自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

トラックワールドカップ第3戦

2005-01-31 | Weblog
 1月マンチェスターで開催された第3戦をみた。NHKはよくトラック競技を放送するが、日本選手が出るためか、競輪王国という幻想が離れられないのか、車券を買う人が観ると思っているのか、よく判らない。しかし、スポーツ人口としては、ロードではないかな、多いのは。もっとロードを放送して欲しい。スポーツのすばらしさに、日本人がでるかどうか関係ないんだけど、番組企画の発想が親方日の丸なんでしょうね、きっと。
 試合は、解説の中野浩一に「以前日本に来ていた外人選手が遊びであったように、日本選手は遊び気分ではないか」のようなことを言われる有様でしたが。
 しかし、トラック競技はいまいちよく判らなかったが、昨年四日市競輪場を走らせて頂いたおかげで、走りを実感できたのは良かった。やはり体験こそベースですな。
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雹(ひょう)が降ってきた

2005-01-30 | Weblog
 昼過ぎまでお仕事。遅い昼食(うどん)を食べて、家に帰り、エアを入れたり、準備して、玄関を出ようとしたら、バラバラ雹が降ってきた。とたんに意気消沈。今日はお休みにした。
 最近シリカのポンプの口金を「ヒラメの横カム」に取っ替えた。これは優れもの。昨年の乗鞍でヒラメ仕様のポンプを借りてその効用を堪能した。
 ヤダサイクルで買ったが、店主も「よう使ってない」と言っていた。4000円もする。しかし、空気を入れるときはストレスフリーでしょっちゅう使うものは便利な方が良い。
...ここまで書いていると小雨交じりの雹もやんで薄日が射してきた。
 結局、御園10kmコースを3周。45km走行。今回はLSDで坂を登れるかを試してみた。しかし、心拍150を越えてしまう。押さえて登るのは我慢がいる。結局最後の1周は追い込んでしまった。
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安楽越え

2005-01-29 | Weblog
 明日は昼過ぎまで仕事となり、今日は安楽を越えて、鹿深の道をたどる90kmコースとした。勿論イージーペース。
 安楽越え(480m)は一月振り。先週の雪も溶けているだろうとの読みであった。
 安楽越えは、夏以来通行止めの看板は出ている。これは真っ赤な嘘。滋賀県側で砂防ダム工事を横でやっており、ユンボやブルが動くためである。山道とて、一般の通行はもともと無いようなところだから、看板を出して、地元車以外は通ってもらわないようにしているだけのようだ。工事をやっているところは150mぐらい舗装を剥いてダートになっているが、乗車して通行できる。
 で、ゆっくり登っていくと、雪が現れた。北斜面は残雪。轍は凍てついて滑るので押すのみ。滋賀県側は200mぐらい降りて通った。下りの道はつるつるすべっておっかない。
 猪鼻から蟹ヶ坂の信号までは国道1号を走るので気を使うところ。700mぐらいだが。歩道を改良中なので、しばらくの辛抱か。唐戸川の小さな峠を越えて大原貯水池で昼食。油日神社から五反田、富士CC南コースから伊賀町小杉へ出て、柘植の旧街道を加太越えへ。イシバシ工業のためにひどい道となっているところを細心の注意で降りて、加太の集落を下る。ここら辺は忌清志郎が気に入ったと以前CS誌で紹介されていたコース。しかし、イシバシの道は何とかならんものだろうか。
 
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ロード初体験

2005-01-28 | Weblog
再び自転車に乗り始めたのは・・・
 ロードレーサーを初めて購入したのは48歳の時だった。誕生日記念に「自分からのプレゼント」と山の神を説得して、クロモリのロードをオーダーした。店は津駅前のYADAサイクル。昔、日東のパール9ステムを買った店である。フレームは群馬の「雷神」ワークス。色は好きな緑にした。ツーリング用にとシートステーをベントさせクッション性を高め、トップチューブは若干スローピングさせ、ピラーを長く見せた。メカはアルテグラ(トリプル)仕様。世に一台だけの自転車である。
 出来上がって、乗ってみてその軽やかな走行感にまいった。
 43歳の時にMTB(トレック970)を買ったが、ブロックタイヤは重く、ツーリングにはどうかな、オフロードはともかく、舗装路を走る物ではないなと感じていたから、「これだ」と思いましたね。全く、軽く追い風を受けて走る時なんぞ風と一体になっているようだ。ロードは特別な選手が乗るものだとの思いがあり、とても普通の人間が手に入れるものではないと思っていた。もっと早く乗り始めていたらというのが正直な気持ちであった。
 それが、1年後の夏、地元開催の「鈴鹿シマノ」のビギナーに出ることになるとは・・・。
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峠越え(その2)百井峠

2005-01-27 | Weblog
 ももい峠と読む。720m。30年前の2月か3月だった。鞍馬から単調な一本道のきつい勾配の道を登り、花脊峠のつづら折れの手前から林道のような道をたどる。
 杉木立の中の道はさらに急勾配で高度を稼ぐ。やがて、ゆるやかとなり、木立の中は展望も利かず、ここら辺が峠かなと思うようなほど、峠の箇所はわかりにくい。やがて道は下り基調となり、気分良く下り始めたが、山の北斜面へ出ると、なんと、道は雪一面。轍の跡さえなく、積雪は20cmぐらいあっただろうか、延々白い道が続いていた
 ブレーキ、ハンドルは全く利かず、なすすべなく足を上げてバランスどりと方向修正をしながらひどく怖い思いをして百井の集落へ下った。
 着いた集落の道には雪はなく、多いに安心したものだ。百井の集落は誠にこじんまりした良い雰囲気だった。
 百井からは、前が畑峠(620m)をすぐに越えることができ、南面で雪も無く、急勾配のダート道を慎重に下って、大原の里を経由して戻ったものだ。
昨年の5月、京都美山町のレース出場のため、私は車で、琵琶湖大橋を渡り、途中越えから、前が畑峠、百井峠、花脊峠を経て周山街道へ出たが、懐かしい道であった。百井の集落は時間が止まっているかのようだった。
 百井峠の登りの道は農道然としており、一瞬これで良いのかと疑うような狭い道であった。
 帰途もこの道をたどり、往復同乗のU納さんはさぞ困惑したことだろうと思う。
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峠越え(パスハンティング)

2005-01-26 | Weblog
 パスハンティングが好きと昨日書いたが、これは京都に住んでいた大学4年生の頃サイクリングが楽しくなり、長距離(といっても5、60km程度;子供用の自転車だからネ)乗ろうとすると盆地状の京都では必然的に峠越えをする必要があるからでもある。
 最初に鴨川の最上流部、雲が畑の持越し峠の旧道150mの直登を担ぎ上げた。これは峠の上で、当時建設中の林道が出現し、がっかりしたものだ。
 その次には同じ雲が畑の奥、岩屋不動への分岐から薬師峠をめざした。標高590mで岩屋不動分岐からの林道はすぐに登山道となり、やがて沢をよじ登ることととなる。これは道なき道であり、すべて担ぎ上げでこれにはまいった。
 冬でもあり、峠は雪が覆っていた。 
 峠から見た北側の大森地区は曇天の下、暗く寒寒とした風景が広がっていた。ここを降りて周山街道へ出るつもりであった。
 登山道を自転車を担いだり、押しながら下った。しばらくして、道は木馬道(きうまみち;木材搬出用に丸太を枕木のように並べて作った「道」)となり、木馬道は走行できるので、ずんずん楽しく下った(この心境は芥川龍之介の「トロッコ」ですね)。しかし、これはミスコースであった。木馬道が登山道であるはずがない。途中で気づいたが、まあ下れば何とかなるだろうと不安ながら降りて行った。やっと、下の方に田んぼが見え隠れするようになり、木馬道から飛び降りて藪コギして、田んぼのへりにたどり着いた。何とか助かりました。
 単独行だし、誰にも会わなかったし、持っていた地図は京都市内の観光地図で周辺部は10万分一ぐらのごく荒いもので、今から考えても無謀な峠越えでした。
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日東パール9(ステム)

2005-01-25 | Weblog
最初に買ったランドナーはスプロケが24Tだった(多分)ので、27Tにかえ、当然RDも変更。山岳仕様としたのも、やはりパスハンティングが好きだったからで、これはいまに至るもそうだ。
 さらに、ついていた6cmの鉄ステムを当時売り出した日東パールの9cmに変えた。アルミの流線型が格好が良かったためだが、3cmも伸ばしたため姿勢が大変になってしまった。サドルを前に出したのは言うまでもない。
フロントバックをつけて、2年間ぐらいは得意になって乗っていましたね。ペダルもアルミ製に変え三ヶ島のトゥークリップも買ったけれど使いませんでした(本格的でなかったのです)。
 しかし車の免許を同じに取得したのがいけなかったのか、だんだん乗らなくなり、下駄車に成り下がるのも早かったです。
 やがて、さびさびとなり、RDのプレートがポキンと折れるに至り、不燃物処理へ。
 購入した年は昭和50年で、30年経とうとしているが、今はコルク栓のアルミボトルとくだんの日東パールステムだけ残っている。
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クロモリは「高級品」

2005-01-24 | Weblog
 土日(サンデー)ライダーでは進歩の無いのもしかたない。それでも自転車は私にとって唯一のスポーツ。ハイキングやスキーも好きだが、自転車に乗り始めてからやらなくなった。
 私にとって、自転車は古いつきあいである。大学4年生の頃、少年用の5段変速で、京都の北山をはしったものだ。地元へ帰って、就職して最初のボーナスでB社のランドナーを買った。SSQ10という、ハイテン鋼で、6万弱だった。650Bのタイヤを履いたその上のツーリング車はクロモリで、8万円弱していたと思う。給料が7万円ぐらいの時だから、それは諦めた。
 それが、トラウマになったのか、中年になって最初に買ったMTBも、5年前にオーダーしたロードもクロモリだ。クロモリは「高級品」なのだ。
 最初に買ったランドナーで、石榑峠(滋賀県側は未舗装でした)を越えて、水口経由で帰ってきたりしましたが、峠越えがお気に入りでした。これは、京都北山の峠を越える快感を味わっていたからでもありました。
 しかし、20代の当時より今の方が脚は強いですな。ヒーコラいって途中で止めた安楽越えも、今や練習コースですからね。(続く) 
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雪模様になるのか?・・・

2005-01-23 | Weblog
 今日は、山の神の初釜の送迎、次女の英検の送迎とアッシー君。このためMS練はお休み。山の神はもう一台車を買えと言うが、土日しかいらないのに、コストパフォーマンスが悪すぎるし、大体自転車愛好家がそんな理由で車をもう一台とはポリシーに反し、我慢が出来ない。
 自転車にのめり込むと、車は単に自転車を運ぶ道具になってしまい、以前は月一洗車していたものだが半年に一度ぐらいになってしまった。暮れに洗車したとき、前回はいつ洗車したのか思い出そうとしたが、記憶が全くなかった・・・。
 結局雪も降らず、曇天8度で寒くもナシ。午後のろのろと自転車に。サーキット横の自称「御園コース」10kmを3周。このコースはアップダウンがあるので、私のような弱脚にはLSDとはいかない。結構追い込むところもあり、しかたないか。走行45kmAv27.3km
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女もすなるブログ日記といふものをおのこもしてみんとてするなり・・・

2005-01-22 | Weblog
 今年は54歳になってしまう。本当のところ体力的にも限界かな。今日も70kmほど走ってみたけど、いくらLSDとはいえ、精彩を欠いた走りだった。
 最初からぼやきではいかん。今日の東急ゴルフ場の銀世界は良かった。初級者向けの林間コースといった感じで、板があれば滑ってみたい感じだった。道路は雪解けのどろどろで、その中を走るのは楽しくはなかったが・・・。
 亀山の四つ辻のミニストップで昼食をした。隣に坐ったおじいさんが一人でカップ入り肉ドンブリを食べようとしている。一人でママチャリでコンビニに来て昼食。一人暮らしなのかな。
 ぺットボトルの栓を開けるのに苦労している。「開けましょうか」と思わず手助け。「年を取ると力が無くなる」という。今88歳で、85歳までトラックを運転していたという。戦前に免許を取って、戦争中はサイドカーに将校を乗せていたという。そんな話の最中に、ふと脚に目をやると、やせ細っている。力の無いのが痛々しくわかる。
 30年後の自分はどうなっているのだろう?(生きていないかも)
 自転車乗れているだろうか・・・
 
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