自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

京都往復(車)

2020-10-27 | Weblog

  娘が京都で働く、というので引っ越し。錦市場にほど近い都心のアパート。
自分は山の神と娘を送り届けるだけなので、手持ちの荷を降ろせば帰るだけ。6段変速のアルミフレームのママチャリは持って行ったが、ロードは部屋に入らん、という。せめてヘルメットだけでもと運んだ。
 京都は自転車があれば便利な街だ。大原や鞍馬あたりまでなら変速機付きのママチャリで十分行ける、と言っておいた。
 自分は改装なった京都市立京セラ美術館の企画展を観てから帰宅。この美術館は展示室以外の無料フリースペースが多く庭園も親子が東山を眺めながらピクニックに利用していた(写真)。
 京都になじめず帰ってくることを期待したいが、京都は学生で4年いたが、面白いからなぁ・・・。  

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うきさとむら往復

2020-10-25 | Weblog

 サイクリングに行こうと思っていた昨日は、寝坊をしてしまい、パンジー購入・植栽など園芸の日となった。ということで、日曜の今日がサイクリング。
 8時半前に家を出る。半そでメッシュアンダーに秋ジャージ 、風よけにウィンドベスト、脚はニーウォーマー。これに指切りグローブだと少し寒い感じ。まぁ 昼には暖かくなるだろうと予想する。行き先は中村川。一カ月ぶり。寒さを感じたせいか、調子が良くない。無理せずのんびりサイクリング。
 家から45㎞地点の中村川絵のモデルの場所。今描いている葉の色付きが昨年より進んで既に黄ばんでいる。
 11時5分前にうきさとむらへ到着し、準備中の看板の中に入ると西井のおばさんがいた。久しぶり。ランチは鳥焼きとご飯、800円(写真)美味しく頂きました。
 帰路をどうしようかと思ったが、調子が悪いし、そのまま往路をたどることとした。いつも登りばかりで、中村川の下りは全く久しぶりだ。
 しかし、この選択は間違い。山影の川沿いの道のダウンヒルは今朝より冷たい。下りは夏の道だな。でも、再度、12時頃の陽の高い時刻に、絵のモデルの場所で景色を確認できたし、色々気が付くことがあったのは良かったかな。行きと同じ道で2時ごろ帰宅、走行104㎞。細野峠経由と6㎞違うだけだった。

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雨の降る日は・・・

2020-10-23 | Weblog

 お絵かき。しかし、「中村川」も最終段階(写真)。草が気になるが、これは11月の景色なので、その頃に実物を見て、手を入れることにして、これもしばらくお休み。婆さんの絵に手を入れるが、もう亡くなってしまったので、なかなか気が乗らない。という事で、新しい絵を始めねば、と思っている。
 人物画が描きたいが、モデルがいる。これが手づまりで、好きな画家の模写でもするかと考えている。国内では小磯良平の洒脱な絵が好きで、こんな絵が描けたらなぁと思っている。一度神戸の美術館へ行きたいと思っていたが、コロナ騒ぎとなって足踏みだった。これもなんとかしようと思うが、静物画も描いたことがないので、ちょっと考えだした。
 静物画は構成が大事で初めてなので悩んでいるところ。

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赤木城址

2020-10-22 | Weblog

 日曜に訪ねた、赤木城址を書いてなかったので、少し書いてみようと・・・(写真)
 保存整備事業がH16年度で終了し、近時は何度もテレビなどで紹介され、また「天空の城」などとも言われ(雲海ができる時があるらしい)、少し有名になった(続名城100選)城跡。
 45年ほど前一度だけ車でこの周辺まで来たことがあったが、その頃は地図などで城跡があるのは知っていたが、何のための城なのか知らなかったし、歴史にも興味がなかった。山の中だし、砦程度と考えていた。
 赤木城は、藤堂高虎が豊臣秀長に命じられ築城したと言われる。諸説あるが天正17年(1589年)築城で、北山天正一揆の平定さなかである。北山一揆は江戸時代の百姓一揆と異なり、年貢をまけて、と言うような経済闘争でない。支配体制への反逆で、支配側には天地を揺るがす大事、従って処分は凄惨を極めた。(刃向かうものはなで斬りにせよとの命が下っていた)
 こんな山間僻地にこんな立派な石垣の城、何のために、の答えは全く軍事拠点。ただ、建物は瓦が見つかっていないことから、板葺き又は檜皮葺き程度の建屋であったという。
 北山慶長一揆後の、慶長20年(1615年)城の修復に近在の村人を駆り出して行い、修復落成祝いに主だった村人を招き入れ、次々に捕縛、160人を1㎞ほど離れた田平子峠で処刑、という舞台となった。(慶長一揆では363人も処刑されているのだが、これはその後の事である。(いわゆる残党狩り))
  赤木集落の北2km に平谷集落があり、そこに「三介地蔵」と言うのがある。地蔵様は今回見なかったが、三介は慶長北山一揆に加担したとされ、田平子峠で打ち首(さらし首)、妻子5人は平谷でやぐらに縛られ、下から槍で突かれたという・・・。
 その年、大阪夏の陣で豊臣方が滅び、江戸幕府により、一国一城令がだされ、赤木城は廃城となった・・・。

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秋冷

2020-10-21 | Weblog

  盆過ぎから始めた、ご先祖様の古文書解読、ようやく昨日で54通を読み終えた。端から端まで読んでいるわけではないが、書いてあることは概ね分かった。まとめたものを兄に送信して一旦作業終了。今日は午前中、軽くサイクリング。
 スフィーダーの38㎜に交換して、椿~八島川50㎞。帰途、安楽右岸の太田のコスモスが満開で立ち寄る(写真)。めっきり秋らしい気候で、涼しくなってきた。 

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北山一揆

2020-10-19 | Weblog

 今回の熊野行は「北山一揆」の跡に触れる目的があった。北山一揆は秀吉の時代の天正一揆(1586~89)と大阪城冬の陣の時の慶長一揆(1614~15)の2回あった。北山は現在の奈良県(上・下)北山村、紀和町(熊野市)御浜町の一部、和歌山県の一部を中心として発生。
 天正北山一揆は、秀長と山(山林)奉行の藤堂高虎、慶長北山一揆は関ヶ原で徳川方についた紀州の領主であった浅野長晟が相手方である。
 一揆の理由は諸説あるが、この地域は守護大名の支配が弱く、士豪、地侍が地域をまとめていた。そこへ太閤検地など中央支配の仕組みが強行される。士豪等は武士から年貢を納める身分になるわけで、不満がでる、そこへ豊臣に敗れた雑賀や山伏等の牢人残党が組して勃発、というのが定説?伊賀の乱も同様の構造かと思う。地域の既得権益が中央に侵されるという構図。 
 赤木城の建設も一揆が元であり1589に完成したらしい。今回訪れた田平子峠刑場跡地は一揆に加わった男のみならず、その妻子まで処刑された地である。天正一揆の際の数は分からないが、慶長一揆の際は冬の陣出陣で手薄な新宮城を攻めようと3000人が加わったものの、熊野川を渡れず、敗退し、ここで363人が処刑されている。また、慶長20年赤木城の落成祝いとして付近の有力者を呼びよせ、次々に捕縛し、160人がここで処刑されている。一揆の身内は徹底的に征伐された。
 今はこの地に昭和43年に設立された殉難者供養の塔が立っている。(写真)
 道路沿いには一本の表示があるのみだけで、そこから少し登る必要があり、分かりにくい。赤木城址とともにここも国史跡なのでもう少し説明板など整備が必要だ。また、現状の道路は開削されて作られたもので当時はもう少し広がりがあったのではと想像した。当時を思い、南無阿弥陀仏。

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みかん大尽とともに・・・

2020-10-18 | Weblog

 日曜の今日は山の神とドライブ。山の神の両親の命日が10月なので墓参り。
 済ませてからは、熊野方面へ向かう。今日の目的地は、熊野市紀和町の赤木城址と田平子峠刑場跡地。
 目的地に向かう311号はみかん道。みかんに目のない山の神は、尾鷲までのPA始神テラスで一袋みかんを購入していた。しかし、熊野・御浜は本場。まずは金山パイロットで詰め放題500円を2袋。次に神木のおばちゃんがたむろする販売所で、今朝の中日に載っていた「味1号」と「味3号」の甘い極早生品種みかんをゲット、近くの無人販売所(写真)で一袋100円をゲット、別の所の無人販売所を偵察してから再度最初の販売所で農家の方が補充しているのを見て、更に追加ゲット、昼食したさぎり茶屋で追加ゲットと車はみかんで満載となった。一袋100円のみかんは色つやなど商品に外された品でもあるが味はそこらのみかんよりは旨い。ということで、「みかん大尽」(旨いみかんに金を使うのを厭わない)とあだ名している山の神は大満足の一日であった。

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ゴムは消耗品(2)

2020-10-16 | Weblog

 ゴムの2題目。一昨日のホール交換でブレーキゴムを取り外したが、なかなか減りこんでいた。(写真;下が取り外したゴム、上は1年?使用した物との比較)
 日曜に鈴鹿スカイライン(武平)を下っていると、ブレーキの効きがやや緩め?と思った。45~50kmで下るとカーブ手前の減速で普段より気を使わないと思うラインが取れないので危険かな?と。旧料金所で後続の車をやり過ごしてゆっくり降りた。効かないわけではないので良いのだが性能は落ちる。
 溝は残っているうちに替えた方が良い。経年劣化もあるし、ゴムは消耗品。

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ゴムは消耗品

2020-10-15 | Weblog

 昨日、1年ぶりぐらいに、38㎜のスフィーダに履き替えてサイクリングを企んだ。空気を入れて、着替えして、いざ出発とサドルにまたがると、前輪タイヤがへこんでいる。
 そこで思い出した。以前にも履き替えようとして空気を入れたが、しばらくしてへこんでいたのでやめたのだ。パンクではないのでバルブが原因かと、バルブエクステンダーのつなぎ目を疑った。一旦外して、つなぎ目に水道用のシールテープが巻いているので、新たに巻き直して、やり直したが、結局空気は抜けていく。それで、使用するのを止めてほったらかしにしていたことを思い出した。
 昨日はそれでサイクリングはやめにして、バルブを良く調べた結果、バルブエクステンダーのゴムに穴が開いているのを発見。経年劣化かと。これは交換しかない。(写真、右上に穴が開いている)
 折角、ブレーキゴムも交換したが、再度アルミリム用に交換し直して、今日は椿~西山~3Kさんへ部品を買いにサイクリング。ついでに、帰途、南若松の大黒屋光太夫記念館に(無料)立ち寄る。9/30から開館15周年記念展示会をしている。先着800名に展示資料冊子を頂けるとのことで、もう無いかなと思ったがさにあらず、立派な冊子を頂く。みなもと太郎の漫画「風雲児たち」とコラボで楽しい展示となっている。この冊子は値打ちがある、早いもの勝ち。12時前に帰宅、走行54㎞

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雨も上がって

2020-10-11 | Weblog

 台風の影響で大雨だったが、今日は天気も良い。当然ながらサイクリング。久しぶりに裏武平とした。
 まずは安楽越え。ところが調子が悪い。どうも最近調子が悪い時がある。息が切れる、という感じで持病の心臓に由来するなぁ、と思っている。ようよう安楽を越えて、無理はしないこととが大事と適宜休みを取るようにする、というかそうしないと脚が回らない感じ。
 大河原で水補給して、裏武平を行くが涼しくて気持ちが良い。旧料金所で休息して登り始めるが、やはり無理は禁物と途中で一度小休止。後ろギアが19Tだったので、21,24Tでトンネルまで。トンネル抜けて、いつもの「展望台」で写真。雨でチリが飛ばされて今日は遠くまできれいに見える。
 峠を降りて、パラミタによって鈴鹿のイラストレーターの絵を観る。値札が付いているが、号1万程度で思うほど高くない。売り物にするには隅々まできれいに描かないと、と思う。
 コンビニランチして、西山~和無田経由で帰宅。走行88㎞

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