愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

高麗寺史跡

2005年11月07日 | 風物:陵墓



現在山城町の手で、発掘調査がおこなわれている。

下記は山城町のホームページより転載させていただきました。
 (http://www.town.yamashiro.kyoto.jp/frame.html)

高麗寺跡は、7世紀初頭(飛鳥時代)に創建された列島最古の仏教寺院の一つです。この地がかつて相楽郡大狛郷《おおこまごう》に属していたことから、古朝鮮三国のうちの一つ高句麗《こうくり》からの渡来系氏族、狛《こま》氏とのかかわりが指摘されており、文献資料からは、天平《てんぴょう》年中(奈良時代)に存在したことが『日本霊異記《にほんりょういき》』に記されています。
伽藍《がらん》は木津川を見下ろす台地上に南面して立地し、西に金堂、東に塔を持つ法起寺《ほっきじ》式の伽藍となります。塔、金堂、講堂は整美な瓦積基壇を外装としており、講堂の両翼から伸びた回廊は塔、金堂を囲んで中門に接続します。寺域は東西に約200メートル、南北に約190メートルの規模を持ち、その周辺には、講堂等に葺かれた瓦を生産した高麗寺瓦窯《がよう》や高井手瓦窯が存在し、北方には高麗寺造営氏族のものと考えられる大規模な館《やかた》跡(上狛東《かみこまひがし》遺跡)が発見されています。また、多数の瓦類・金具・鉄釘などが出土しており、こうした出土遺物は重要美術品に、寺跡は「国史跡」に指定されています。現在、町では、高麗寺跡の公園化整備に向けて取り組んでいます