ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/06/25 子ども時代のピアノに別れを告げに...

2005-06-25 23:40:04 | つれづれなるままに
今日、子ども時代のピアノに別れを告げに実家に行ってきた。
私には1歳半ずつの間隔で妹が二人いて、三人姉妹として育った。まず、真ん中の妹が家の近くのピアノ教室で習い始めた。しばらくして母の友人の娘さんが音大に通っているので、その人に姉妹全員がピアノを習うことになった。そのためにピアノを買うことにして、両親が買いにいったのだが、父が気に入ったのは、中古だが舶来のピアノであった。何と言う会社のものかはわからないのだが、写真のようなロゴが象牙の鍵盤の上に金色で描かれていた。
父は若い頃、独学でピアノを弾いて、お店でバイトで弾いたりもしたことがあったと聞いたことがあった。気が向いた時に弾いてくれたのを聞いた記憶があるが、確かに独学にしては上手いなあと思ったものだった。娘たち3人に習わせたかったのは父の意向らしい。
そのピアノは中古だったが、わが家の経済力からすれば高かった。母は私たちに聞いた。「ピアノを買うと七五三の着物を買ってやれないが、どっちがいい?」娘たちは「ピアノ」と答え、七五三の着物は誰も着ることはなかった。
先生は、毎週土曜日の午後、我が家の客間にやってきて、教えてくれた。私たち3人だけでは勿体ないので、友人やその親戚たちもと増えて6~7人が続けてレッスンを受けた。土曜日の午後の我が家はピアノ教室のようだった。
私は中学生になって勉強優先にしたので一番先に辞めた。先生が音大を卒業した後も続いていたはずだが、最後まで続けたのは誰だったのだろうか。自分に関係なくなって記憶からすっぽり抜け落ちている。ピアノをやめても姉妹はフォークギターやらベースギターやら三味線やら、それぞれが何かの楽器に親しんだりしていた。やはり子どもの頃に楽器を何か習うという経験はそれなりに人生を豊かにしてくれたと、両親に感謝をしている。

娘にも習わせたかったが、娘の父親は「ピアノなんて金持ちの嫌な性格の女の子が習うものだったから習わせたくない」と反対した。確かに彼の育った田舎ではそうだったのかもしれない。しかし、今になって「子どもの頃、何か楽器を習っておきたかった」と娘に言われてしまい、可哀想なことをしたとそれについてはもっと主張して習わせてやればよかったかなと少し後悔している。

実家には老いた両親の他は誰もいない。ピアノは誰も弾かないので調律もせず、象牙の鍵盤も何枚も剥がれたままだ。家を建て直した時に処分したらという娘たちの意見に抵抗したのは父だった。「お金のない時代に一生懸命買ったピアノだ。処分するなら俺が死んだ後にしろ」と。
ピアノ教室の頃から30年以上が過ぎた。父も80歳に近づき、母親の説得にようやく折れた。「自分たちが死んだ後に娘たちに処分させるとお金もかかるし、恨まれるよ」という説得。業者さんに来てもらって今度の月曜日に引取られていくのだと先日実家に行った時に母にきいた。37000円ほど処分代がかかるという。
いかにも名残が惜しいので、今日、カメラを持ってピアノの記念撮影をして別れを告げてくることにしたのだった。先日は父のカメラで父と一緒に何枚か写真を撮ったが、今日は私のカメラで撮った。母も一緒に一枚撮った。
最後に「ありがとね」とピアノをさすって別れを告げてきた。二度とあの頃には戻れないのだ。

写真は、思い出のピアノの鍵盤とその上にある金文字のロゴ。鍵盤が剥がれているのも写っている。