ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/06/15 『近代能楽集』「弱法師」

2005-06-17 23:59:17 | 観劇
今日は昨日に引き続き『近代能楽集』後半の『弱法師』について書く。
以前の公演(初演??)で藤原竜也が金髪で演じた時があったようで、それがどうもイメージに合わなかった。その写真が載ったチラシの公演(高橋恵子との共演)は食指が動かず見送り。今回は夏木マリと並んでいる写真が載ったチラシで前回のイメージとかなり違うのでこれはいいかもと思い直していた。ただ、チケットとってないし...。迷っていた時にyukariさんがおすすめだと背中を押してくださった。そこで急遽観ることにしたのだ。

ストーリーは、以下の通り。
場所は真夏の家庭裁判所の調停室。20歳の俊徳(藤原竜也)の親権をめぐって、実の親と育ての親が調停を受けることになっている。俊徳は5歳の時に空襲で親とはぐれ、炎で目を焼かれて盲人となり、地下道にいたところを浮浪児になっていたところを川島夫妻(瑳川哲朗、鷲尾真知子)に引取られてこれまで育てられてきたのだった。実の両親である高安夫妻(清水幹生、神保共子)が俊徳をついに探し出して手元に引取るべく家庭裁判所に申し立てたのだ。
その空襲体験が彼の精神を歪め、川島夫妻は俊徳をまるで狂人で自分たちでなければ相手にできないだろうと言う。高安夫妻は自分たちに引取らせないために言っているのだろうと受け取る。そして調停員の桜間級子(夏木マリ)は、俊徳を呼び入れる。
俊徳は、盲人らしくサングラスをかけて白い杖を使いながら通路から舞台に登場。真っ白いスーツで両家の子息のいでたちである。のっけから、醒めた発言をくり返す。実の両親が現れたことに全く心を動かされてはいる気配もない。俊徳は挑発めいた言葉をはき、川島夫妻は彼の機嫌を損ねないために迎合した態度をとる。そうして共存してきたことが浮き彫りになる。そういう態度が俊徳をダメにしていると高安夫人は嘆く。双方の親を入れた話し合いでは埒もあかず、級子は本人の話をきくために親たちを別室へ待機させる。
日は傾き、舞台奥の曇りガラスの窓から西日が部屋を真っ赤に染めている。その話に触発された俊徳は、真っ赤に染まる光景=空襲の燃え盛る炎の中で見た、彼が見える眼で最後に見た「この世の終わりの風景」について語りだす。「熱い、熱い」と言いながら、スーツの上着を、シャツを脱ぎ捨てて上半身は裸になって身をふりしぼるようにそこで見た光景を絶叫し、全てを拒絶するのだった。育ての親は「まるで奴隷だ」と言い、級子にもここから出て行けと言う。彼女は毅然として言う。「あなたと一緒にいるわ」と。「今の話を聞いて少しだけあなたを好きになったわ」と。そして一方「簡単な頼みごとをしてくれれば出て行きましょう」とも。
俊徳はお腹が空いたと訴え、級子は店屋物をとってあげようという。級子にそのままの存在を許されたと感じたのであろう俊徳は、「僕って誰からも愛されるんだよ」と満面の笑みをうかべる。奥の窓を書いた幕が切って落とされて幕。

藤原竜也は、20歳の青年の役に対して年も相応でぴったりとはまった感じ。黒髪なのも好ましかった。以前の写真はまだまだ少年の顔をしていて、それが違和感を感じたのだと思う。『身毒丸』のファイナル公演を観た時は反対の印象を持った。継母を恋う少年の役をするには薹がたち過ぎているように思った。白石さんとのバランスもよくなかった。初演当時に観た方がよかったのだろう。予習としてビデオで観た武田真治の方がよかったと思った。
『弱法師』の俊徳の狂気をここまで演じることができるのは藤原竜也の力だ。先日観た『メディア』の大竹しのぶを髣髴とさせる狂気の表情。眼を大きく見開き、両目の焦点は合わなくなっている狂気の表現。全身で見せる激情の表現。そしてラストの満面の笑みで見せる童子のような可愛らしさ。この二人は、蜷川の舞台になくてはならない二人だと痛感した。
夏木マリは、冒頭でも自分を冷静な人間と説明していたが、本当に冷ややかなほど落ち着いた演技。冷たい凛とした声が響き渡らせる。その冷たさの中で熱くなった俊徳に「少しだけあなたを好きになったわ」とささやくことで、信頼をかちうるのだ。藤原竜也の熱い演技をきちんと受け止める大人の女の役を凛と魅力的に演じた。彼女もまた蜷川の舞台に欠かせない女優だ。
4人の両親たちの演技も素晴らしかった。
三島由紀夫の美学の世界をここまで強烈な美しさで描き出した蜷川演出はさすがだと思った。7月のニューヨーク公演もきっと成功するだろう。

写真は今回の公演のチラシを撮影。