自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

風邪の日曜

2011-10-30 | Weblog
 
 頭は少し痛いが熱があるわけでもない。気分は不快ながら食欲が無いわけではない。どうにも中途半端でうだうだと家にいる。今から午睡するつもり。
 今週末土曜日の午後、BS日テレで「ジャパンカップ2011」の放送がある。今年は新城や西谷など日本人選手が最終局面で意地をみせたので楽しみだ。
コメント

弱り目に祟り目

2011-10-29 | Weblog
 郡上の日曜の天気は昼間は20%。山は雨具は必要かもしれないが、という天気。
 しかし、風邪を引いてしまった。喉が昨日から痛く、だんだん痛くなってきた。しかたなく、今日は天気が良いのにおとなしくしている。明日の郡上GFはDNS。
 おまけに、というか仕事場の忘年会が12月3日(土)とMSの忘年会と重なってしまった。「今年は張り込んだ」と嬉しそうにお誘いに来る社員の顔をみれば断れない。残念ながらチーム忘年会はDNSとした。
コメント

日曜の天気が気にかかる

2011-10-27 | Weblog
 今度の日曜はACAの山岳GF郡上八幡の予定。ACA会員なれど、今年はこれで2回目の参加。8月の乗鞍スカイラインが雨だったので止めたが、今回も天気が微妙。
 止めだと1回の参加となってどうにもこうにも低調。今年は他の大会に出ていないのでいささか気分が低空飛行だ。
 このまま爺むさくなっていくのか・・・、とシーズンオフ前に考える。
コメント (3)

どくとるマンボウ航海記

2011-10-26 | Weblog
 高校に入って最初に読んだ文学?書。エッセイのような小説?ユーモア満載。
 しかし、馬鹿にはできない。これを皮切りにトーマスマン、芥川、漱石、太宰等々様々な小説、詩など純文学に親しんだ。1年後には勉強は全くやらずに詩や小説を書くようになってしまったが。
 北杜夫氏逝去。
コメント (2)

阪内不動滝

2011-10-25 | Weblog
 日曜のサイクリングで行ったが、松阪の細野峠に登る手前に阪内不動堂がある。県道から山道を600mほど登る。ここは北畠の家臣(分家)の坂内家が支配していた土地。不動堂は坂内家の菩提寺の奥の院にあたるという。落差30mの滝がある(写真)。近くに城跡もあるらしい。
 坂内家も北畠一門であり、織田により滅ぼされている。北畠は信長に攻められて和睦の条件に信長の次男「信雄」を世継ぎに迎えている。信雄(茶筅丸)11歳の時。しかし、信雄が北畠の家督を継いだ翌年(18歳の時)の11月25日、信長の意向により、隠居した北畠具教(祖父に当たるが49歳)の三瀬谷の館を襲撃し、3歳、1歳の子どもとともに殺害。同じ日、信雄の居城田丸城の宴に呼んだ具教の次男、3男、坂内の7代目である坂内具義の妻子ともども数十名を殺害している。具義19歳。翌日には坂内城は攻められ落ち、12月5日には北畠の霧山城は落城している。霧山城では名前が判っているだけで90名以上の男女が死亡。ここに北畠氏の係累はほとんど息絶えることとなった。
 しかし、鈴鹿の神戸氏もそうだし、和睦の条件に息子を養子として家督を継がせれば内紛・不満の起きるのは火を見るより明らか。それを口実に滅ぼすのであるから容赦ないやり方だ。北畠の嫡男(具房)は信雄の11歳上だが、その養子としたのである。
 ガイコツ峠という案内板が県道の傍らにあった。城跡の近くにあるらしい。坂内家の家臣のガイコツが出たのかもしれない・・・。往時を偲んで滝の音を聞く。500年前も同じ滝の音であったのではないか、と。
コメント

蘭宇気白神社

2011-10-23 | Weblog
 今日は自転車に乗りたくて、昨夕は葬儀後の精進落しの途中に、名古屋へ帰る親戚を津まで送ることとし、(酒も飲んでないので)帰ることとした。
 全く2泊3日の間、酒を飲んで、仕出し料理などばかり食べていたので、残すのもなんだしと、すっかり食べすぎ飲みすぎの日々だった。「泊まっていったら酒が飲める」という言葉へは本心「もう飲みたくない」との思いだった。
 摂取過剰の栄養は消費するに限る。先週、行き損ねた「細野峠」を登りに、脂肪燃焼のサイクリングとした。
 県道747号を通って辻原から県道29号の細野峠。本格的な山道が始まる手間の「阪内不動堂」を見物に600mほど県道からそれて山道を登ってみる。30mほどの滝がある。
 細野峠はその辺りから250mほど登ることとなる。自転車では初めてだが、車では来ているので、特に感慨も無く、「うきさと村」へ。不動堂へ登って時間をつぶしたので10時半を過ぎた頃。外にいたおばさんに聞くと「できる」というので、「細雪うどん」を作ってもらった。うどんが出来るころには、sakaiレーシングの方が4人食べに入ってきた。くろのりさんやはしもとさんのことなど談義。「どんなべさん」と言われたのは少々驚いた。中村川沿いの道が工事箇所多々あることの情報も得られた。
 しばし休憩して、次の目的地「蘭神社」。「蘭(あららぎ)」という地名がある。柚原集落の端のところから小径を1.5kmたどる。
 手持ちの5万分の1の地図では民家数軒があるが今どうなっているか。またこの地名が「ラン」と読めるので前からどういう所か気になっていた。(「あららぎ」は「一位」の木の事)
 神社は「あららぎうきはく」と読む。与原、飯福田の神社を明治時代にここへ統合したとのこと。たまたま神社前にいた地元の人と話をした。昔は8軒ほど家があり、自分も住んでいた。今は住んでいる人はいない、という。
 神社は小さいながらも品のある立派なものだった(写真)。
 小原に来ると中村川周囲は大工事だ。工事のため分岐があって、いつものようについ「美杉」方面へ道をとる。下るのであれば嬉野方面の道をとるべきだったが、まぁ細野峠だけではつまらない、清水峠を登ることに(下りでsakaiの本隊?とすれ違う)
 君ケ野ダム、亀が広、中勢バイパス経由で帰宅。走行127km。
 
 
コメント

追悼

2011-10-19 | Weblog
 この土日は先日のリベンジと思っていたが、火曜に義父が亡くなり難しくなった。
 尾鷲では出棺、骨をひろってから通夜、告別式となるので亡くなってからが長い。告別式は土曜となった。
 偶然だが、葬儀の日取りは昨年亡くなった義母と全く同じになった。早大出のバンカーとして矜持を持った人であった。合掌。
 
コメント

「ピアニスト」

2011-10-17 | Weblog
 昨日の脚の具合は夜までは治ったのであるが、午後からは録りだめから、映画「戦場のピアニスト」などを見て時間をつぶした。
 この映画、中身も何も知らなかったが「戦場の」となっていたので戦闘場面でピアノでも弾くのかと思っていた。ポーランドのユダヤ人ピアニスト。ゲットーから「地獄の釜」へ送られる寸前逃げることが出来、ワルシャワの街の中で生き延びる。
 ノンフィクション(自伝)の映画化。2000年に亡くなったポーランドの国民的ピアニスト、作曲家の若き頃の話である。「戦場の」は邦題だが、ちょっと内容とずれた感じだ。邦訳書の原題は「ピアニスト」この方が良い。 アカデミー賞受賞作品。

 昨日は中勢BP長岡団地の坂を速く登れたが、考えてみれば、それまで楽をしており、まったく更脚だったからだ。しかし、今後、一つの目標にはなるか、と思う。
コメント

頓挫

2011-10-16 | Weblog
 良い天気。今日はゆっくりロングを、と7時半に家を出た。
 しかし、200mも行かないうちに左脚付け根が痛くなる。当然最初はゆっくり漕いでいたのだが、転子周辺が痛い。高齢となり軟骨部分が磨り減ってきたか、などど半ば冗談ながら暗然たる思い。25km以上出すと痛みが強くなるので、えっちらおっちらと(そのうち治るさ)思いつつ中バス経由で津方面へ。
 今日は登ったことがない細野峠からうきさと村へ行く予定。
 しかし、痛みは治まらず、20kmオーバーの回転では練習にもならない。野田集落を抜けた辺りでUターンすることに。
 なんてこった、と思いつつ、帰路へ。帰るとなると「なんでもっと早く決断しなかったのだろう」と思うのであるから勝手なものだ。
 しかし、中勢BPで回しているうちにそれほど痛くはなくなってくる。追い風もあったが、長岡団地の登りでは2番目の陸橋へ40kmで達することが出来た。いつもは30km超を目標にしているが、これほどの速度は未経験。
 しかし、今度は右大腿を攣ることに。やはり負担でした。
 あとはゆっくりお大事走行で帰宅。黒田の辺りでカルマ?に乗ったS本さんに会いました。 
 帰宅して両脚にロキソニンテープ50mgを貼る。
コメント

「トンマッコルへようこそ」

2011-10-15 | Weblog
 雨の土曜日。午前中は図書館で読書、仕事関係。
 昼から録りだめの映画から、2005年の韓国映画「トンマッコルへようこそ」。朝鮮戦争時代の山奥の平和な村が舞台。仁川上陸後の米韓連合が攻勢をかけた状況の中で、墜落した米軍パイロット1人と脱走兵の韓国軍兵士2人、敗走する北人民軍兵士3人が村に身を寄せる。
 夏に見たユーゴ内戦の映画「ノーマンズランド」的な舞台設定。ただ子どものような純粋なトンマッコル村人の中、というのが異なる。まぁ面白い映画。韓国では観客800万人という。

明日、日曜の夜、NHKBSで世界選手権ロードの放送がある。見なくては。
コメント

7850ハブの試走

2011-10-10 | Weblog
午前中はのんびりと修繕など。9月の台風でママチャリ置き場兼物干し場の波板が一部壊れたままだったので。波板3枚を張り替えた。ポリカの波板は透明感があり綺麗だが、紫外線で劣化し割れやすくなる。で、一番安い波板で修繕がお得。
 午後は書類読みなどしていたが、3時から御園10kmコース2周。後輪手組みのデュラ7850のハブが後ろからゴムで引っ張られているように重いので少し緩めてもらった。そのテスト走行。
 調整前よりは良くなった。しかしまぁ何とか走れるか、という感じだ。最初はもう少しよく回ったのだが。どうしたモンだろう。脚を鍛えるには良いかもだが・・・。
 「これ以上だとガタが出る」というところまでやってもらったのだけどね。
コメント

裏山(安掛)コース

2011-10-09 | Weblog
 平日と同じ時刻の目覚ましで目が覚めた。7時15分に家を出て安楽へ。今日は裏山コース。涼しいので、R-SYSの効用を試してみようと計測。呼吸も吐く事に力をいれて酸素をとる様に工夫。
 結果は19分45秒とベスト記録を更新。10秒程度だがあっさりと出せたことに驚く。
 下り道の小さな橋の手前でガツンと衝撃。山女原の集落内でパンク修理となった。2012のR-SYSはタイヤ・チューブ付だが、早速リム打ちパンクでチューブはおしゃか。このタイヤはヴィットリアと同じタイの工場で作られているとのことだが、オープンコルサと比べるとやや外側の皮が薄いような気がする。あまり持たないかも。チューブは台湾製で軽い(薄い)がこれはヴィットリアの工場ではない、と思う。
 ともかく、350円のチューブをいれたので重くなった。というかポンプで空気が入らない。3気圧程度で我慢して走ることに。こうなると随分重い後輪ホイールとなってしまい、後はサイクリング気分で(いつもそうだけど)走る事に。
 気になっていた県道多賀永源寺線(写真)の情報はあらかじめ滋賀県のホームページで確認。工事の設計をおこなうため入札が行われていて、成果品の11月15日締め切りとなっている。これでは工事の入札に一月かかるとして12月下旬に工事が始まれば良い方だ。
 工事業者が決まるまでは犬上ダム崩落現場は通過できる。
 裏鞍掛の登りは10km/hに落ちないようになんとか登って三重県側へ。走行156km 

コメント

靴は良いのに限る

2011-10-08 | Weblog
 良い天気。しかし午後から津で告別式参列の予定。週末土曜はゆっくり朝を過ごしたい気分なので、従って乗るのは2時間半程度とする。
 ジャイアン号にニュートロンを久しぶりに履かせた。いつも重いレーシング5を履いているので、別人のように身軽となった。ジャイアン号も当時のセカンドクラスとはいえ軽いフレーム。前3角はがっしりと、後ろ三角を弱めにしてしなりを持たせているので弱脚にはちょうど良い。「栂池」ではオルカ号より少し速いぐらいだったからね。
 やはり靴(ホイール)は良いのに限る。 
 リバティゴルフ場横の坂を2周回、して椿経由で帰宅。走行59km。帰途婆さん宅へ寄ってしまったので、お葬式に時間がギリギリになってしまった。
 写真は庭の「酔芙蓉」。大振りの枝を壷に掘り込んだだけ。
 
 
コメント

蝙蝠峠

2011-10-06 | Weblog
 今日は休みを取った。
 ゆっくり起きて、蝙蝠峠へ。やはりR-SYSは走行感が軽い。無負荷で指回しでは回らないホイールだが、60kgを乗せれば問題なく、軽く回る感じがする。乗って回らないホイールではない。
 蝙蝠峠で計測した。先月は23分。今回は21分30秒。1分半短縮したが脚にはきた。蝙蝠峠の10%勾配がそう嫌なものではないような気がしてきた。
 青山高原へ登る高良城林道は瀬戸林道出合から先が通行止めのままのようだ。どうしょうかと思いながら水源地まで行って戻る。開通してからでも遅くない。
 トンネルからの下りのでカーブを試してみるが安定感があり、速く通過できるような気がした。中バス経由で帰宅。走行86km。
 
コメント

サドルの上の妄想

2011-10-04 | Weblog
 日曜日のサイクリング、帰路での妄想

「えーい、もっと、きばらんかい!」とあきれたようにR-SYSホイールが言う

「もしもし、ホイールさん、あんたは新参やから知らんやろうけど、このご主人にはむりでっせ。還暦迎えて高級ホイール買うたけど、脚はありませんで。わてかて、もう足かけ4年辛抱してますンや」「来たとこが悪いがな」とオルカフレームがぼそっという。

「何言うてんや、あんたら。わしら地味なところで下手な変速に8年も付きおうてるんやけど、もうとっくに諦めているわいな。嫁いだ先が人生の分かれ目や」とRD7700がため息交じりにつぶやく。

 「そんなごたく30年越えてから言いな!」と山の神の声が頭の上から聞こえてきて目が覚めた。 
 
コメント