黄砂がひどい。朝の鈴鹿の山は、5㎞ほど近くへ寄らないと山容が分からないほどだった。鈴鹿PAから高速道路にのって、山の神と一路京都へ。10月下旬以来の京都。
ついて、まず鹿田喜蔵商店へ漆の買い出し。2度目だが、専門店の店内は素晴らしく中身が深い。このほかの予定はなかったので、仕事休みの娘と平野神社へ市バスで桜見物に。(写真;平野神社)京都は4年間学生でいたが、当時は神社仏閣にそれほど興味はなく、有名な所でも訪れていない寺社のほうが多い。60種の桜があるという、ここもそうで、全く知らなかった。平日ながら桜目当ての人出もそこそこあった。(飲んでいる人はいないけれど)
ランチは神社近くの「蕎麦酒房櫟」で。人気店らしい。
神社の近くには佐藤喜代松商店と言う漆の大手(京友禅型紙に使われている?)もあり、やはり街は何でもそろい、良い。
帰路は、時間もあり経費節約、瀬田西ICまで高速利用し、1号線BP経由して帰宅の道へ。
ぐらいしか聞こえない、昨日のサイクリングコース(旧311号;標高270m程度)。こういう景色の所ではゆっくりしたい。以前は植林された木々でこの景色は見ることができなかったが、7,8年前ぐらいから所々伐採され見ることができるようになり、魅力を増している。
お彼岸には来れなかったのでと、山の神と尾鷲へ墓参りに行く。
自分の目的はもう一つあって、定番の県道778号(旧311号)サイクリング。1周24km と短いながら一級のサイクリングコースだと思っている。
今日は暖かく、17,8度はあるかと。レーパンにこの春、初の半そでジャージ(アームカバー着用)。10時45分頃尾鷲の街中を出て、行野浦まで海岸線沿い、ここから山道へ。10%ぐらいある登りの取りつきも、先日の竹原林道の取りつきに比べれば緩やかなものだ。使うギアが2段小さい。ここを過ぎれば、のんびり登れる坂。29年前に八鬼山トンネルが開通するまで、九鬼から尾鷲に出るにはこの道しかなかった。ということで変に急な勾配はない。230mほど登れば展望が開ける。桜も咲いていて、春の景色。(写真、島は桃頭島)
標高340mぐらいまで平坦に近い勾配で登って、後は一気に下り。国道311号に出会って、八鬼山トンネルを抜けて市街へ戻って12時15分終了。
昼食後は、「東邦石油の桜」見物。満開でした。
今日も絵の作業。「中村川」も最終化粧で、気になるところをお手入れ。荒れた肌を修正。
「フランス人形」の方は、口の位置を0.7~0.8mm上に移動した。人形の頭は現物の95%程度で描いているが、現物よりやや鼻と口の間が広かった。人間は年齢を重ねることで、口と鼻の間隔が伸びていく。幼児の段階が一番狭く、従って絵でも狭くすると幼く見える。口を鼻に近づけると、両眼と口を結ぶ三角形も小さくなるので、小顔に見える。
ということで、少しは人形らしい顔になってきた。(なお、胴体部分は90%、絵では手前にある足(靴)はほぼ100%で描いている)人の顔はコンマmmの世界、難しい。(写真は昨日の竹原淡墨桜3/14に比べ満開で白くなっている;なお、この桜は根尾の淡墨桜の子どもを移植しているらしい)
美杉村(津市)の漆集落を訪ねたのは15年から10年ほど前のことと思うのだが、忘れてしまった。ただ、この集落は周囲を山に囲まれた開けた高地(標高500m~540m)にあり、地形上興味深い所だ。ゴルフ場も建設されているなど、隆起した準平原のような感じだが、その成り立ちは良く知らない。
28Tが使える、娘のRD4600を付けたジャイアン号だがティアグラの28Tのギアを普段使わないホイールに嵌めていたので、外して、今使っているニュートロンに昨夜付け替えた。それで試してみようと、漆集落への道をとる。
自走ではしんどいな、と久居市民プールPまでデポ。9時半、一路美杉の谷へ。
まず、登りの取りつき、竹原橋を渡ってJR踏切を越えて左折。林道を登る。名前は分からないが、仮に「竹原林道」としておくけれど、なかなか勾配がきつい。10%越えは普通、ということで28Tを使うも脚を削られる。1kmで110mほど登ると君ケ野ダムからのぼってくる林道と出会う。一旦勾配は緩むが、すぐ登りは始まり、脚は休められない。路面は綺麗なので走行に問題はない。勾配10%(またはそれ以上)は連続する。途中で脚を休めないと進めない。つくづく衰えを知る。武平なんぞ登れんナと感じた。ようよう標高600m(標高差500m)のサミットを越えて、漆集落までは下り。
漆集落のかっての分校跡で写真。(前来た時もここで写真を撮った)
漆からは一旦軽く登って、比津峠まで激坂を下る。登ったことは無いが、登ろうとは思わないほど勾配がきつい所。
比津峠を八知側に降りて、八知の「山里」へ、12時前。
この間の御杖村の鹿フライのお口直し。冷蔵庫から出してきた鹿の生肉を揚げてくれる。鹿フライ定食850円。大将に八知から漆へ登る林道の状態について確認したが、「車も通るし、綺麗だよ」とのこと。県道693号のように全面杉の枝葉で覆われている、という事はなさそうだ。
帰路は竹原の淡墨桜を見物。満開となり、花が全体に白くなっている。散り始める頃には花が墨を引いたように見えることが名前の由来。
この先、初めて通る道をなるべく選びながら、デポ地へ戻る。走行69㎞。
昨日の続きででもあるが、現在の悩み一つに、手持ちのF50号キャンバスに何を描くか、ということである。自分にとっては大きいキャンバスなので、良く考えないと制作自体持続できないと思う。家の中で考えていても、悩むだけ。
11世紀北宋の学者先生が、文章を考えるに三上、つまり、馬上、枕上、厠上が多い、と言っている。ということで、午前中サイクリングとした。「馬上」の代わりになるかと。椿~和無田コース48㎞。
結局、車などの注意しなくても良いような道なら考え事もできるかもしれないが、今日のコースでは、考えることは今ペダルを踏んでいる事ばかりだった。どちらかと言えば、脳みそを空っぽにするためにのってきたから、なぁ。考え事には効果的ではないかも。
帰途、鹿間の「ちどり寿司」で稲荷ずし3個入り120円を購入。(写真;看板はわざと逆様になっている)家までウエストポーチに入れて昼食の足しに食べることとする。
天気は良いが、絵の作業。描いている「フランス人形」も細部の作業となってきた。今日は「ヒトデ」と「一輪挿し」の取っ手部分の細部を描く。(写真)
人形の服の色が気に食わず、3/8の状態からオレンジ系でグレーズしたが、色が濃くなりすぎ失敗、さらに塗り直しをしたので、乾燥を待っている所。バックが暗いので、なるべく明るい色にしたかった。また、濃い緑色の縁取りも、実物は色あせて灰色ぽい。生地の裏側を見ると、しっかり濃い緑色なので、作られた当時はそうだったんだ、と。作られてから、100年ぐらいは経過していると思うので、服も色あせる。ということで、なるべく作られた当時の色にしようかとも。
また、絵を描いている時は、時々逆様にして、状態を見る。こうすると、変な所が分かるのである。人間の眼は、多少おかしい所でも頭の方で修正し、常識(これまでの知見)にあわせてくれる。
眼で見ると言うが、本当は脳で見ているのが人間。デジカメの画像処理エンジンが脳のようなもの。その脳が機械ではないのであるがまま正確に働くとは限らないのが面白い所。おかげで世の中、色んな人が色んな絵を描いている。
今後どんな風な絵を描いていくのか、というのが今の課題で悩みの種。
中3日のサイクリング。最近定番だが、中3日というのがリフレッシュにも、ちょうど良い感じもある。仕事も5連勤でなく、3連勤の繰り返しだと体に良いのでは?などと勝手に思う。
予定より出るのが遅くなって9時近くになった。今日のランチは一粒庵の弁当と決めていたが、12時近くになるのでは、と売り切れを恐れて、まぁその時はその時と、ペダルを踏む。
高良城(こうろぎ)林道も、瀬戸林道もまったく御無沙汰であるので、走ってみようかと思ったのだ。まずは錫杖湖への登り、湖水荘自販機で水補給して、伊賀越えの道。後に高良城が控えていると思うと、馬力はかけられないが、弁当も気になって、ひたすら標高500mのサミットへ。峠を降り、県道を下って、林道分岐まで。ここは標高315m程度。ここから瀬戸林道分岐まで約300mの登り。
久しぶりの高良城林道は、新しい橋もできているが、雰囲気は変わっていない。10%表示の所から勾配は急になり、九十九折れの始まった所で写真を撮る。(ここから約1㎞、100mの登りで分岐まで)昔はアウターで登ったこともある坂だが、今は34T-25T使い放題。
瀬戸林道分岐は標高約600m、ここから青山高原へは200mの登り、今日はここまでなので、高原の上はまたの機会に。
さて、瀬戸林道、1度しか通過したことないので、さっぱり忘れている。登る場合は最後の1㎞が急だった記憶のみ。今日は下りであるので、慎重に。尖った落石が多い道。踏むとパンクする。石に注意するので、景色を見る余裕が無かったが、後半勾配が緩くなり、ゆっくり走行で景色も楽しむ。
その中で、渓流の色が綺麗なグリーンの所もあり、自転車を降りて、絵の題材になるなぁとしばし眺める。集落近くにはよさげな滝もあった。
南長野からは県道に復帰して、12時ジャスト、一粒庵に到着。しかし、不安がドンピシャ。「今日は、良く出て、完売です」と非情なお言葉。仕方なく、県道を走って、コンビニランチの仕儀となった。帰路は中勢BPで1時半頃帰宅。走行80㎞
あまり暖かいので、午前中はスタッドレスの交換作業。FIT号とSpike号の2台。これで、ここ3年ぐらい一度もスタッドレスが役に立つことは無かったのではないかと思う。年に一度ぐらいは雪の上を走らないとネ。
午後から婆さん宅のアトリエで絵の作業。フランス人形のボンネットは縁取りにレースが3層複雑な形につながっている。これを細い筆でなぞってみるのだが、上手くはいかない。
使う筆は、写真の「ネイルアート筆」(ナイロン毛)。100均で8本入り。最近使い始めた。上の筆は細部を描く時に使う、namuraのシベリアコリンスキーセーブル(シベリア産のいたちの毛)SK.LLA00号。8本100円と1本1600円の差がある(税別)。勿論、高い方の筆の方が、より細い線が長く描けるので、髪の毛を描く時などは外せない。が、短く細かい所には100均筆で十分だ。使用後は石鹸でも洗うので5,6回は使える。
弘法は筆を選ばず、なんていうが、普通の人の場合、良い筆は良い。安い筆でも使い方次第、という所か。
今日作業した、人形のボンネットの部分は再度の書き込みが必要だが、要所、要所に高い筆を使う、かな・・・。
良い天気、中3日のサイクリング。今日は前から気になっていた、伊賀市高尾から名張市長瀬へ抜ける県道693号を走ってみることとした。県道693号は霧生から高雄間にもあるが、ここは往復路で走ったことがあるが、長瀬へ抜ける道は行ったことがない。
自走では距離があるので、老体、無理せず久居市民プールPまでデポ。9時にデポ地を出発。まずは亀が広~家城で美杉の谷に入る。伊勢鎌倉を過ぎて、県道39号で桜峠の道に入る。峠まで標高差420m程度。ゆっくりと登る。2㎞ほど行った不動寺下にある「平和」と刻まれた谷中の碑の前で小休止。敗戦前の7月にB29 から名古屋方面で落としそこなった爆弾を捨てられ、7人の小学生が亡くなっている。
ここから2kmほど登ると廃村となった谷中の集落跡へ。江戸時代の墓が路傍に残る。更に2.5㎞ほどで桜峠。登るのは3回目で、前に登ったのは7,8年前になるか?記憶があまりないのでサミットが遠かった。
さて、高雄酒屋地区から登る県道693号。ワクワクしたのは最初だけ。杉の枝葉に埋もれた路面の荒れた道。パンクしなきゃいいがと恐る恐る登る。120mほど登るとサミット。いったん下ると田んぼがある。隠れ田のような感じ。再度小さい丘越えで長瀬への下りが始まる。急勾配で、枝葉に埋もれた道。ガードレールなどないから、操作を誤ると谷底へ飛んでいくような道をパンクも気にしながら慎重に降りる。200m近く降りたところで、長瀬の集落。大変な怖い道でした。
ここからは国道368号で快適な道を走って、御杖村の道の駅へ。ちょうど12時になったのでここでランチ、と思い、「ダムカレー」870円。カレーに鹿肉のフライが2つ入っている。感想は「鹿肉フライは山里に限る」でした。やはり生肉に衣をつけてその場で揚げるフライにはかなわない。大体、薄いし、解凍のような気がした。ここから約20分、下りメインの道を走れば山里には着くのだが、まぁ何事も経験しないと分からない。
12時半過ぎに道の駅を出て、下りを飛ばして、逢坂峠経由、山里の前を通過して、最後の目的地、竹原中原の薄墨桜。桜峠へ登るのだし、桜見物も良いかと、往路に川越しに横目で見て、帰途、寄ろうと思った(写真)。7,8分咲きぐらいか。今年は早い。
帰途は県道15号で大仰経由デポ地へ2時頃戻る。走行87㎞
今日のニュースで見た。JR貨物として、四日市~稲沢間の貨物をけん引していたDD51が今日で最後に引退するという。
DD51は昭和44年(1969年)10月に、通学に利用していた関西線(亀山~名古屋)のSL、C57を追いやったディーゼル機関車でもあり、当時(高3)は嫌な奴だ、と思っていた。運転席が中央にあり、機能的過ぎて、いささか風情もない、当時、鉄ちゃんだった自分としてはとても写真の被写体にはならないと、撮ることはなかった。
しかし、引退となると、50年以上(1962年が最初であり60年近くとなる)稼働していた形式であり、優秀な機関車でもあったということか、と、今となっては思う。
ということで、高3の9月4日に撮影した黄ばんだ写真。桑名~富田間にあった朝日信号所(現在は駅になっている)にて。
(上り928レDD51664 下り229レC5783 と記録にある。なお、鉄オタネタですが、C5783号機は前方両サイドにあるデフレクター(除煙板)が門デフという門司鉄道管理局小倉工場で発案されたものを付けている。除煙板は運転席に煙がいかないよう気流を発生させるためのものだが、デフの下部にはシリンダーがあり、点検整備に邪魔となる。それで整流効果が少ない下部を切り取り加工されている。名鉄管理局内では当時この1機のみで特徴があった)
中3日でのサイクリング。行き先は、「杜のカフェいこいこ」のランチ。ここで、ランチは初めて。
11時半からの営業で、9時前に家をでれば良いかと算段。まずは安楽越え、もう、さっぱり登れません。苦しいのみ。心臓の病と歳のせい。仕方ないけど、安楽が苦しい、とは、いささか笑えないし、時間がかかるのは予定が狂う。
国道1号蟹が坂からはいつもの鹿深の道。久しぶりに神の集落の旧道を走る。バイパスができる前はここを通過していたが、集落の名前も謎めいているし、ゆったりした雰囲気が好きな所だった。
油日神社あたりで時計を見ると、開店に遅れそうだと少し追い込んで柘植の街へ。開店数分後に到着。
廃止された保育園の建物を利用しているので、ここは玄関でスリッパに履き替え、旧教室?のような所で頂くことに。で、最初の客としてランチ550円(税込み)を注文。(写真)今日は「鮭のタルタル、かやくご飯」。コスパの良い美味しいごはん。ただ、ご飯の量が少ないので女性向き、かな。別途スイーツに「和栗モンブラン」とあって、頼めば良かったが、今日はランチのみ。他にカレー(500円)、うどん(300円)などがあり、平日昼のみ営業ではあるが利用価値はありそうだ。
お代を払って、ランチの用意数を聞くと、「コロナでお客が少なく10程度、以前は20程度用意していた」とのこと。予約もできるので数がいる時は予約がベターかナ。今日は12時までに女性客一人がランチで入店。
12時ごろ店を出て、加太越えへ。坂の上のほうから通学自転車で勢いよく下ってきた高校生、長袖の肌シャツ一枚になって走って行った。確かに加太側から登れば汗もかくような温かい天気ではあるが、風邪ひかないようにね、と思う。
関から農免道路で13:40頃帰宅。走行88㎞。
今日は絵画サークルの日。午前中は家で絵の作業をして、午後から出かける。
まず「中村川」を先生に最終チェックしてもらい、これで出品することで了解を頂く。
フランス人形の方は、バックのチョコ色の処理がいまいちだったので、ブラウンピンク(透明色)でバック全面に塗り重ねる。人形の服の色の処理も気に食わないので、どうしょうかと、筆も持たずにあれこれ考える。結局、服の縁取りを濃い緑色で上塗りして、今日は終了。はかの行かない日だった。(写真:フランス人形)
どうも、良く見ないで描きだしたものは、後になってやり直し、ということが多い。今の自分にとって、絵を描くという事は、見ることが8、9割で、描くのはせいぜい2割だな、と思う。見ることに慣れるには、経験を積み重ねるしかない、のだろう・・・。
金曜から日曜まで、絵のサークルの方が個展を四日市文化会館で行うという案内を頂いたので、暖かな土曜の午前、自転車で行ってきた。
それだけでは、と思って、往路に楠本郷にある郷土資料館へ立ち寄って、見学する。ここは、戦前楠町長なども務めた元庄屋の岡田家の住居で、寄贈を受け、平成14年に整備され資料館として公開されている所。岡田家は、14世紀、初代楠城主であった諏訪十郎貞信に従って諏訪より移ってきた家柄、天正12年秀吉により楠氏が滅亡すると農家となった。
先週のサイクリングで鈴鹿川堤防道下の四日市貝家地区に「楠城主楠十郎公の碑」と書かれた石柱を建てた民家があり、今日はその由来を確認したかったのであるが、資料館担当の方では良く分からなかった。その家は中島姓であり、城主の子孫かもしれない、と思っているのだが・・・。
岡田家伝来の品の展示の中には渋沢栄一の書もあった。(写真)昭和2年87歳の書で、「ぎょうはつとむるにくわしく、たのしむにすさむ」と書かれ、「学業は勤めれば勤めるほど精通するが、遊びにふけっていればいるほどすさんでだめになるものだ」という事で、中国の韓愈(824年没)の「進学解」の文章という解説であった。(青淵老人書とあるが青淵は渋沢の雅号)【なお、この続きの文章は「行成干思毀干随」で「良く思考し行えば成功し、無計画に進めるならば失敗するだろう」の意】この頃の渋沢のお気に入りの文なのか、ほかの所にも同様な書があるようだ。
学業に限らず、なんでもおなじですナ・・・。
このあと、文化会館で個展を見て、ついでに古万古焼の展示があったので見て、松本~波木経由で帰宅。走行36㎞の暖かな日のポタリング。
桃の節句、春めいてきた。天気も良いのでサイクリング。今日は風も強めで、ゆっくりペース。
8時40分頃家を出て、グリーンで美杉の谷へ。気温はまだまだ低めだが、昼には10度になる予報。美杉の谷も光が明るく、春めいている。11時半頃「山里」で鹿フライランチ、850円。今季4度目か、美味い。寒い時、サイクリングするための人参だ。眼の前に猪の下あごがあったので、盆に載せてみた(写真)。10㎝近くある牙で人を持ち上げるように突くのであるから、死に至るような大怪我になるのは必定。
まな板の上で大きな鹿肉の塊をさばいている大将と「大将も狩猟するん?」と聞くと、「箱わなでナ」と。「エサは?」と聞くと「ぬか」と。イノシシは豚熱(豚コレラ)で捕っても食えんしな、とも。ウリ坊なんかも山で死んでる、とも。
12頃店を出て、今日は比津峠越え。集落の紅白梅の花が綺麗だ。
峠を越えて、八手俣川沿いに下り、工事通行止めの旧道を避け、下之川BP経由で矢頭トンネルへ。
大仰、久居、中勢BPで3時頃帰宅。走行117㎞。