ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/05/22 劇場への招待『放浪記』、森光子、林芙美子

2005-06-01 18:37:56 | 観劇
5/22の夜、教育テレビをつけていると「NHK映像ファイル あの人に会いたい:林芙美子」をやっていた。戦後、若い女性の質問に答える林芙美子の映像とともに、初めてご本人の声をきくことができた。ハキハキというかパキパキというかしっかりと自分の考えのままに生きている人という印象だった。夜8時からは大河ドラマだったが、続けてNHKスペシャルで「森光子『放浪記』大いなる旅路」を『レミゼ』の感想原稿を書きながら観ていた。ラストに10時から『放浪記』があると字幕に出ていたので、続けて観てしまった。

写真は02年4月20日(土)にお茶屋娘さんと芸術座で観た時のパンフレットの表紙。年配の俳優さんの代表作は観ることができるうちに観ておくことにしているので、しっかりと観ておいたのだった。東宝創立70周年記念、芸術座開場45周年公演でもあった。菊田一夫役は今は亡き小鹿番で(『ラ・マンチャの男』のサンチョも観ている)、日夏京子は奈良岡朋子、悠起は藤谷美紀だった。
NHKスペシャルは、途中からになったが再放送でもう一度見た。森光子は京都の花街で母親に育てられ、その母も早くに亡くして、芸能界へ(その頃、花街から芸能界へというのは少なくなかったと思われる)。戦時中は戦地慰問団の一員としてアジアの最北から最南まで旅した過酷な戦争体験をもつ。終戦後は貧しさの中で肺結核との闘病を続けた。彼女自身の強い生命力と数々の恩人たちによって救われ育てられてきた。長い女優人生の中では何度も大病が襲ったがその試練を乗り越えてここまできたのだった。
特に『梅田コマ劇場』での公演中に菊田一夫氏に見い出され『放浪記』の主役に抜擢されたのに、重い肺炎に降板させられるかもしれない危機のエピソードに胸を打たれた。30代にしてようやくつかんだ主役の座なのに代役を立てられそうになったのだ。幸いドクターが「この人は降板させると病気が悪くなる」と言ってくれて、入院しながら毎日舞台に立っていたとのことだったが、死んでもこの役を放したくないと思ったし、もし代役の人がやるならやってみろと思ったという。菊田一夫が演出していない部分も自分なりに工夫して演じていて、それを代役でつとまるものかという意地があったのだ。
この3月末で建替えのために閉館となる日比谷の「芸術座」の客席でのインタビュー、ひとすじの涙を流しながら自分の言葉でしゃべってくれたドキュメンタリー映像。これを引き出した製作スタッフの努力も誉められていい。

44年間演じ続けた『放浪記』を影で支えたスタッフたち。「芸術座」の建替えの間、スタッフたちは人事異動になり、新しくなった芸術座に戻れる保証はない。そのスタッフとのお別れ会。一言ずつの挨拶の中に「また戻って一緒にやりたい」という気持ちが伝わってくる。同じ作品を一緒につくってきた仲間たちは家族のような気持ちになっている。新しい芸術座での杮落としの公演でぜひ再会できてほしいと私も願ってしまう。
舞台の録画を見ると、私も数年前の舞台を思い出した。さらに、今回のドキュメンタリーなどを重ねて、『放浪記』は森光子、林芙美子、菊田一夫の3人の魂の放浪が反映された作品なのだと痛感させられた。今回は見送ったが、次回の杮落とし公演では新しい劇場に足を運ぼうかと思う。
さらに、5/30夜のTBSドラマ『美空ひばり物語』でも一緒に旅公演に連れて行ってくれる“音丸”先生を森光子をやっていたが、よかった。やはりあの頃は芸者さんから歌手になる人多かったのよね。市丸は覚えてます。
現在85歳だというが、これからもますますお元気でご活躍いただきたい。