Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

意識と無意識の間

2007-09-19 23:46:38 | Weblog
昨日は「無意識の消費者行動」について,最近の研究状況を紹介する機会を得た。2005年の Journal of Consumer Psychology に掲載された,Dijksterhuis らの展望論文と,それに対する Simonson の反論。環境に隠された(しばしば意識されない)要因が,いかに自動的に態度変容や行動を引き起こすかを示す統制実験が列挙される。それに対して,Tversky の共同研究者でもあった Simonson は,無意識の重要性が誇張されている,消費者の選択の重要な部分は意識的な情報処理にある,と従来の認知科学的な立場を擁護する。

Simonson によれば,Dijksterhuis たちが見出した環境要因は種々雑多で,現実の購買場面ではノイズになる。周到に仕組まれた統制実験で効果が検出されたとしても,実際の行動の予測には使えないという。かつて,Tversky らが,人間の限定合理的な意思決定がもたらすバイアスを数々の実験で暴き出したとき,主流派の経済学者たちは,そんなものは大局的に見ればノイズにすぎない,アドホックすぎて予測に使えない,などと反論していた。それを思い起こすと,皮肉な展開になっている。

一方,Dijksterhuis らは,Simonson と Tversky の有名なコンテクスト効果の研究を槍玉に挙げる。そもそも「消費者は選択肢の諸属性を考慮して選択する」という枠組みを勝手に消費者に押し付けて調査をしている。実際の購買時にそんな形の意思決定をしている保証はないから,そちらこそ非現実的だと。こうなってくると,完全に話は噛み合わない。合理的意思決定パラダイムが崩壊したあと,かつては異端であった学派どうしが喧嘩している,と見えなくもない。

この対立は,仔細に見れば,かなりの程度調停できるかもしれない。つまり,同じ号で Chartrand が指摘するように,無意識的か意識的かの峻別が,人間の意思決定のどの部分を指しているのかを明確にすれば,ある程度は棲み分けできるのではないか。それでも残る,無意識と意識の線引きが難しい領域が,本質的に重要な争点になるだろう。たとえば,有名な認知的不協和について,無意識の意思決定であることを示す研究があるという。

・・・ともかくセミナーを終え,久しぶりに完徹に近い状態のまま本屋で

『一橋ビジネスレビュー』秋号「デザインと競争力」
『広告批評』9月号「ワイデン+ケネディ」
『週刊ダイヤモンド』9/22号「新聞没落」

を買う。そして,それを読むまもなく,クリエイティブあるいはエンタメの経営学的研究の方向性をめぐって,若手研究者と打ち合わせる。こういう大テーマは手探りで進むしかない。無意識の心理学に,考えすぎるとかえってよい意思決定はできない,寝かせていると,いいアイデアが生まれることを示す実験がある。その教えに従い,昨夜は久しぶりに爆睡した。

そして今日は脳科学塾。東大の石浦章一先生から,無意識よりさらに奥底にある,遺伝子と脳科学の話を聞く。遺伝的に決定される部分とされない部分をいかにきちんと区別するか。自然科学の厳密さを改めて実感する。ある個人がいつ痴呆になるか,遺伝子診断によってかなりの精度で予測できるという。そして,個々人の条件に応じて,どう生活習慣を変えれば痴呆の発症を遅らせるかを提言できると。経営科学でも,確実性のレベルは低いとはいえ,そんなことができないかと夢想する。