ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/06/19 6月歌舞伎座夜の部、落ち着いた味わいの南北物?!

2005-06-23 23:56:27 | 観劇
勘三郎襲名披露公演が終わり、話題の7月『NINAGAWA十二夜』に挟まれた歌舞伎座の「6月大歌舞伎」。ポスターはその両方に負けずに派手な写真でようござんした。『盟三五大切』の吉右衛門、仁左衛門、時蔵の大きな顔写真の組み合わせがなかなか堂々としていてよい。地味と言えば地味と言えるが、これもまた落ち着くし、年間を通したバランス的にもよいと思う。

『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ) 』
並木五瓶の『五大力恋緘』をモチーフに、四世鶴屋南北が『東海道四谷怪談』に続けて作った作品で、その後の話のようにつくってある。4月の『籠釣瓶花街酔醒』と同様、縁切り物だが、もっと殺し場が凄惨で南北らしさに溢れている。今、人気狂言になっているのは昭和51年に国立劇場で復活上演したことによるのだという。そういう意味では国立劇場の復活上演の取り組みというのも大事なんだなあと思う。今年は四世鶴屋南北の生誕二百五十年となるとのことで、コクーン歌舞伎でも『桜姫』だし、南北物をしっかり味わいたい。
歌舞伎を演じる当代吉右衛門は、雀右衛門との『吃又』しか観たことがなかった。凄味をきかせた役を演じる吉右衛門を観てみたかったので、この作品を今月の演目の中で一番楽しみにしていた。あらすじは以下の通り。

船頭の三五郎(仁左衛門)は、父親から旧主塩冶家に必要な百両の金策を頼まれ、妻のお六(時蔵)を小万と名乗らせて芸者づとめに出している。冒頭その二人が密談のために佃沖に舟で漕ぎ出していちゃついているが、雲が切れると向こうからくる舟には小万に惚れ込んでいる薩摩源五兵衛(吉右衛門)が乗っているという出だし。
元々、源五兵衛は不破数右衛門という塩冶家の侍だったのだが、御用金紛失のために今は浪人の身になっている。伯父の富森助右衛門(東蔵)が甥が義士たちの仲間に加われるように百両を用立てて持ってきてくれる。そこを三五郎たちに目を付けられてしまうのだ。
三五郎は小万の身請け話を仲間とぐるになって演じたてる。小万は源五兵衛に惚れているから身請けされるくらいなら死ぬと言い立てる。惚れている証が腕の「五大力」の入れ黒子だという。源五兵衛は小万を見殺しにできずに伯父からの百両を身請け金として手放してしまう。小万を連れ帰ろうとする源五兵衛だが、三五郎は小万には夫のある身だから連れ帰ることはできないという。騙されたと知った源五兵衛は、その場は大人しく引き揚げて行くが、三五郎と小万が危険を察知して友人宅に泊り込んだところに夜中になって忍び込む。ところが人違いで仲間の五人を斬殺=有名な五人切!
逃げ延びた三五郎と小万が引っ越した借家は、お岩が死んだ民谷伊右衛門の浪宅だったという話になっている。三五郎は父に百両を渡して勘当をといてもらえた。その借家の家主は別れ別れになっていた小万の兄で偶然の再会。三五郎と小万が引っ越した先をたずねあててきた源五兵衛。五人切犯人の人相書きを見た長屋の住人に密告されて捕り方が来るが、家来の六右衛門(染五郎)が主に仇討ちを果たさせるために身代りになってひったてられていく。
騙した二人への恨みに燃える源五兵衛。その後、家主が旧主の御用金強奪の犯人と知った三五郎は家主を殺害。父は三五郎をかくまうために棺桶に入れて愛染院に運び込む。源五兵衛は小万がひとりになった隙になぶり殺しにし、その首を身を隠している愛染院に持ち帰る。源五兵衛のもとに元の家来だった三五郎の父が経緯を報告にきて、棺桶の中できいていた三五郎は旧主が源五兵衛であったことがわかって、腹に包丁をつきたてて自害を図る。「お主のためにお主を偽り~」と運命に弄ばれた不幸が明らかになる。源五兵衛も恥じて自害しようとするが、そこに仲間として迎えにきた義士たち。元の不破数右衛門に戻って討ち入りをすることになるというところで、幕。

とにかく吉右衛門と仁左衛門、時蔵の組合せが、ベテランの豪華さを味あわせてくれた。吉右衛門と時蔵=地味なのだが、二枚目の仁左衛門が加わることで、三角関係的な魅力が強くなる。年の関係のバランスもいいので、それはそれで見ていて無理がなく、すっと入り込んでいけた。勘三郎・玉三郎のような華のある組合せとは言えないが、落ち着いた味わいのある舞台だった。
仁左衛門・時蔵の夫婦役、なかなかアツアツぶりが漂ってきてよい。冒頭の舟の中でのいちゃつきシーン、入れ黒子を「三五大切」と彫りなおすシーンなど、色っぽい話をそれっぽく演じてくれて大人の芝居という感じだった。
六右衛門の染五郎も主のために身を捨てるなかなか美味しい役を頑張っていた。それにこういうベテランたちとからむ役を演ることで勉強になっているはずだ。昼の忠兵衛が楽しみになってきた。
吉右衛門の源五兵衛は、最初はただ小万に振り回される情けない浪人の風情、特に小万の命と義理ある百両とどうしようと悩む様も良かった。それが騙されていたのだと気づいてからジワジワと復讐の鬼になっていくその変化が味わい深い。小万の赤ん坊を殺し「鬼」と罵られた後、「身どもを鬼には、おのれら二人がいたしたぞよ」と振り絞ったような声で言う。このへんに吉右衛門の芝居の真髄を観たような気がした。
最近読んだ文庫本の『勘三郎ぶらり旅』の中で、この芝居について勘三郎は「源五兵衛はきらいで、やるなら三五郎」というようなことを言っている。確かにそんな感じがする。吉右衛門と勘三郎の持ち味の違いがよくわかるような気がした。
お詫びと訂正
申し訳ありません。勘三郎についてニュアンスが正しくなかったので上記の本からの引用で訂正する。「僕は、本当はどうも汚らしい浪人の源五兵衛よりも、江戸っ子で粋な感じの三五郎が好きなんだけど、今回、源五兵衛も演ってみて悪くなかったな」=1998年のコクーン歌舞伎で上演した時の回想より

『良寛と子守(りょうかんとこもり)』
イヤホンガイドによると、この作品はもともと子役の初お目見えや初舞台として上演されることが多いのだという。今回は富十郎の長女・愛子ちゃん2歳が里の子のひとりとして初お目見え。良寛さんを迎えに行ったり、年長の子役の動きを真似したり、長唄の演台の後ろと舞台を行ったり来たりして客席の「可愛い」というどよめきを誘っていた。長男の大くんも里の男大吉として良寛がなくしてしまっていた托鉢の鉢を届けにきてくれていた。富十郎さんと二人のお子さんとの共演の舞台ということでまあいいんじゃないでしょうか。それと子守およし役で尾上右近くんが頑張っていたのでこれからが楽しみだ。
追記:筋書きを入手して読んだら、坪内逍遥没後七十年も記念しているとのこと。そうか、シェイクスピアの翻訳だけやってらしたわけではないのかと、改めて偉大さを認識した次第。

『教草吉原雀(おしえぐさよしわらすずめ)』
吉原に鳥を売りに来た夫婦(梅玉、魁春)の踊り。吉原での客と遊女のやりとりなども振りに入れて踊る。途中から鳥刺し(歌昇)が出てきて、二人を人間ではないと見破り、ぶっかえりでつがいの雀の精である正体が明らかになり、鳥刺しも鷹匠であることを明かす。雀が空に舞い上がっていく見得で幕。
『良寛と子守』で終わるのはいくらなんでもひどいので、この吉原仲町の華やかな場所での華やかな踊りでしめてもらってよかった。梅玉、魁春、歌昇のバランスもよく、いい気分で劇場を後にできた。

写真は、今月のポスター。3階のロビーに貼ってあるものを携帯のカメラで撮影。