菅首相が辞めるとか辞めさせるとか揉めていたのがだいぶ以前のように思える今日この頃。VOICE 7月号は「菅政権、失敗の本質」という特集を組んでいる。その巻頭を飾るのは組織論の世界的権威・野中郁次郎教授の論文。タイトルは「リアリズムなき政治家が国を滅ぼす」である。
野中氏は冒頭で,震災後,執筆者に名を連ねる『失敗の本質』が売れたことに触れ,第二次大戦における日本軍と菅政権の「失敗」の共通性に多くの人々が気づいているのではないかと指摘する。具体的にいうと,それは大局的な戦略の欠如,そしてリアリズムの欠如であるという。
菅政権にどのような戦略があるのか,確かにはっきりしない。場当たり的に動いているように思える。なるほどなあ・・・と思って読み進めると、突然「菅政権のイデオロギーとはやはり、マルキシズムであろう」という一文に出くわす。このあたりから,いろいろ謎が深まっていく。
野中氏は,菅政権はマルキシズムの理想主義を引き継ぎ,実践におけるリアリズムを欠いているという。ところがその直後,鄧小平以降の中国は表向きはマルキシズムを掲げながら,実際にはプラグマティズムを貫いていると賞賛される。結局,リアリズムが重要ということなのか・・・。
では,なぜ菅政権はリアリズムを欠いているといえるのか。野中氏が挙げる証拠は,浜岡原発の停止が突然決まったことである。「原子力は悪だから、即停止」という考え方が批判されるが,菅政権の意思決定がそのようなものであったという事実が示されているわけではない。
菅政権の「失敗の本質」について,菅政権の中枢で実際どのようなプロセスがあったかを緻密に実証することなく,一方でチャーチルや鄧小平の偉大さが何度も強調される。印象操作としてはともかく,組織研究としての知見を見いだすことは,浅学のぼくには非常に難しかった。
だが,このことは若い研究者にとって好機到来ではないのか。「菅政権の失敗」(あるいはもっと広く「民主党政権の失敗」)について,事実に基づきながら何が起きたのかを解明し,そこから何を学ぶべきかを考究していく仕事が今後に残されたのだから。
Voice (ボイス) 2011年 07月号 | |
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野中氏は冒頭で,震災後,執筆者に名を連ねる『失敗の本質』が売れたことに触れ,第二次大戦における日本軍と菅政権の「失敗」の共通性に多くの人々が気づいているのではないかと指摘する。具体的にいうと,それは大局的な戦略の欠如,そしてリアリズムの欠如であるという。
菅政権にどのような戦略があるのか,確かにはっきりしない。場当たり的に動いているように思える。なるほどなあ・・・と思って読み進めると、突然「菅政権のイデオロギーとはやはり、マルキシズムであろう」という一文に出くわす。このあたりから,いろいろ謎が深まっていく。
野中氏は,菅政権はマルキシズムの理想主義を引き継ぎ,実践におけるリアリズムを欠いているという。ところがその直後,鄧小平以降の中国は表向きはマルキシズムを掲げながら,実際にはプラグマティズムを貫いていると賞賛される。結局,リアリズムが重要ということなのか・・・。
では,なぜ菅政権はリアリズムを欠いているといえるのか。野中氏が挙げる証拠は,浜岡原発の停止が突然決まったことである。「原子力は悪だから、即停止」という考え方が批判されるが,菅政権の意思決定がそのようなものであったという事実が示されているわけではない。
菅政権の「失敗の本質」について,菅政権の中枢で実際どのようなプロセスがあったかを緻密に実証することなく,一方でチャーチルや鄧小平の偉大さが何度も強調される。印象操作としてはともかく,組織研究としての知見を見いだすことは,浅学のぼくには非常に難しかった。
だが,このことは若い研究者にとって好機到来ではないのか。「菅政権の失敗」(あるいはもっと広く「民主党政権の失敗」)について,事実に基づきながら何が起きたのかを解明し,そこから何を学ぶべきかを考究していく仕事が今後に残されたのだから。
理想はアリソンのような研究ですが(←高すぎる理想(微苦笑))。
たとえ自分には無理でも、若い人がそれを研究する手助けはしたいと思います(微笑)。
「菅政権の失敗」についても同様。政権交代は歴史的にそれなりに重要な事件であっただけに,政権中枢,党内外の諸政治勢力,官僚組織,メディアなどの動きを多面的に捉えた意思決定プロセスが今後期待されます(まさにアリソン?)。
ところで,われわれば「失敗」を究明すべき組織は,もっと「身近」にあったように思います^^
そうなると、かなりの力量が必要かと思いますので(汗)。
まずは、「身近」な問題で腕を磨いて、それから時間を掛けて取り組みたいと思います!!