自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

気晴らし、気晴らし

2024-05-29 | Weblog
 良い天気。中3日の気晴らしサイクリング。色々悩んでいたことも少し解消して、前に動き出した。こういう時は何も考えず自転車に乗るに限る。
 定番、椿神社コース、今日は、1週間ほど前に、家族と車で訪ねた水沢のふれあい牧場へ行ってみる事に。このあたりの道は以前は練習会でも走った道。集団から切れながらも、えんやこらと走ったことが懐かしい。
 車では急だなと思った、牧場への短い坂道もおもったほどでもなかったし、勢いで、東屋まで急こう配の散策路を登ってみる。短いが17度ぐらいの勾配なので脚にきた。そのあたりからの風景が見出しの画像。
 牧場からは水沢林間の道、西山~和無田で帰宅。和無田池の姫こうほねは1週間前と比べて、花も沢山咲いていた(下の画像)。良い季節だ。走行53㎞
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「ガロ」に振られる

2024-05-25 | Weblog
 良い天気、明日は自治会の草刈りもあるし、乗っておこうと、サイクリング。行先は安楽越えの定例コース。
 安楽の研修センター前で中年男性のクロスバイク発見、「どこまで行くのですか?峠一緒に登りますか?」と話しかけると、「いや、この辺りまで」と。「ギアは32Tを付けている」というので、「それなら休み休みで登れますよ」と。結局、バンガロー前でお別れ。どうも初めて来たみたい。自分も最初にこの峠を登った時は、3,4回休息したからなぁ・・・。でも、登れるんですよね。
 もっとも、今日もそうだけど、この峠道、しんどくなっている。10㎞を割るような速度でしか登れない・・・。
 さて、今日のランチ目的地は柘植の「こげら文庫」。今は廃刊となっているが、往年のマニアックな漫画雑誌「ガロ」380冊を自由に読める、という。「ガロ」は高校の頃、良く読んだので、当時の記憶がよみがえるかも、とも期待。(白土のカムイ伝は迫力ある劇画だったし、つげのねじ式は訳の分からんシュールな漫画だった・・・)
 開店まで時間的に余裕があったので、油日神社へ寄ってお参り。多摩ナンバーのワンボックス車が10台近くいるので、撮影か?と思う。境内には、おそらく端役であろう俳優?さんが4,5人ほど普段着の格好で、本(台本)読みしているのか、本を見ながらぶつぶつ言っている。駐車場では若い人が照明灯の柱部分を根のない木で隠す作業をしている。発電機や撮影機材はまだ出ていないので、夕方が本番かな?昼食後には衣装も時代劇用に着替えるのだろうと・・・。
 さて、柘植の「こげら文庫」、開店時間に到着すると「本日は12;30から営業」との張り紙が。
「ガロ」に振られてしまった。まぁ、こういう事もあるかと、行きしなのコンビニであんパンを買ってきて良かった。
 柘植の町はずれであんパン食べて、空腹を満たし、追加補給は関の道の駅に寄ることにする。
 関の道の駅、「巻きずし」が並んでいたが、タッチの差で先行客に取られてしまう。味ご飯のおむすびがあったので、これで代用。場内の椅子に座っていただく。
 帰路は、関の旧街道にいったん戻り、鈴鹿川右岸堤防道路で阿野田まで追い風に乗って大いに飛ばす。阿野田~下庄経由で13:30頃帰宅。走行90㎞。
 今日は写真を撮り忘れ、見出しの写真は、先日の和無田池の姫こうほねの花
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薬膳

2024-05-24 | Weblog
 先日、山の神の右手負傷の快気祝いも兼ねて、四日市山田町にある、薬膳のお店(古民家)でランチ(3800円)してきた。(写真)
 お客が揃った12時から陶磁器のお釜でご飯を炊くので、腹が空いてはと思って、お菓子などで詰めていたが、料理は小皿で出てくるので、そんな心配はいらなかった。(下の写真)これに、煮魚、メンチカツ、汁、デザートが付いた。石川出身?のひとらしく、金沢野菜、九谷焼の器などで供される。薬膳料理の本も勧められ、購入。
 我が家にも長谷園の伊賀焼のお釜が2つもあるが、一度使ったきりで、眠っている。今回山の神の右手負傷で、食器の洗い方を務めたので、洗うのは自分がやれば、薬膳の料理が気に入ったようで、お釜も使用し始めるかもしれない。

 行きがけに、和無田池にも寄ってきたが、姫こうほねの咲く季節となっていた。

 昨日は、中4日の午後サイクリング。河内渓谷~朝つみ前経由あの津台~中勢BPで48㎞。
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美術展サイクリング

2024-05-18 | Weblog
 展覧会やら色々あって、1週間ぶりのライド。天気も良いし、ゆっくりロングと行きたいな、と中村川へ8時40分過ぎに家を出る。チェーンを掃除したので回転が軽く、気温も上がって空気も軽くなり、良いサイクリング日和だ。
 島田橋から中村川遡行。山々の緑の中をたんたんと進む。若葉の季節は生命感あふれ、とても気分が良い。(見出しの写真)
 細野峠で休息して、峠を下る。途中の木金土営業のリエゾンでパンを買って近くの土手で食べる。イートインもできるのだが、こんな良い天気は外で食べたいところ。
 帰途、往路とは道を変え、雲出川の須賀瀬大橋を渡って、久居のアルスプラザで美術展をやっていたはずと立ち寄る。確かに小さめの美術展をしていた。出てから中勢BPに乗るが、県文で「みえ県展」が今日から開催、というのを思い出して、立ち寄ることに。
 先日、今年、写真で入選した方と話していたので、思い出したのだが、写真と絵画を観る事に(観覧には300円要)。7年前は。写真クラブに属していたが、今回、当時のメンバーなど4人出品していて入選、うち一人は入賞だった。丘の会のメンバーも一人洋画部門で入選している。
 県展には絵画で、一度出したきりだが、再度自分も出品を考えようかと励みになった。往路には考えてもいなかったが、今日は美術展めぐりのサイクリングとなった。
 県文からは、一身田、河芸経由で帰宅。走行110㎞。
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丘の会展(鈴鹿)開催

2024-05-14 | Weblog
 山の神の右手も回復してきているようで、最近は「皿洗い」がメインの家事手伝いの仕事となっている。料理の方は出番が無くなっている。いささか残念だが致し方なし。
 今日は家族で昨日から始まった鈴鹿市役所市民ギャラリーでの「丘の会展」(見出しの写真)へ行ってきた(19日15時まで)。受付をやっていたベテランの会員からは自分の絵「聖アンナと聖母子」の背景の処理の不十分さを指摘される。背景の部分はやっつけ仕事なのでおっしゃるとおり。が、手本にする詳細画像もなく、手が停まったままのところなんだよネ。5年もすれば手本となるような画像も出回るだろうと期待したい。再度手をいれよう、と。
 観覧の後は、鈴鹿IC近くのシャクヤク畑へ(下の写真)。駐車場で1000円いるけれど、そこいら一面に漂うシャクヤクの花の香りはなかなかのもの。帰りに見事な生花を買ってきた。ここは産業用に栽培している所。年々耕地面積が増えている。


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広域基幹林道鈴鹿南線

2024-05-11 | Weblog
 色々思う所あって、気分転換サイクリング。安楽方面へ、午前中サイクリング。
 新名神のJCT工事は終わったが、この「鈴鹿南線」での工事が続いている。橋の拡幅工事と書いてあって、林道の橋梁工事だとずっと思っていた。橋の名前は「錐ケ瀧(きりがたき)橋」と林道にしては粋な名前。通行止め表示はなかったので、この林道を登るのは数年ぶりだが、行ってみる事に。
 少し登ると、工事現場。なんと、新名神のべらぼうに高い橋梁「錐ケ瀧橋」の6車線化拡幅工事だった。林道は関係なし、で通行可能。(見出しの写真)
 この林道、砂の浮いているところもあるし、枯れ枝は散乱しているし、石は転がっているので、注意して走る必要があるが、車は来ないし、鳥やカエルの鳴き声、木の葉を揺らす風の音程度で気分転換には最高の道。標高差200m余り登るとピークに至る。新名神も眺められる。

 後2回ほど50~70mほどのピークをやりこなすと、東海道53次の坂下集落へ降りる道となる。藤の花ももう終わりの感じだった。
 旧東海道で、坂下、沓掛の集落をゆっくり下り、関の街並みへ。いつものコースで帰ろうと思ったが、亀山の歴博で企画展をしていることを思い出し、旧街道を走って、寄ってみる事に。
 企画展は、毎年行ってきた30年間の企画展の結果報告のようなもので、まぁ無料なので良いかと。なかでも甲冑や刀剣、古文書などを拝見して帰宅とする。走行61㎞。(下の写真は亀山歴博の展示;亀山藩主の甲冑)
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青紅葉

2024-05-08 | Weblog
 午前中絵の作業。13日から始まる展示会に出す「聖アンナと聖母子(部分模写)」の修正作業。4日前に聖マリアの肩口の衣装の襞の数が1本多いと思って消したが、翌日みれば、多くて良かった。原画と位置がズレていたので、数え間違った。まぁ、観覧者が見てもわからない事なのだが、描いた自分は知っている。原画の画家(ダヴィンチ)も知っている。ということで、再度修正作業、位置も修正した。
 これで、額に納めておしまいにした。全体的には納得のいかない絵なのだが、1,2年置いてまた手を入れても良いと思っている。
 気分転換に午後から、サイクリング。河内渓谷の忍田橋(写真)。青紅葉が奇麗だ。こういう時期の緑も良い。
 この後は、フランスベッドの下を真っ直ぐ、グリーンを横断して、ヤマギシ球場前を右折して、岡本から内多工業団地、汐見坂からあの津台で帰宅。走行52㎞。
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廃番

2024-05-04 | Weblog
 午前中、サイクリングで絵の鑑賞。
 四日市文化会館で女性5人の展覧会を日曜までしているので、うち3人は良く知った方、ということで行くことに。ただ、直行では距離が短いので、石薬師~山田~西山~ミルクロードまで出て、東の市街へ向こうはずだった。
 交差点で右折しなければならないのに、まっすぐ坂を延々下り、おかしいと思ったところが桜花台入口。いまさら、坂を登る気にもなれず、団地の中へ入る。
 桜花台を抜けてからの道がわからない(全く初めてで事前調査も無し)。たまらず、向こうから来た人に教えていただく。スマホで教えていただき、感謝。湯の山街道に出て、目的地へ到着。
 小さな展示なので、観るのはすぐだが、色々お話の中で、有益な情報も得ることが出来た。絵の仲間は有難い。
 帰途は、南日永の辺りから旧東海道で、3Kさんへ寄る。フロントアウター(6750)も3万㎞はとうに超えたと思って、シマノの在庫があるのかしらんと。答えは「廃番、メーカー在庫なし」10速のギアなどこんな物だ。ギアを見て「まだ、走れるよ」と言っていただいたが、10年後には83歳、自転車もろともあの世行きとなるのか・・・。11速化?ホイールが・・・、それならいっそディスクの12速でしょう・・・なのか。いやいや5年程度(78歳)で乗らなくなるでしょう、とも。サードパーティ製品ではシマノとデザインを合わしたギアもあるようだが、純正より高い。悩ましい。

 見出しの写真は先日の旅行で訪れた、沼津と三島市の間にある清水町の「柿田川公園」で。大きな川のようだが、この写真を撮った所から50mほどの間で湧き出した水だけで流れている。川底からもどんどん湧いている。膨大な富士裾野の湧き水だ。
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喬松平遠図

2024-05-02 | Weblog
 午前中、サイクリング。中2週間というご無沙汰であった。当然、脚が重いが致し方なし。怪我しない安全走行に努める。行先は、水沢の澄懐堂美術館。中国書画の専門美術館で春、秋の時期にしか開館していない。4月下旬に新館竣工の記念無料開放があって、家族と行っているのだが、書だけの展示で、見出しの画像の絵を見ることが出来なかったので再度訪問(800円)。椿には寄らずショートカットで走る。
 この絵「喬松平遠図」を描いたと言われる李成は10世紀、五代から北宋初期の画家。儒家ではあるが進士など登用試験に合格せず、酒の日々となって49歳で亡くなっている。後代の北宋の画家などに大きな影響を与えたという。(一応「伝李成」と表記されている。宋代の別の画家の模写という説もある。真偽は分からない)【画像の真ん中の線は展示ガラスのつなぎ目です】
 今、自分はダヴィンチの模写をしているが、西洋では、ダヴィンチの時代頃に始まったとされる「(空気)遠近法」が、既に500年前の中国の絵で描かれているという事実(墨の濃淡とぼかしなどの表現ではあるが)には驚嘆すべきものがある。細かく見ていくと写実的な表現にも驚かされる。じっくり鑑賞。
 他の書画も含め、小一時間ほど観覧して、退出。回り道だが、アジア選手権コースを走りに少し登ってから、西山~和無田で帰宅。走行50㎞。
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天城越え

2024-05-01 | Weblog
 2泊3日の家族ドライブに行ってきた。伊豆、箱根の旅、その初日の出来事など。
 朝6時前に家を出て、新東名で沼津まで。浜松いなさJCTを過ぎると3車線の120㎞の速度規制となり、スムーズで走りやすい。往復で使った。
 孫家族は既に前日から下田方面へ行っているので、天城トンネルを越えた「七滝」辺りで昼食後、合流することに。それまでは石川さゆりの「天城越え」や吉永小百合や山口百恵の映画「伊豆の踊子」の曲を流しながら雰囲気を盛り上げ、観光。
 まずは「浄蓮の滝」(見出しの画像)。お寺の名前からとった滝名。伊豆随一の名瀑と言うだけはある。石川さゆりの歌詞プレートもあって、歌のおかげか賑わっている。
 湯ヶ島温泉を過ぎて、道の駅「天城越え」で早めのランチ。湯ヶ島は井上靖が育った所で、道の駅にも旧家が移設されている。「伊豆近代文学博物館」も道の駅に併設され見学、この地と川端康成や多数の文学者のかかわりがあったことを紹介している。
 ということで、国道から別れて、天城越えの旧道を登ってみる。
 ところが、この道、ダートだが車で行けるとは道の駅で聞いてきたが、わだちが深くえぐれている所が多く、なかなか難易度が高い。自分の車のタイヤの位置感覚がない方はいかない方が良い。30㎝程度の深さにえぐれているので、腹をするだけなら良いがスタックする可能性もありそうだ。勿論、前から車が来れば対向することは更に難しい。1.5車線のダート林道と覚悟した方が良い。幸い車も来なかった。
 登りの途中に、川端康成の文学碑(下の写真)もあり、休んでいると、グラベルに乗った中年の方が降りてくる。私が「この先車で行けますか?」と念のため聞くほどの道だった。
 無事、底もすらず、難路を登って旧天城隧道まで到着(標高700m余り)。明治39年完成とあり、川端康成も大正時代に通過したトンネルだ。幅は4mあり、大きく立派なトンネル。(下の写真)
 「天城隧道」を通過して下ると、下田側の道はそれほど荒れていない。石川の歌にもある「寒天橋」で休息(下の写真)ここは山の上部にある八丁池ハイキングの為にシーズンには専用バスが走っているようでバス停があり、このあたりから下は舗装されている。
 この後は、国道に戻って、七滝のループ橋を下り、孫家族と無事合流、天城越えを終える事ができました。
 この後は、再度、長岡温泉まで戻って、翌日、深海水族館、柿田川公園の観光して、東京の孫家族と別れ、箱根泊、翌日箱根観光して帰宅。
 中でも、伊豆の踊子や石川の歌にちなむ、「聖地巡礼」の天城越えは印象に残る旅でした。

 川端の文学碑

 旧天城隧道

 寒天橋のたもと


 
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