Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

消費2.0って・・・

2007-01-16 08:27:27 | Weblog
昨日,久しぶりに東京へ。非常勤先の大学に着いたのが時間ぎりぎり。電車をもう1台早くしないとだめだ,正月ボケということか…。大学院の授業で,傾向スコアを使った広告効果研究(Mizuno and Hoshino)への照会。ほー,この手法に興味がある学生が聴講していたとは。

帰り際に駅で『エコノミスト』1/23号を買う。「消費2.0」の特集…最近売れている製品の紹介は確かに面白い。たとえば電動ヘアブラシ TRUE,不勉強にして全然知らなかった。寝グセがなくなるなら,買ってもよい。にしても,ウェブを使い,クチコミをうまく誘発しているから「消費2.0」ということなのか・・・。

この特集にある西川りゅうじん「「バブル消費」再来の危うさ」は,大都市部の地価上昇や「ソワニエ」ブームのようなバブル再来=リバブル現象と,その反動としてのマイクロレストランやクラインガルテン(小規模な貸出し用農園)を紹介している。このへんは東京に住んでいないと実感できないかも。都会では,電車に乗っているだけで多くの情報に接することができる。

放送大学の教材を買う

2007-01-14 23:07:49 | Weblog
1月もそろそろ半ば,そろそろ着手しなければヤバい仕事がいくつかある。切り替えの時期が迫っているということだ。「ワイン」の「最終」プログラムを走らせ,帰宅した。明日の朝,どういう結果が出ていることやら・・・これ以上の改良には,勉強のし直しを含む相応の時間が必要になる。

帰りがけに寄ったお気に入りのSCの本屋で,放送大学の教科書をいくつか買った。森谷正規,小田切宏之編『日本の製造業の新展開』,亀岡秋男,古川公成『イノベーション経営』・・・いずれも執筆陣が豪華だ。たとえば後者には,野中郁次郎,藤本隆宏,霍見芳浩といった名前がある。

もう一冊,杉本太一郎『使える数理リテラシー』も買った。物理学者が,社会科学も視野に入れつつ,数理モデルの基礎的な作法を語っているようだ。きちんと読んでいないので,あくまで第一印象でしかないが,役に立ちそう。放送大学,なかなかである。

本屋は悦びに満ちている。他にも新書を数冊,そして『名探偵コナン』最新刊を購入。ツン読ストックはますますうず高くなる。

選好,革新,社会関係

2007-01-13 09:30:04 | Weblog
昨日,午前中は新しい大学院制度に関する受託調査の打ち合わせ。企業,官公庁等における様々なキャリアパスの可能性を探ることになる。官公庁に詳しい都市計画系の先生方の話はちょっとした驚きだった。なるほどね・・・。民間企業向け調査票の原案を作ることを約束。

午後はセンター試験監督員の説明会。リスニングテストの手続きは何度聞いても頭に入らない。夕方,某委員会。そこで組織の動向に関する,ちょっとした内幕話を聞く。そのあと学生と打ち合わせ。卒論提出まであと10日ほど。あとはひたすら収束→ソフトランディングに向かう。だが,ケアする時間もなくなってきた。

1~2月の懸念事項に,科研費,校費を使い切るという課題がある。研究費とは,要らないときにあって,ほしいときにないものだ。Marketing Science Conference の申込み締め切りが2/1に迫っている。来年度科研費が取れる保証はない。シンガポールだから休暇をとって自腹で行くことになるかも。

夜,研究業績と計画の整理。キーワードをあげると「選好」「イノベーション」「社会関係」の3つになる。つねに各分野から1つずつ,並行して研究を進めていくことができるかどうか。当面でいえば「ワイン」「自動車」「仕事意識の国際比較」・・・など。

「情報倫理」の講義を聴く

2007-01-11 21:01:56 | Weblog
村田教授が「情報倫理」の特別講義のためやってきた。哲学的な話ではなく,ビジネスの現場でどう意思決定するかという実際的な問題を扱う。主にB3の学生相手にケースによる授業,なかなか反応は良いが,与えられた時間が短すぎた。もう少し議論を深めたいところ。遠方からせっかく来ていただいたのに,申し訳ない。

そのあと3人で食事。いろいろな大学のことが話題に上る。大学ごとにいろいろな歴史があり,文化があり,戦略がある。「時流」を過度に意識せず,確立された伝統を尊重し,泰然としている(ように見える)大学をうらやましく思う。・・・と嘆いても仕方ない,自分のなすべきことをなしていけばよい・・・と思うものの,明日は会議ばかりの日。

大学リストラの行方

2007-01-11 09:21:00 | Weblog
4月から「助教」の採用が始まる。一部の大学では,そこにテニュアトラック制が導入される。つまり,一定年限内に所定の成果を収めないと,大学を去ることになる。人材の流動化を意図したものだろうけど,一部の大学しか導入しないとなると,採用に強気でいられる大学にしかメリットはないだろう。懸念されるのは,失職の可能性を恐れる若手教員が,いま以上に雑用を引き受けざるを得なくなることだ。そんなことになれば,若手の研究を刺激するという前提が崩壊する。

人件費を抑えるのが課題だとしたら,若手教員を絞ったところでたかが知れている。ターゲットは当然,シニアに向かう。その布石と思えるのが,職名(肩書き)と職務の級(給与)が連動しなくなるという改革だ。つまり,見かけ上昇進するが給料は据え置かれる(さらに,肩書きはそのままで給料が下げる?)ことが可能になる。民間企業ではよくある話だろう。その次に,早期退職勧奨制度がきても不思議ではない。

企業で起きたことが大学で起きると思えばよい。だとしたら,アウトソーシングはいっそう進行するだろう。学内のかなりのサービスが大学間で共有可能である。米国では,シラバスや教材のウェブサービスを大学を超えて行なう会社がある。その大学の差別的優位性にとって本質的でない業務は,専門会社に委託すればよい。潜在的なビジネス機会がたくさん眠っていそうである。

だが,企業がまさにそうであるように,人件費等のコスト削減だけから競争力が生まれるとは考えられない。東大や慶応のようなブランド力のある大学は,当面,いまより学費を上げても優秀な学生を集めることができるだろう(社会的批判を受けるにしろ)。だが,それが難しい大学は,差別化と集中を図るしかない。個々の教員の生き残りについても同じことがいえるだろう。ああ・・・

大学のブランド拡張

2007-01-10 23:43:13 | Weblog
早稲田と東京女子医大の合併話は以前から取りざたされているが,東大の総長が,あと足りないのは芸術学部だとか,女子大と合併して女子学生を増やしたいとおっしゃるのには驚いた(『エコノミスト』1/16号)。他の大学も含め,合併を通じてフルメニュー化していくのが,大学の生き残り戦略だという考え方が広がっている。しかし,それは正しいことなのか? 

ずば抜けたブランド力を持つ大学には,ブランド拡張への過信があるように思える。産業界には,優良企業でありながら,それに失敗した事例が山とある。ブランド拡張の誘惑にいかに負けないかが,優れたマネジメントの条件ではないだろうか。大学経営者も,そろそろそれに気づいていい頃ではないかと思う。

早稲田に医学部ができ,東大に芸術学部ができることで,どんな価値が生まれるのだろう? どんな実質的なシナジーがあるのだろう? ただただ「総合」を目指すことの危うさは,百貨店やスーパーの歴史に端的に現れている。同じことが大学にあてはまらないと,なぜいえるのだろう。


人工社会構築指南

2007-01-09 19:21:47 | Weblog
待望の『人工社会構築指南』が山影先生より届く。ABM の汎用ツール artisoc の教科書である。巻末にある「読書案内」を見ながら感慨に耽る。そうそう・・・こういう流れだったんだ・・・。リストのなかから,持っていない本を発見! 早速注文する(残念なことに,この教科書自体は,いまのところアマゾンで扱っていない)。

来年度,卒論指導は ABM に集中するつもりだ。過去3年間の経験で,比較的「うまくいく」ことがわかった。もちろん,経営工学の学生たちだから,ということもある。とはいえ,OR や経営科学の世界の「正統派」シミュレーションから見ると ABM は異端である。マーケティングサイエンスにおいても然り。しかし,そんなことはもうどうでもよい。

一方,いま取り組んでいるのは,別の意味のシミュレーション・・・つまり,統計的推測のためのシミュレーション(MCMC)だ。いずれにしても,時間がかかる。ハイエンドのPCが届いたが,モニタとつなぐケーブルがない。早く「マルチタスク」体制を再構築したい(・・・といっても,単に複数のPCを1つのモニタとキーボードで共有するだけのこと)。

前述の「読書案内」を読んでいまさらながら気づいたのは,ABM で成功する条件は,いかに良書を読むかだということ。天才が見い出したアイデアを凡人が「見える化」するツールが ABM かもしれない。その意味で,自分にとっていま最も重要なのは「読書」である。めぼしい本はたいてい買ってあるが,それをほとんど読んでいないという事実。これがすべての根っこにある。

大学女子駅伝

2007-01-08 20:59:20 | Weblog
研究棟のすぐ横が全日本大学女子選抜駅伝の最終コースになるという僥倖。いそいそと見学に行き,TV東京の小旗をもらう。立命館のアンカーが颯爽と駆け抜けていく。続くのが名城大。ちょっと見学,のつもりが,結局フィニッシュ地点の陸上競技場まで出かけ,挙句の果てには表彰式まで見学した。立命館の選手たちは陸上エリートと聞くが,みんな小柄でフツーな感じ。表彰を待つ間もきゃっきゃっと騒いでいる。3位が関西学連選抜というのもすごい。関西はレベルが高いということか・・・。

研究室に戻り,学生と打ち合わせ,気がつくとこの時間だ。亀の歩みのような研究生活。明日から会議だ何だと「日常」が始まる。あのランナーたちのように,風のように疾走していきたいと思う。

50歳からの「夢」

2007-01-07 15:51:48 | Weblog
本屋で思わず「プレジデント・フィフティプラス」なる雑誌を買った。「プレジデント」の別冊なのだが,50歳以上の男性をターゲットに,セカンドステージの人生設計に焦点を当てている。「夢」の値段,という特集では,50~65歳のビジネスマン38人を取り上げ,60歳以降の生活にどんなビジョンを持ち,その予算がいくらかを紹介している。他人事のように眺めていたが,実は自分にも50代はすぐそこに迫っている。

この雑誌から伝わってくるのは,50代とは,60代からの第2の人生(セカンドライフというと,最近では別の意味になるが…)に向けた準備期間だという考え方だ。家族への責任を果たした上での,最後の自己実現の機会ともいえる。ただ,そのような考え方は,子どもを持たない夫婦や独身者が増えていくと,だんだん希薄になるかもしれない。

ぼく自身,60代から新たな生活が始まるとか,いまはそれに備えて頑張ろうとか,ほとんど考えていない。40代という「中途半端な」年齢で企業から大学に移り,「講師」というこれまた中途半端な職位にあるせいだろう。老いがひたひたと歩み寄っていることを感じつつ,職場(あるいは学界)では「若手」の気分でいる。だが,それは幻想であって,正しくない戦略のように思えてきた。

親しくしている研究者の大半は30代だ。彼らとぼくの決定的な違いは,残された時間の違いにある。あと何年働けるかわからないが,それが30代のときに比べ圧倒的に短いことだけは確かだ。ということは,まずは基礎を固めてからとか,好機が訪れるのを待とうなどと考えて迂回戦術をとっていると,結局ゲームオーバーになってしまうおそれがある。

実は,この雑誌と一緒に買ったのが『イキガミ』第3巻。これは国民の0.1%が,18~24歳に死亡するよう国家によってプログラムされるという「荒唐無稽」かつシリアスな劇画である。死の24時間前に死亡予告書=逝き紙(イキガミ)が届く。それをもらった若者が,残された時間をどう生きるかが,毎回の主題である。あと24時間というのはあまりにキツいが,24ヶ月であればどうだろう・・・あるいは24四半期(=6年)では・・・。



論文指導という仕事

2007-01-06 10:36:17 | Weblog
ここ数日,審査を担当する修士論文をいくつか読む。誤字,文法的誤り,必要な説明の欠落や誤謬,論理的矛盾・・・ある程度は仕方ないが,度を越すと読むのが辛くなる。だが,単なる読書と違い,放り出すわけにはいかない。そこで我慢して読んで,いろいろ赤を入れていく…。

もちろん,論文の読みやすさについて,人のことを偉そうにはいえない。自分が以前に書いた文章を読んで慄然とすることがある。何じゃこりゃー,さっぱりわからんじゃないか。つまり,文章を完全に客体化しないことには,よい文章は書けないということ。身近に厳しいレビュアーを持てればいいが,いつもいつも,というわけにはいかない。

米国の大学院にはライティングの授業があるらしい。だが,いまぼくが置かれた環境では,指導教員自らが何とかするしかない。ふだんから学生に文章を書かせて,個々の文章を前にしながら,どこをどうすべきかを一緒に議論することを繰り返す…というのが理想だが,そうなると指導できる学生の数はかなり制限されてくる。

誤字や文法的誤りは比較的簡単に解決できる。難しいのは,叙述の論理性や一貫性である。書いている本人には何らかの思いがあるのだろうけど,それが論理的に構成されていないことをどう理解させるか。その上でどう再構築するか。これは骨が折れる仕事だ。そして最も難しいのが,そもそも何が知りたくて研究しているかはっきりしない場合。ゴールが明確でないと論理が宙に浮いてしまう。

ここまで来ると,学位論文を書こうとする人間の資質という問題に触れざるを得なくなる。学位を取ることと,研究をすることが乖離しつつある時代。研究志向の大学院の数が全国レベルで絞り込まれていく趨勢のなかで,自分の仕事はこれからどうなるのだろう,などとつい考えてしまう。いや,先の話より足元をどうするかだ。

追記:「資質」というより,リテラシーというべきか。それは本来学習されるものだから,大学院進学以降に育成することも不可能ではないが,実質的指導が1~2年の範囲でどこまで可能か。ただし,理工系にありがちな,いい意味で piecemeal な研究の場合は問題が少ない。

サービスサイエンスは社会科学を必要とする

2007-01-03 23:19:52 | Weblog
昨年から「サービスサイエンス」なるものに関わるようになった。元々IBMが言い出したこともあり,サービス分野へITや経営科学を適用するという考えが根本にある。ただし,米国での会議に参加した先生の話では,経営上の含意や心理学的ファクターの重要性が強調されていたという(そのこと自体は,マーケティング研究者から見れば当たり前のことだが)。

日本のサービス産業は生産性が低い,というのが常識になっているが,それはビジネスプロセスを効率化する手法を導入すれば済むという問題ではなさそうだ。二人の米国人コンサルタントが書いた『日本人が知らない「儲かる国」ニッポン』は,日本のサービス産業を取り巻く商慣習や制度上の制約が,いかに顧客の利益を損ねているかを列挙する。そして,それが外国からの参入者に大きな機会となるという事例を紹介している。

本書で取り上げられるのは,金融,不動産,ソフトウェア,ヘルスケア,葬儀屋など。なかでも不動産やヘルスケアという,人々の生活に直結する部分について,読んでいてなるほどと思える部分が多々あった(つまりぼく自身,日本社会に無批判にどっぷり浸かっていて,サービス消費者としての意識が低かったわけだ)。本書の主張がすべて正しいわけではないにしても,日本のサービス産業に大きな問題があることは確かだろう。

サービスのイノベーションを起こそうとするなら,ユーザが当たり前だと思っている社会的慣行や制度を批判的に見直す必要がある。ビジネスのリエンジニアリングがそれだけで完結せず,社会のリエンジニアリングを避けることができない。したがって,工学者と心理学者が協働するだけでなく,国際比較の視点を持つ社会科学者と協働すべきであろう。そこまでの視野の広さを持てるかどうかが,サービスサイエンスの成否を握っている,と思う。

紅白歌合戦と年賀状

2007-01-02 23:58:37 | Weblog
2007年の世界は日本は,政治は経済は,はたまた消費のトレンドはどうなる…と書きたいところだが,普段を考えていないことを考えてもだめである。ただ,今年気になることとして「価値・ライフスタイルの多様化」というあまりに言い古された概念が,より確かな形で裏づけられるかどうかがある。いうまでもなく,昨年遭遇したロングテール論の影響である。

情報処理学会のパネルディスカッションで,Web2.0の動向を占う今後注目すべき兆候は何か,という質問を全パネリストが受けた。自分の番になって苦し紛れに「巨人戦の視聴率がさらに下がるかどうか」と答えたが,全く受けなかった。確かに気の利いた発言ではないが,全く的外れとも思っていない。全国一律「巨人・大鵬・卵焼き」の時代は,どうあがいてももう来ない(同じことを今日TVで中日の落合監督が語っていた)。わかりきったことのようでいて,実はそうでもない。

昨年末の紅白歌合戦の視聴率は,過去最低に近い水準だという。この低落傾向は「エロ芸」でも変えることはできなかった。そうはいっても40%近い視聴率というのは,まだまだ高い水準だ。ふだんはTVを見ない人でも,大晦日だけは家族で「文化的慣習」にしたがっているのだろう。それでも近い将来,紅白の視聴率が20%台になる日が来る。紅白はヘッドとして残るだろうが,多様な,より豊かな大晦日の過ごし方が広がるだろう。

元日に配達された年賀状の枚数もまた長期低落傾向にあるという。周囲を見た感じでも,若い人々はケータイやネットのメールで年始の挨拶をしている。最近は以前ほど自宅住所が公開されないので,新たに知り合った人に年賀状を出すことが難しくなっている。ということで,ぼくの年賀状リストは,新規の追加がほとんどない。ただ過去を懐かしむ儀式になっている。

実は30日夜から1日まで,年賀状ソフトで苦戦した(この時期にそういう作業をしていること自体終わっているが)。せっかく登録した名簿がPCのトラブルで消失したり,プリンタのヘッドが汚れていて何十枚も印字不良を起こしたり,プリンターへの挿入方向を間違えてハガキの表裏で天地が食い違ってしまったり…ITによる効率化の期待が幻想である格好の例だ。だが,一方でメールの年賀状が百通以上も来るようになったら悪夢である。

年賀状の基本機能は,ふだんよく会う人への親しみの再確認と,ほとんど会わなくなった人への「何とか元気でやってます」というメッセージであろう。前者は,会ったときに挨拶すればいいので,なくてもすむ。しかし後者は,他に代わる手段がない。とはいえ,これから永遠に会わないかもしれない人に,挨拶し続ける必要があるのか。だが,相手が表明してくれた親しみに応えることは,進化的に組み込まれたプログラムなのである。

これはゲーム理論における tit for tat と同じである。いったんどちらかの名簿に載ると,お互いに半永久的に年賀状交換が反復される。何かの誤りがない限り「裏切り」は起きない。だからこの慣習は(少なくともある世代以上において)紅白歌合戦よりは長持ちするだろう。個人的には,何かやり方を変えたいという気持ちはあるのだが…。