自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

長引く腰痛

2022-03-30 | Weblog

 腰痛が治らない。今日で8日は過ぎた。昨夜など3,4回ほど寝ている時に少し痛くて目が覚めた。
 原因はわかっている。脊柱管狭窄症なので、腰を変にひねったため、神経を圧迫している、ということだろうと。3年前に発症したが当時は左側大腿部、今回は右側の腰。一番恐れるのは、これが固定化すること。おとなしくしているしかないか、とも思うが、それでは物理的に変化がない・・・。
 一方、桜も満開になってきた。前回書いたように、絵の方にはあまり熱が入らないのだが、今日の午後、はやめに帰宅して、桜でも見に行こうと、近くの「桜の杜公園」へ、クロスバイクで。
 自転車に乗っている時は痛くはない。ここら辺がヘルニアと異なるところ。かがむ姿勢は脊柱が開いて良いのだ。
 明日は天気がイマイチだが、あさってぐらい少し乗ってみるか、とも思う。良くないかな? 

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「鎌が岳」

2022-03-28 | Weblog

 4年間公民館での絵のサークルを続けてきたが、4月からは講師先生宅のアトリエに移って描くことにした。少人数で絵に集中できることが良いためだ。若干コストアップだが時間は長く使えるので良いかナ。
 ということで、今日は、公民館サークルでの最後の絵の作業、「鎌が岳」(写真)。こういうチマチマとした絵はどうみても面白くないのだが、修行と思って描いている。人物では楽しい作業なのに風景で楽しくないのはやはり興味が少ない、ということだろう。思うように描けないためかもしれないが・・・。
 この6号の小さな絵は20号で描くためのエスキースのつもりで描き始めたが、そういう結果にはならないような気がしてきた。(中遠景は2層目、近景は1層目。実景と比較すると山の大きさを強調しているため写真とは異なる) 

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求同在異

2022-03-27 | Weblog

 この1週間、庭仕事で変な姿勢を取って、腰痛に悩まされている(1回、自転車乗っているけれど)。特に今日は天気も良いのに、常時痛く、家でじっとしていた。脊柱管狭窄症で腰部、頸部は鬼門だ。
 この間、図書館で借りてきた写真の本を読了した。江戸時代12回の朝鮮通信使を、回ごとに朝鮮の使行録(復命書のようなもの)等で朝鮮の考え・立場と幕府や市井の考え・状況を研究し解説しているので、双方のものの見方が判ってこの通信使の事が深く理解できた気がする。
 そもそも、朝鮮通信使は室町時代に3度、秀吉時代に2度派遣があった。足利義満は朝鮮と同じように明(中国)の冊封を受け、対外的安定と政権の威信を高めようとした。その後「倭寇」などで途絶え、秀吉の天下統一祝賀と秀吉の侵略後の和議で2度訪れている。
 その後、徳川の世となり、江戸時代は幕府の威信を高めるために朝鮮に通信使の派遣を要請した。間に入ったのが対馬藩で、秀吉の時もそうだったが政権の希望する「入貢」を「祝賀」に書き換えて要請している。 徳川の要望に対しては、当初は懐疑的であったが、受け入れ、状況視察と文化使節を兼ねて再開となったようだ。幕府は将軍が代る都度来訪するように依頼している。
 江戸時代、鎖国と言われているが、朝鮮との関係では貿易は対馬藩を通じて行われており、釜山には日本人館もあり、日本からも対馬藩を通じて使節が送られていた(朝鮮の防衛上、釜山まで)。
 この本の著者は、広島大学に日本古典文学を研究するため留学しており、韓国の日本文学の大学教授。著者は「朝鮮通信使を見ると、。両国間の関係を好転できる「温故知新」の知恵が隠されている。私は「求同在異」の知恵で未来を開いていくことを願う」と、あとがきで書いている。
 通信使の事について、双方の立場、考え等を研究した本書は大変興味深かった。良い本だ。


(写真の本の後ろ側は、江戸時代最後の通信使(12回目)の場所となる対馬での日本側接遇マニュアル「四度御礼式書」写本;これが家に伝わっていたので、通信使について調べた。四度とは「客館への出迎え」「国王文書授受」「饗応」「返書渡し」の場面での対応マニュアル)
 

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陽気を求めて

2022-03-25 | Weblog

 昨日はgooブログのテンプレートが強制的に廃止になったことを嘆いたが、一月以上前からブログへのアクセスが手間になっている。「dポイントが良い」とか色々編集画面へ到達するまで関門がある。スマホどころかガラケーも持っていない自分には「ポイント」とか言うものに縁がない。そんなもんだから、世間ではSNSがどうとか色々話題になっているが、実感がわかないのだ。 

 ということで、今日もポタリング。春のような陽気を求めて、椿へ10時過ぎに家を出る。
 行き先は「鎌が岳」を望む大久保町。今日は山もぼんやりと霞がかかっているようで良く分からない。近景を観察する。
 昼前となったので、椿神社で「鶏飯定食」を食べて、ついでに参拝。
 八島川を下って、途中から古河電工の北裏にある「のぼの職人村」のtonoka(土の香)(写真)へ明日朝用のパンを買いに立ち寄る。持ってきた袋に入れて、ステムに括り付けて井田川経由帰宅。走行57㎞。
 R-SYSから久しぶりに履き替えたカンパ・ニュートロン。購入して、やがて20年になるかな?乗鞍ヒルクライム、2度のツールドおきなわ、このホイールとはつきあいが長い。

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ハブのトラブル

2022-03-24 | Weblog

 予告はあったが、これまで使っていたテンプレートが使えなくなった。gooブログもなんだろうね、従来のままでは都合が悪いのかいな?と自分としては面白くもないが、とりあえずの物に変更した。

 さて、月曜のサイクリング、実はメカトラブルがあった。白山町城立への下りで、45㎞程度で走行していると、後輪から「バキ、パキ、バキ、パキ」と大きな音がする。木の枝でもホイールに絡んでフレームと当たっているのかいな、と停めて見るも、そんなことは無い。原因不明。
 次は榊原から上稲葉への下り、続いて片田への下り、と3度。40km以上のスピードで脚を止めると鳴るようだ。ということで、以後、30㎞までの走行として帰宅した。
 家に帰って、脚を止めると鳴るようなので、ラチェット辺りが破壊されたのか?回転も随分重くなっており、フリーボディの一部には樹脂もあるし、割れてないかな、ボディの要交換かとがっかりした。(下手すればハブをダメにしてないかと恐れた)
 ということで、スプロケを外して、5㎜レンチでフリーボディを外す(10年前のR-SYSなのでボディはFTS-L)。黒くなった油脂をふき取って見てみるが、破損は無いよう、だ。再度、ボディを軽く嵌めて、3Kさんへ持っていく。 
 その場ですぐ、ボディを外して、ラチェットとボディの内側に純正ミネラルオイルを塗って回せば音も静かに、軽快だ。3分程度で終了。無料でやっていただき誠にありがたい。
 油脂切れが原因だったのか?それにしては大きな音だった。蝙蝠峠の下りでは50㎞以上で問題なかったのに、トラブルは突然来る。
 マビックは4000km以内でメンテを推奨しているようだ(半年又は2000㎞という意見もある)。現行フリーボディは手で外せるなど簡便になっているようだが、FTS-Lは締め込みトルク指定もあって、めんどうだ。後輪は、ベアリング交換後、15000km近くはノーメンテだったので、まぁ、勉強になった。 

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三重県道670号城立青山線

2022-03-21 | Weblog

 春が来たかと思ったら、少し冷え込んで、今日は、また暖かくなりそうだ。
 ということで、8時半過ぎに家を出て、サイクリング。まずは、蝙蝠峠を目指す。今日のコースは食べるところが無いので、まず、関ICのコンビニでおにぎり2個買って弁当とする。久我を経て加太入り。加太のキャンプ場は3連休とあって大賑わいだ。蝙蝠峠(500m)は途中の2kmがきつい。平均10%で12%が普通、という感じ。なんとか登って、下り、国道163号広瀬から農免道路。県道2号で峠越え。ここで11時半頃となり、路傍でおにぎりを食べる。妙楽地からは旧道を走って集落の中を通る。もともとツーリング趣味で自転車を始めたので、旧道を走るのが好みである。
 伊勢路宿の旧道経由で青山工業団地へ登り、最初の交差点を左折、山中の道を登る。ここからは初めての道。本当は伊賀コリドール経由で農道のような旧道を走ろうと思ったが、googleストリートビューの車が引き返しているので不安もありやめた。(コリドールの上から下に見える道)
 奥鹿野の手前で旧道と合流するが、見た感じでは走れそうと思った。
 さて奥鹿野集落、初めて来たが、40軒はありそうな、思いのほか大きな集落だった。ここからは標識(写真)のように県道がクロスしているが城立(じょうりゅう)へ県道670号で大原越え(570m)まで登る。この道は青山峠(初瀬街道)ができるまでは飛鳥・奈良時代は伊勢へ通ずる峠であった、とも言われている。ふもとの奥鹿野集落も歴史は古いのであろう。
 峠までは4.5km程度。しかし、県道と言いながら道は林道。杉の枝葉が散乱し、路面が見えない所も多々ある。舗装も荒れ放題だ。杉林の薄暗い道なので、途中、車に出会った事でホッとしたぐらいの、初めてでは不安になる道だ。
 青山保養地からの合流地点付近が峠となっており、南側は伊勢湾の神島?を望むことができた。杉の枝葉の大量落下もここまででなんとか終わる。ここから先は登り、下りをしたことがあるが、10年近く前のことだ。城立への下りの道の景色も記憶にない。石が多かったように覚えており、その通り、パンクには気をつける必要がある。
 家城まで下り、今日は、県道28号で榊原温泉経由、片田から中勢BPで帰宅。走行121㎞

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逃げの作業

2022-03-19 | Weblog

  お彼岸となって、午前中、花を買って墓参り。その後婆さん宅で、絵の作業。今描いている「鎌が岳」はどうも描く気が萎えてしまっているので、額にいれて飾っていたフェルメールに手を入れることとした。
 こういうほぼ完成している絵に手を入れるのは安易な気持ちで出来ることで、産みの苦しみのような状態からの「逃げ」ともいえる。1/9、1/15のブログで絵を載せているが、細かい表現の修正なので、見てわかるほどでもない(写真;今日の状態…彩度が強すぎたので写真を修正)。・・・しかし、どうも、風景画というのは手に負えない。まず、描くことにあまり興味がないからなのだが、絵が趣味では風景画も描けないと、などと思って描いているのでよけい手が遅くなる。この歳、今更、苦手なものに手を出すこともないのだけれど・・・。完成させるまでは我慢、かな?

 夕刻、ネットで頼んだ温水洗浄便座が到着したので取付作業。5年3か月で不調となった。前回と同メーカー、同等品。前回の不調となった時はサービスマンを呼んでみたが「基盤の交換が必要」と言われ、それぐらいなら新品にと、新品を購入したが、今回も多分同様だろうと、修理頼まなかった。故障の状態から電子部品の不調と判断したためだけど。毎日使うものだが、壊れやすいナ、と思う。

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地蔵の大松

2022-03-16 | Weblog

 午前中、津市の心臓のかかりつけ医へ定期診察。暖かいし、ガソリンも高いのでジャイアン号で行く事に。もうシューズカバーもいらないし、良い気候になってきた。帰途は、同じ道もどうかと、黒田から市道、県道経由で帰宅。走行34㎞。
 午後、しばらく見ていない、西玉垣の「地蔵の大松」を見にいこうとクロスバイクで近場ポタリング。由来の案内板によれば、蘇我、物部氏の争いの結果、地蔵を捨てた目印に松を植えた、とある。江戸時代享保17年(1732年)、干ばつ対策でこの松の近くの湿地で水源工事中に地蔵菩薩が出土し、その後地蔵堂を建立して現在に至る、という。樹高は高くないが、幹回りは6.7mあり、壮観(写真)。
 帰途は、国道を横断し、東海醸造で「底引きたまり」を購入して帰宅。「たまり」は中京圏の独特の「醤油」。味噌製造時に樽底に溜まったものである。子どもの頃は味わった記憶があるが、長い間、賞味していないことと、先祖が味噌・たまりを作っていたことが分かったので味わって見ようとの思い。

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似せるのは難しい

2022-03-14 | Weblog

 今日は絵画サークルの日。先月から描き始めた「鎌が岳」の絵を持っていくが、これが苦戦。F6号という小さなキャンバスであるけれど、どうも描き方(描き表し方)がわからない。いじくり過ぎてぐちゃぐちゃになった。先生からも「絵具が乾いてから描き直すのが良い」と意見を頂く。やれやれ。
 先月の母の3周忌にあわせて、描き直した絵を並べてみた(写真)2019.7と2022.3(右側)。3年半前に2枚目の油絵として描いた絵の上から描き直した。前の絵は消えてしまったが、衣服や顔の輪郭はほとんど変えていない。(アウトラインを変えると修正作業が手間のためだけれど、アウトラインを変えていないため似ていないところがあるのは仕方なし(顔全体の長さなど))
 眼の位置を下げたのが大きな違い。当時は「半分似ている」などとNHK朝ドラの題名にひっかけて酷評だったが、まぁ確かに似ていない。鉛筆デッサンの段階で狂っていたためなんだが。
 まぁ、この3年半の手習いで、ある程度似ているように描けるようになった、というところか。肖像画は似せる必要があるからネ。

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春めいてきた

2022-03-13 | Weblog

 春めいてきた。乗れるときには乗っておこうと、午前中サイクリング。
 まずは椿方面。現在描いている、大久保町から観た「鎌が岳」の現場へ。現場へ行けば、新たな発見もあった。しかし、山の雪は消えかかって、春の気配濃厚。
 この後は、椿神社を経由して、東海自然歩道コース。最初の集落「上野(かみの)」から坂本集落へ抜ける道がある。20年ほど前に登ったきり走っていないので、行ってみることに。今まで走らなかったのは、峠までの道が急勾配だから。高低差約200mだが、最初石灰岩の加工をしている工場のあたりは12%、その上の霊園(写真)の横の道は、墓地の傾斜を見ても分かるが15%を下らない。20年前もここで脚を休めた。ここから峠まで60m程度登るだけなのだが、見晴らしはここしかきかないので一休み。当時に比べ舗装は良くなっているような気もした。
 野登山への分岐を過ぎて坂本集落へ下り、棚田展望台にも立ち寄ってみる。ミツマタの花が満開で4年前に山に入って観に来たことを思い出す。
 ここからは一気に下って、帰宅の途へ。走行58㎞
 

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お弁当サイクリング

2022-03-11 | Weblog

  今日は暖かくなるという予報。ただ、朝との気温差が大きい。こういう時は装束に悩む。
 9時に家を出て、伊賀越えを目指す。中勢BPの温度計は7度と、寒くない。長袖ロビロンに冬ジャージ、タイツも冬用(さすがにウィンドブレークではない)。初冬用タイツでも良かったかと思うほど。
 芸濃、河内渓谷にある長徳寺で紅白のしだれ梅が綺麗に咲いている。ゆっくり鑑賞。
 先日、細野峠を登った時は、後で心臓の辺りが痛みを伴う違和感があったので、負担にならぬよう伊賀越えの坂を淡々と登る。山道は勾配8,9%が主体でそれほどきつくはないが、時折10%越えもある。下りはウィンドブレーカーを着込んで降りるが、この装束で丁度良い。やはり山中は寒い。
 長野トンネルを抜けて、北長野の旧道を散策し、今日のランチ「一粒庵」へ、11時20分。ところが既に作業を終えていたらしく、弁当の在庫が1,2しかない様子で、本来なら完売の所。それでも、従業員用かな?分けていただき、近くの農道わきで食べる。(600円;写真。容器は食後返還)
 ここのお弁当は3か月振り。いつでも食べた後は、少し幸せな感じになる。自分のお気に入り。
 ランチ後は、農免道路で家所、県道で安濃経由、あの津台から中勢BPで帰宅、走行75㎞。帰路は冬タイツが少し暑かった。

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思わぬ効果

2022-03-10 | Weblog

 ウクライナへの思いを表明したステッカーを車の前後左右に張り付けているが、思わぬ効果があった。やはり、こういうものを外に付けていると、安全運転となる(前部には切り抜いた「NO  WAR」の文字をボンネットに。)
 愛車には、シルバーマークはつけていないが、多分つければ嫌々となり、かえって乱暴運転になるのではないかと思うので、当面このやり方で行こうかと。
 
  
 

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スラヴァ ウクライニ

2022-03-09 | Weblog

 「Slava Ukraini」(ウクライナに栄光あれ)。2月27日スペインで行われたグラン・カミーニョ第4ステージで勝利した、マーク・パデュン(ウクライナ出身)の言葉。「勝利を無邪気に喜ぶことはできない。自転車選手という立場からウクライナ市民を励ましたい。」とも。(28日付、シクロワイアード記事から)パデュンは昨年は新城と同じチームにいた。
 「Slava Ukraini」は第一次大戦、第2次大戦(反ナチ)、2014年の分離派との停戦時にも使われ、国民の合言葉のようなものだそうだ。
 車のステッカーにも、文字を切り抜いてみた。

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観梅サイクリング

2022-03-08 | Weblog

 暖かになりそうな天気なので、12月以来となる中村川へサイクリング、9時に家を出る。
 中勢BPの温度計は7度で、今日は厚めの装束を着てしまったのでちょっと失敗。ゆっくりのサイクリングペースで、久居へ。昼御飯用のパンを、ラミシェットで買い込む。火曜はうきさとむらを始め休みが多い。コンビニが安くて旨ければ良いのだが、お気に入りのパンの方が旨いのだから仕方ない(カスクート(フランスパンにハムとバターを挟んだもの)とタラコとジャガイモを入れて焼いたパンを購入←タラコが多くてびっくり)計400円。
 中村川は梅花のシーズン。紅白の梅が綺麗だ。途中、合ケ野にある「河津桜」はまだつぼみ。10日後は満開ぐらいになるかな?
 今日は、伊勢山上から後山を登る。途中の梅園でこの写真。梅の香りが漂っている。
 細野峠を降りて、買ってきたパンでランチ。
 帰途、中村川に架かる島田橋からは行きと同じコース。再度、ラミシェットに寄って、明日朝用のフランスパンなどを購入して帰宅。走行108㎞ 
 
 

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ウクライナ

2022-03-06 | Weblog

 ウクライナはどういう国かとネットで調べてみた。
 大陸の強国の間で、陣取り合戦のように何度も戦場となり、分断と抑圧の歴史がうかがわれた。
 建国は悲願でもあったようだ。陸続きの国境のある国に住まない自分とは感覚も異なるのだろう。(先の大戦で(現在の)日本国土で地上戦があったのは、沖縄県だけだ。)
 今、ロシアに蹂躙されるウクライナ。思いは届かぬが、形にしようと、車にステッカーを貼ってみることにした。(写真)
 百均で青と黄色のマグネットシートを購入。国旗の比率は2:3。幅21㎝なので7㎝に切って、併せ、裏をセロテープで留めて作った(製作3分)。ピースマークの方は円形の切り抜き工作が必要で下図が必要。
(ウクライナの国旗、青は空、黄は小麦を表すらしい;ダイソーの「青」が空色に近くピッタリだ)

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