自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

現場探索サイクリング

2022-05-24 | Weblog

 5月も残り少なくなってきた。本当は5月の内に、大内山から千石越え~水呑峠~紀伊長島(輪行で大内山まで)を計画していたのが、今月、宮川~水呑峠で土砂崩れの通行止めとなってしまい、目途立たず。で、今日も車でデポして遠隔へと考えていたが、午後から歯医者の予約がある事に気が付いて、次回へ。
 仕方なく、午前中近場ライド。大久保町~宮妻峡~和無田コース。
 描き終わったかな、と考えていた「鎌が岳」ももう一度手を入れようと、現場へ。その場所からは宮妻峡へつながる道のガードレールが少し見える。どの辺りかな?と前から気になっていたが、現場へ行ってみることに。
 宮妻峡キャンプ場への道は、紅葉谷上部からだと2.2㎞。道は、登りは7~10%で峠を越すような形で、残り1/3は緩めの下りとなる。結局、その現場は一番高度のある所周辺だった。ということで、久しぶりにキャンプ場ヒュッテまでサイクリング。平日だし、誰にも会わないかな?思ったが、道を歩く登山客や車、バイクなど数台と出会う。
 帰途、和無田池によって、咲き始めた(ほとんどまだ蕾)「ヒメコウホネ」を鑑賞(写真)。走行59㎞

コメント

「加藤秀繁日記講座」開講

2022-05-22 | Weblog

 今日は午後から亀山歴博で開催された、タイトルの古文書の講座に参加。天気が良いのでジャイアン号でレーパンジャージ姿。 
 今年の内容は、秀繁が「年寄」として、亀山藩江戸藩邸務めしていた天保14年の1年間の日記がテキスト。今日はガイダンスで、次回から解釈に入る。ついて行けるかいささか心もとないが、講義形式なのでやりすごせるかナと思う。
 講座終了後、2週間前と同じように、我が家の古文書(写真)の読解不明の点を教えて頂く。折角教えてもらったのに、〇印の所を忘れてしまった。
 この文書は菱屋さんが田嶋屋さんと話をまとめ、斡旋してもらった家で、翌9月(寛政12年 1800年)に、女3人の家族で一番若い、当時14歳の「みな」が(家督相続しているので)代表で正式に売買契約をしている。

「覚 居宅家屋敷土蔵3か所 並びに酒枡桶道具〇ず(不) 戸立具畳共 但し先立って前紙の通り 〆て金470両也 右の通り売渡し申し以って候  申8月  田嶋屋伝兵衛 菱屋 㐂兵衛殿 同人弥吉殿」(書包みには「伏見町伝兵衛屋 売買證文書付」とある)
 
 講義終了後、亀山歴博から住山町経由、県道11号で椿神社まで行き、消防道路で帰宅、走行53㎞。

コメント

しかも橋

2022-05-20 | Weblog

 薄ぐもりの天気。心臓の定期診察に行く予定をしたが、サイクリングに行ってから午後行くか、行ってから午後サイクリングか?悩んで、薄曇りで涼しそうだし、自転車で診察に行く事に。これはガソリン高騰の折、正しい選択かと。
 津の病院まで16㎞。汗をかいて、聴診器をあてて頂くのもいかがかと、平地30㎞程度で走行。しかし、この季節、じとっと汗をかく。病院のトイレ内で、持ってきたハンドタオルで汗をぬぐう。
 診察後は、少し寄り道しながら帰宅することに。まず、河辺町から安東町、ここに安濃川にかかる狭く古い橋がある。車一台がやっと通過できる橋で古そうだ。名前を見てみたが「しか」まで読めて残り一文字がわからない。橋のたもとの集落に歩いていたご高齢の女性に聞いて「しかも橋」と教えて頂く。カメラを持っていなかったので写真はないが、安東町側に「鹿毛」という集落がありそこから取ったようだ。「も」の字の下がくるりと回っていてなんだろう、と思ったがこれも「くずし字」かな?(ひらがなの「も」は「毛」から形がきていると後で知る)・・・と。こんな歴史を感じさせる橋は好きだ。 
 穴倉川に沿って徐々に登り、日南田の南からグリーンを横断し、高座原まで登る。グリーンからは初めて登る道だが6,7%前後の登りやすい昔からの良い道だ。
 県道28号出会いから北上し、「Z坂」を下る。今日は診察用にクリートカバーを持っているので、坂の下にある「鯖大師」を拝もうと。なんと10mも階段を上らずに祠があった。鯖を持った弘法大師像。3年間、鯖を断てば願い事が叶うそうだ。
 県道28号を野口まで走り、右折して野菜試験場迄下り、美濃屋川沿いに下って、あの津台経由中勢BPで帰宅。走行57㎞。復路は41km。

コメント

油彩スケッチ初挑戦

2022-05-18 | Weblog

 天気の良い今日は、油彩スケッチの初挑戦とした。
 今まで、鉛筆でスケッチをしたことはあるが、絵具や筆を用いた事はない。油彩はすべて家の中。屋外で色を着けたのは、水彩画だったけれど、高校1年4月描いた校外風景の写生以来だ。
 最近、屋内での油彩作業に面白みを欠くように感じていたので、外の景色を見ながら描いてみようと思っていたので、車に道具と8号キャンバスを用意して実行。
 場所は、サイクリングでお気に入りの、松阪市中村川合ケ野(ごうがの)の丸太橋。弁当を持って行って10時前から描き始めたが、中々楽しい。お気に入りの場所で描くのは楽しい、という所か。半日蔭のような所で描けるので、虫が色々いることを除けば良い場所と思う。
 しかしながら、3時間余りいて、赤茶色の下地画面を塗りつぶして、おしまいとした。初めての経験で少しくたびれた。後の作業は、乾燥後に家の中でやるとして、成果はこんな感じ(写真)。川面を実際より広めに描いて、新緑の映り込みを表現したいのだが・・・。
 良い経験になった。

コメント

松浦武四郎記念館

2022-05-17 | Weblog

 4月下旬にリニューアルオープンした「松浦武四郎記念館」に行ってきた。場所は松阪市小野江町。25年ほど前に行ったきりだったので、久方ぶりに、今回は自転車で行く事に。
 松浦は北海道の名付け親とも言われている。1845年以降、28歳から41歳まで6回にわたり「蝦夷地」を探検し、詳細な地図、報告書を表している。明治に入り、箱館府判府事や開拓判官として赴任している。役人の汚職やアイヌへの処遇に抗し開拓判官を辞職した後は、大台ケ原や富士山に登頂し、71歳で亡くなっている。
 往路は、グリーンロード。美里足坂で左折し、県道(奈良街道)で久居へ。ラミシェットでパンを買って、川原木造で雲出川を眺めながらランチとする。
 奈良街道は最初の信号で左折しなければならなかったが、うろ覚えで来たため、直進し、豊田の集落まで行ってしまう。新家のランプが北の方角に見えて、大分南へ来てしまったことに気が付く。
 旧参宮街道を少し北上し、目的地の記念館へ(写真)。展示は新規になって、目新しさがあったが、もう少し、武四郎の言葉を(現代語訳で)知りたかった、とアンケートに記入。
 近くの生家も公開されていて、見学する。生家は庄屋さんだった、とのこと。武四郎は16歳の時、家を飛び出し、江戸へ行き、10年は帰らなかったという。3,4男なので自由ではあっただろうけれど・・・。生家は参宮街道に面し、お伊勢参りで各地の情報がもたらされ、広い見識、視野を子どもの頃から持っていたのであろうと思った。
 記念館の前の石碑には「陸奥(みちのく)の蝦夷の千島を開けとて 神もや我を作り出しけむ」と明治になってから武四郎が詠んだ歌が書かれている。
 帰途は、舞出ランプから中勢BPで一直線に帰宅。走行83㎞。 

コメント

丘の会展閉幕

2022-05-15 | Weblog

 丘の会展、今日で終了いたしました。コロナ禍の中、またお忙しい所、ご鑑賞に来ていただいた方々(S水さん、トクさん他、皆々様方)ありがとうございました。
 3年ぶりの開催で、また、コロナが治まっていない中ではありましたが、大勢の方にご来場いただきました。御礼申し上げます。
 今回は、昨年11月市展に出品した絵(題名「光る海」)を修正して出しました。絵の下部が欠けていますが、直した所はほとんどこの範囲内ですので、対比してみると分かります(写真;下が今回、上が市展)。(今回使用した自作の箱額は、キャンバス全部を見せることができるので良かったと思っています。)
 陰影にメリハリをつけたのと、影の描きこみ不足を修正し、バックのテトラなど黒すぎるのを淡くしました。より、人物に眼が行くようにしたつもりです(右側2人目の左手を少し長く修正)。
 ただ、家では照明も暗いためこれぐらいかな、と思っても、こういう明るい会場で見ると、もう少しメリハリをつけた方がよかったか、とも思われた。まぁ、何事も経験。

コメント

王塚古墳

2022-05-14 | Weblog

 朝は路面も濡れていて、午前中は婆さん宅アトリエで絵の作業。「鎌が岳」に最後のつもりで手を入れる。
 家に戻って、午後から、自転車。椿(大久保町)から八島川コース。大久保町で今や夏山のように緑濃い鎌が岳を見てから、椿神社に寄ってから、八島川を下る。今日は306号から旧東海道、鈴国橋を渡って、王塚古墳を見に行くことに。今日の新聞に、市役所が草刈りをして、立ち入りやすくしたとの記事。恐らく、45年ぶりぐらいに訪れる。(写真)
 長さ62m、幅43mぐらいあり、周囲に環濠跡、その堤防が残る、古墳時代後期の前方後円墳(国史跡)。地元豪族の墓とされる。写真手前が前方部。鈴鹿川右岸段丘端にあり、当時は鈴鹿川が良く見えたであろう。
 八野~深谷公園横を抜けて帰宅、走行54㎞。

コメント

丘の会展開催!

2022-05-09 | Weblog

 今日から15日(日)まで、鈴鹿市役所1階市民ギャラリーで「丘の会展」が開催される(写真)。午前中は展示準備で大忙し。脚立に登って吊り下げ作業するのは自分がメイン。
 3年ぶりなので、作品は大き目のものが多いのでそれなりに見ごたえがあります。
 自作の黒い仮額におさめた自分の絵は50号だけれど、こういう広い所へ持って来るといかにも小さい。
 よかったら観に来てください。

コメント

古文書解読講座

2022-05-08 | Weblog

 家に伝わる古文書(「こもんじょ」と読むらしい)を一旦、辞典と首っ引きでその概要を読んだが、分からない字だらけだし、意味が通らないままの状態の所もあった。
 無料の講座が亀山市でやっている事を知り、申し込んだ。今日は開講日で出席。基礎講座と、応用編の二つに申し込みし、月2回、11月迄ある。今日は基礎講座の方。
 講座終了後、先生に家の古文書のうち、自分の解釈とともに、1通の手紙の解読をお願いした。スラスラと読んでいただいたが、自分の解釈は間違いだらけだった。昨年暮れ、親戚にその内容で説明しているので、再度、訂正をしなければならない、やれやれ、だ。
 その手紙が、この写真である。琴の師匠に対し、ご指導の礼と決意を述べている。名前を「比せ」と解釈していて、姉の方の名ではないかと推察していたが(姉の俗称は手掛かりが無い状態だった)、先生は「皆」と読んだ。これは妹の方。当時14か15歳。今なら中2,3ぐらいか。「みな」は「美奈」と書いている他の文書もあって、それ以外の当て字を書くとは思いもよらなかったが、当時はそんな事は自由だったようだ。(なお、この手紙の書かれた寛政13年は1801年)
 色々勉強になる。
この手紙(下書き又は控)の内容は、
「   一札(いっさつ)の事
 此度裏組懇望仕(つかまつり)候ニ付 御伝授下され辱(かたじけな)く幸せ存じ候 然る上は 向後に於いて琴道は如何様の儀御座候共(とも)師命に背き恩義相忘れ申し間敷(まじき)候 勿論伝授の儀濫(みだ)りに致し間敷候 よって一札件(くだん)のごとし
 寛政13年 酉正月     渡辺皆(みな) 
 津川勾当様 」
(裏組とは、筝曲では表組の後に教えられる曲組。望んで教えてもらったようだ。)


 

コメント

スケッチサイクリング

2022-05-07 | Weblog

 昼中は暑く感じられるようになってきたせいか、体の調子もイマイチ。天気が良いがロングを乗る元気もない。という事で、車で久居市民プールまでデポ。
 今日はスケッチブックと鉛筆をデイバッグにいれてサイクリング。まず、大仰へ出て、丘越えで波瀬手前を左折、島田橋に出て、中村川遡行。
 目的地は、前から目をつけていた丸太橋(写真)。
 なんとか絵にできないかと。新緑の季節は好きなので、一枚ぐらいは描こうかな、との思い。ただ、丸太橋が上下を切ってしまうような構図なので、これから、どうしようかと思案。
 今日は細野峠や清水峠に行く元気もなく、ここでUターン。久居のラミシェットに寄ってパン購入して、デポ地へ戻る。走行41㎞。

コメント