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自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

明和一揆

2025-07-10 | Weblog
 1週間ほど前に新聞記事で「穴虫の郷」の蓮の花が満開だと報じられていた。そういえば、今年は行っていないな、と、サイクリング。
 今朝は天気が良く、朝から蒸し暑い。8時過ぎに家を出てのだが、漕ぎだしから暑い。
 まずは、新名神鈴鹿PAに展示されている、ネルソン・ピケのF1マシーンを観に行くことに。1987年オーストラリアGPでのピケの車。F1ホンダ黄金時代の幕開けだった。この後にアイルトン・セナが出てくる。
 椿神社~東海自然歩道で両尾へ出て鈴鹿川右岸の農道で、穴虫の郷へ。花は、やや盛りを過ぎた感じだった。もう少し早く来れば良かったか、と(蓮の花は、時刻も早朝に限る)。
 穴虫の郷の入り口付近にある建物が、昔の小学校ではないかと、前から気になっていたので立ち寄る事に。小さなグラウンドみたいなのがあるので分校ではなかったかと思うのだが、現在は集会所。その隅に石碑があったので、見てみると、義民喜八の碑、とある。刻まれた文章を読んでみると、明和5年(1768年)9月13日の一揆の責任者の一人のようだ。翌年、阿野田の蹟(河原)で処刑とある。
 家に帰って、鈴鹿市史第2巻を読むと、苦しい藩財政のために年貢増徴を図ったが、このためにさらに困窮が増すことになると、領内83か村の男子を広瀬野に集め、代官の罷免などを要求し、5500人が集まったという。14日朝から敵対した庄屋など数軒を打ち壊しながら、14日夜には阿野田河原で野宿、未明、藩からの100人を超す部隊で、一揆側に藩の下文(書付)を渡し、要求文書も受領した。万一に備え、現在、亀高のある丘に150人の鉄砲隊を待機させたとある。一揆側は、15日夜は広瀬野へ戻り、翌16日には解散、帰村となった。藩は代官などを更迭した。
 碑文には翌年とあるが、史書では2年後の明和7年6月に、伊船の真弓長右ェ門、辺法寺の喜八、小岐須の喜兵衛の代表3人が斬首となった。他4人が永牢となった。なお、真弓長右ェ門の先祖は私財を投入し「龍が池」をつくり開墾に貢献している。
 安楽越えの帰途、阿野田は良く通る地区だが、そう言う事があったのか、と昔を思うサイクリングだった。
HondaFW113 V6DOHCツインターボ PGM-F1

穴虫の郷の蓮の花
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天の川

2025-07-08 | Weblog
 昨日は七夕。梅雨も今年は異常に早く終わって、真夏の日照り。
 画像は、先日の「七夕茶会」で山の神が市内の和菓子屋さんに注文していた創作の主(おも)菓子。数度ダメ出しして、120個ほど作ってもらったそうだ。ダメ出しされた試作品も自分の腹に入ったが・・・。京都の和菓子屋さんにでも作ってもらったらべらぼうな値段になるだろうが、田舎は安い。
白い天の川をはさんで、二つの星が金箔のかけらで表されている。表現はそのまますぎるけど、食感は悪くない。
 昨日は、午前中、下庄~石山観音~あの津台~中勢BPの52㎞サイクリング。10時半頃帰宅で、暑いものの、短時間で問題なし。ただ、水は2本のボトルを飲み干し、あの津台で水補給。3本ほどで、2リットル近く飲む。
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夏の祓い

2025-07-04 | Weblog
 6月30日の神事だが、椿神社にも茅野輪が作られている。まだ、残っているかな?と思って、午前中、椿神社~水沢~和無田の定例コースサイクリング。
 椿神社の茅野輪くぐりをしてくると、山の神に言うと「ちゃんとお賽銭あげてくるんやで」と子ども扱い。確かに、家族と寺社参りした時は、自分は賽銭をあげない。「家族割」で良いのではと思っているからなのだが・・・。
 茅野輪は、椿神社本殿前に残っていました。今週いっぱいかな??8の字の通り順で、無病息災を願う。本殿前でお参りして心ばかりの小銭を賽銭箱に投入。
 あとは、水沢~西山、和無田~で帰宅。和無田池の姫コウホネは、可愛い黄色い花で、満開状態だ。
 走行50㎞。(画像は「椿神社」から頂きました)
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竹で行灯作り

2025-07-02 | Weblog
 先日、西庄内辺りで出会ったヒルクライマーの方(愛知県?)は美ヶ原に参戦すると言っていたが、結果は?と見てみると、年代別で優勝していた。富士ヒルクラに続いてだ。大したものだ。乗鞍にもでるのかな??MaxSpeedのYさんとはほぼ同年代で旧知の仲らしいが・・・。
 昨日は、8時15分前に家を出て、石山観音コース52㎞。途中、あの津台でストレッチなどしていたので、10時を回る帰宅となったが、猛暑でもこの時刻なら問題なさそうだ。
 さて、夜顔や朝顔、最近ではグロリオサの為に、毎年行灯つくりをしている。材料は冬に河川敷に繁茂している女竹と針金を使う。(夏の竹は使えないので、12月に採取している)
 今年は竹が不足したので、DIY店で自作以外に行灯を一つ買った。70㎝で300円程度の物だが。
 竹は有機物なので、3年ぐらいしか持たないが、それでも材料費としての現金支出は無い。針金代だけである。針金は再使用もできる。竹をのこぎりで適宜の大きさに裁断し、ドリルで穴を空け、針金を通して、止めるだけである。
 グロリオサには120㎝、夜顔には90㎝、朝顔には6,70㎝程度の長さで調製。夜顔は昨秋は種が取れなかったが、グロリオサの球根が多くできたので、庭に植えたりして、それが育ち、予想外に竹の消費が進んでしまった。
 竹製の行灯も自然な感じが良いと思っている。
 
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男は孤独・・・で良いのか?

2025-06-27 | Weblog
 しばらく雨模様の天気だったが、今日は一日晴れの予報。午前中、中4日のサイクリング。
 椿から久しぶりに小社集落の旧道を下って、八島川へ出る。
 小社集落の旧道は昔はバス通りだったし、椿神社へ行くときは常に利用していた。今は、ひっそりとした集落道。バス停のような建物の中で、4人ほど高齢女性が談笑中だった。毎日、朝の仕事がひと段落着くと集まってくるのでしょうな・・・。NHKの「世界ふれあい街歩き」などを観ていると、西洋ではリタイアした男性高齢者の顔見知りが朝から集まって、談笑している光景を良く見るのであるが、日本の男性高齢者は集まらんのかいな?孤独なのかしらん?普段の付き合いが無いためか・・・。在職中が地域で孤独という事かと・・・。確かに、自分もそうだ・・・と感じた。これで良いのか、とも。

 八島川から安楽川の堤防道へ出て、井田川~ホンダ西横の道(4車線工事中)で南下。ゴミ処理場の横を走って、中勢BPで帰宅。走行50㎞。
 午後は先生宅のアトリエで絵の作業。美術団体の現状等についてお話を聞く。

 見出しの画像は、我が家の「グロリオサ」。このところ、毎日40輪は咲いていて、なかなか壮観。球根で増えるが、一つの球根を植えると、二股に別れた球根ができて、虫に食べられたりしなければ、次の年は倍増する計算となる。狭い土地での管理を考えてもこの辺りが限界か・・・。
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亀山歴博への道すがら・・・

2025-06-22 | Weblog
 昨日は亀山歴博で、「古文書入門講座」。4年前にも参加していたが、身につけない内に止めてしまうと、進歩がない。やはり継続的に勉強しないと読めるようにならない、と思って今年も参加。月一で7回なので、それで自由に読めるようにはならない。古文書読解のきっかけ程度かな。
 自分の参加意図は、手元にある父方先祖の残した古文書55通余りを読んで、江戸時代のファミリーヒストリーを完成させることにある。
 4年前にざっと読んで一旦は書いたが、色々間違いもある事に気が付いているので、書き直しも必要。親族一同に本にして配布しようかとも思っている。
 今朝は、再度亀山歴博を尋ねるべく、サイクリング。昨日は、ばたばたと帰宅して、くずし字辞典を忘れてきた。取りに行く必要がある。
 まずは、椿神社へ、東海自然歩道で、西庄内から両尾へ。後ろから来た、速そうなロード乗りさんの後を付けるようにして走る。先に行って、というようなサインだったので、並んで話しかける。
 チームに属しているかと思ったが、さにあらず、ヒルクライムが好きだというので、乗鞍や富士の話をする。自分が富士ヒルクラで90分切れなかったと言うと、その方は40歳台、年代別で優勝した、と。来週、「美ヶ原」なので、ゆっくり走っていると。色々お話して、「イナーメ」にでも入れば、と言ったのだけれど。安楽~裏武平で帰る、と言うので、両尾で別れる。
 亀山歴博で辞典を受け取って、阿野田~下庄~中勢BPで帰宅。走行56㎞。

 見出しの画像は、家にある掛軸。上手いとは言えない、絵と字なのだが、文政9年(1826年)とあるので、当時家督を継いでいた当時53歳の女主人が書いたのではないだろうかと思っている(字も下手だが、絵も素人(女性)の描いたような線なので)。読めない字があるので、昨日はくずし字の先生に写しを渡して、解読をお願いした。)
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猛暑への慣れ

2025-06-18 | Weblog
 今日は35度近くになると言う予報。梅雨だけど、真夏。
 体を慣らした方が良いだろうと、午前中サイクリング。8時頃家を出る。
 このぐらいの時刻は、まだ暑くない。下庄から楠原、石山観音の坂を登る。木陰が多い道なので、負担にはならないが、ゆっくりと坂を登る。
 河内渓谷から雲林院へ走っていると、後ろからLOOK乗りに抜かれる。しばし後を付けたが分岐で別れる。やはり、LOOKはよさげ也。586SLだったか??などと逝ったチャリを偲ぶ。
 今日は、ヤマギシを抜けて、あの津台へ。水補給して、中勢BPで、10時40分頃帰宅。この時刻にはもう、暑い。頭から水を掛けるような感じ。走行52㎞。

 午後から、少し油絵。作業停滞中の「ベルン1995」に手を入れる。(見出しの画像)
 第一美術への加入は見送ったが、無理せず、ゆっくりマイペースで描いていこうと思うし、また、違う描き方にもチャレンジしてみたい。これから2,3年はそういう時期にしようかと、思う。
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鷲見雅次作「移動壁美術展」

2025-06-15 | Weblog
 今日は午後、アスト津で開催している、見出しの展示に行ってきた。
 新聞の記事を見て、ヤン・ファン・エイクに打ち込んでいる人が四日市にいるとは知らなかったので、行く事に。岐阜県出身の鷲見(すみ)さんは独学で絵を学び、画家を目指したと言う。21歳で名古屋の画廊で画家デビュー。自分と同年代(2歳下)なのも興味をもった。絵は高細密、かつ独特。ご本人と15分程度お話をすることができた。今後、15枚の同じ作品を制作すると言う。600年前のヤンファンエイクの絵のひび割れまで再現している。エイクは油絵の祖と言われる画家である。3枚ほど、有名な絵は良く知っているが、今日展示の作品は知らない絵ではあった。
 下の画像は、展示作の部分(左)と本物(右)小さな作品であるが、本物より小さめに描いているらしい。(画題は受胎告知(大天使ガブリエル)
 写実的絵画を描いている自分としては、こういう細密画をエネルギッシュに、苦労して描いている方に出会って、励みになった感じ。つまるところ、好きな絵を好きなように描けば良いかと。


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新聞紙・・・

2025-06-13 | Weblog
 昨日は、愛知県津島市役所へ、親父の残した絵4枚を寄贈しに運搬。絵を相続したのは兄だが、足腰がダメなので代理搬送という所。
 親父は5歳ぐらいから旧制中までは母親(私の祖母)と一緒に母親の実家(津島)にいた。関東大震災で東京から引き揚げたという所。
 私の母親も津島の旧市街で結婚までいたので、この辺りとは縁が深い。地元の祭りを描いた絵の寄贈は親父の遺言でもある。が、その絵は母のお気に入りでもあり、亡くなるまでは置いていた。やっと果たせたと言う所。
 市役所の約束の時間まで時間があったので、柿屋饅頭を買い求めた。ここの酒饅は旨い。店は昭和レトロで良いのだが、無くなってほしくないお店だ。
 市内に住む、叔父さんたちと会った後は、地元の酒「長珍」純米60無濾過生(八反錦)を買って帰宅。母の実家のすぐ近くの酒蔵だが、これまで飲むことは無かった。早速いただいたが18%の度数といい、飲みごたえのある実に良い酒だ。新聞紙に包んであり、通称「新聞紙」。(必ず5度Ⅽ以下で保存してください、と書いてある。勿論、酒瓶の入る箱と保冷剤は用意してきた)

 今日は午前中、椿定例コースサイクリング、50㎞。
 
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絵の事、色々と・・・

2025-06-10 | Weblog
 今日は、先生のアトリエで絵の作業。
 終了後、先生と相談。この間の第一美術展での佳作賞受賞により「準会員推挙」の手紙が来ており、その対応についてじっくりと相談。
 自分の絵の趣味は、あくまで趣味で、趣味の範囲で良い。絵を売って生活している訳で無し、国立新美術館での展示も経験としては良かったが、次回以降は無くても良い。展示は、要するに知った人に見てもらえれば十分だ。絵は自身の表現作業、コミュニケーションで、人に見てもらえる事がないとつまらない。また、売るわけではないので、そんなに生産する必要もない。
 大体これまで、50号を3枚描いた程度で、それ以上の大きさは描いたこともない。今描いている30号の絵で、描き始めての累計25枚目だ。油絵やり始めて7年間でこれだから、生産能力が乏しい。
 次は80号に挑戦しても良いが、風景でなく人物画をしたい。しんどい作業は描く意志優先でなければ貫徹できない。美術団体に入れば、100号で描くのは標準だ。しかし、今の所、その能力はない。
 ということで、しばらく時間的猶予をおくこととし、推挙を辞退する方向で、先生の了解を得た。まぁ、今後の展開次第、という所。ただ、講評で上手い先生から、的確な意見を頂いたことは大変良かった。こういう事が常時できるならばそれは魅力的だ。
 (なお、今回の巡回展、自分の絵は名古屋会場だけで、スペースの関係で京都会場では展示はないとの事。)
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