左手は1968年末の「レンブラントとオランダ巨匠展」の図録で叔父にいただいたもの。この時初めて日本にフェルメールが来た。しかし、当時の主催者の国立西洋美術館長が「(フェルメールの所持者は)貸し出しを極度に嫌うため、初期の作品(「ディアナとニンフたち」1点)しか展示できぬのは申し訳ない」と巻頭言に書いている。
今回この「ディアナとニンフたち」を含め7点の作品が出展されていた。世界中で36点しかないので貴重は貴重。大阪の時は5点。うち1点「リュートを調弦する女」は共通。まぁ押すな押すなの館内でありましたが、しっかり見てきました。
美術館を出る頃には1時間待ちになっていました。上野公園の中を人が川の流れのようにこの美術館に向かって流れており、さすが大都会と感心するやらあきれるやらでした。14日までの展示。