Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

都知事選と選択理論

2011-04-11 19:00:43 | Weblog
昨夜投票のあった東京都知事選では,「下馬評」通り石原慎太郎氏が「圧勝」した。

 石原 慎太郎 2,615,120 (43.4%)
 東国原 英夫 1,690,669 (28.1%)
 渡辺 美樹  1,013,132 (16.8%)
 小池 晃     623,913 (10.4%)

石原氏の勝利は「想定内」として,東国原氏が3割近く得票したこと,出口調査の結果によれば20代の有権者の間で最も支持率が高かったことから,東国原氏は「健闘」したという見方もある。もし石原氏が出馬しなかったら,東国原氏が都知事になっていたのだろうか・・・。

四選目となる今回は出馬しないことを匂わせていた石原氏が翻意したのは,自分が出ないと東国原氏が都知事になる可能性が高いという調査結果を,事前に自民党から見せられたためだという説がある。副知事・猪瀬氏の石原氏の出馬動機に関するツイートでも,そのあたりのことが示唆されている。

では,石原氏が出馬せず,他の候補はいまと同じであったらどうなっただろう?石原氏の出馬で撤退した神奈川県知事の松沢氏の人気は未知数だが,少なくとも今回立候補した他の候補(渡辺氏や小池氏)に対しては,東国原氏は圧勝しただろうか?選択モデルの IIA 特性が成り立てば,当然そうなる。
IIA とは Independence of Irrelevant Alternatives の略で,選択肢間で選択確率の比は一定であることを意味する。
ところが,石原氏が出なかった場合,東国原氏が1位になるとは限らないというご指摘を,田中洋先生からいただいた。東国原氏は今回健闘したように見えるけれど,実はそれは,反石原の有権者が今回,石原氏以外で最も得票しそうだと思われた東国原氏に票を集めた結果かもしれない,とのことである。

これは,一種の Elimination by Aspect として理解したい。石原氏だけは当選させたくない有権者は,当然ながらまず選択肢から石原氏を消す。次に,死票になる可能性が高い候補をどんどん消していく。そこで最後に残ったのが,東国原氏というわけである。製品やブランドの選択と違うのが,ある選択肢が社会的に選ばれることへの不効用が存在することだ。

石原-反石原軸による消去が最初に来るなら,(そして石原氏の人気が相対的に上ならば)その時点でほぼ勝負が決まってしまう。石原氏以外の候補が増えるほど,石原氏の勝利は盤石になる(ただし,IIA 特性が成り立っていても,反・非石原候補の乱立が石原氏に有利であることには変わりはない)。

石原かそれ以外かの選択は多分にエモーショナルである。民主党の有力議員でさえ,石原氏に「父性」を感じてしまうようだ。選好に関する実験的研究が示するように,無意識的で直感的な好き嫌いが選択の第一関門になる。そこで消去されると,次の段階の属性をいかに高めても選択されることはない。

石原氏ではなく松沢氏が出馬していた場合,愛煙家を除き,石原氏ほど熱愛されることも毛嫌いされることもないから,有権者の選択行動は変わっていたと思われる。エモーショナルな消去が最初に来ることは同じだとしても,誰かを落としたいという強い衝動は働かなかったのではないか・・・。

だとすると,各候補者の得票数は,「本来の」人気に近い分布になったと思われ,ドングリの背比べになった可能性が大きい。場合によっては,落としたいという衝動が東国原氏に向かったかもしれない。いずれにしても,東国原氏の一人勝ちになったという IIA 的予測は当たらないことになる。

選好が選択肢の集合に依存することは文脈(コンテクスト)効果といわれる。文脈の違いが,個々の選択肢の持つ属性が同じでも,違った選択結果を生み出していく。そのことで予測は難しくなるが,結果がどうなるか楽しみになる。あえていえば,クリエイティブ,ということだ (^o^)