ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/03/22 国立劇場『本朝廿四孝』

2005-04-08 14:30:25 | 観劇
国立劇場は高校時代に歌舞伎教室にお茶屋娘さんに連れて行ってもらったのが初めてで、昨年の幸四郎の「河内山・直侍」の通し上演で2回目、今回で3回目だ。『本朝廿四孝』は近松半二らの合作の全5段の人形浄瑠璃から歌舞伎に移された作品ということではあるが、今回の公演でも全部を通しての上演ではない。それでも「勝頼切腹」「道行似合いの女夫丸」「十種香」「奥庭狐火」と続けるのでわかりやすかったのだと思う。
相争う武田家と長尾(上杉)家は将軍足利義晴が両家の子女を婚約させることで和解となっていたが、将軍が暗殺され両家に疑いがかかり、真犯人がみつからなければ両家の息子の首を差し出す約束になっていた。

一幕目「勝頼切腹」
約束の日がきてしまい武田勝頼の切腹までの場。母常盤井(右之助)と恋人である腰元濡衣(孝太郎)は嘆き悲しみ、奥家老が手配していた身替りの到着を待つ間に上使(男女蔵)がきてしまう。常盤井はせめて朝顔がしぼむまでと猶予を得て、覚悟を決めている勝頼と濡衣を逃がそうとするが見つかってしまい、切腹・首打ちとなってしまう。身替りの百姓蓑作が到着するも間にあわなかった。それで嘆くのは奥家老、実は死んだ勝頼はお家乗っ取りをたくらんだ彼の息子だった。口封じのために蓑作に斬りかかる家老を襖越に刺し貫いたのは信玄(歌六)で、とうに家老のたくらみに気づいていて蓑作にも親子の名乗りをしてあったという。自害しようとする濡れ衣の刀を取り戻して家老は切腹。死に際に濡衣に諏訪法性の兜を上杉家からの取り返すように頼み、勝頼も共に上杉にのりこむことになった。
二幕目「道行似合いの女夫丸」
女夫丸という薬売りに身をやつした勝頼と濡衣の信濃路の道行を舞踊でつづっていくが、ふたりは恋仲でないが、夫にうりふたつの男と同行する濡衣の複雑な心をおりこんでいるという。そのへんを浄瑠璃で歌うが私がよくききとれないところがちょっと力不足。
三幕目「十種香」「奥庭狐火」
上杉家の屋敷に蓑作は花作りとして潜入したが謙信に侍としてとりたてられ、正装をしての登場。右の間には許婚八重垣姫(時蔵)が1年前に切腹した勝頼の絵姿を前に十種香を反魂香になるよう念じながら回向している。左の間には潜入して腰元になっている濡衣が恋人の供養をしているが、正装した蓑作をみて恋人の姿が重なって泣き声を上げる。その声で気づいた八重垣姫が蓑作のいる座敷を覗き、絵姿にそっくりの男に「勝頼様」と縋りつき、否定されると濡衣に恋の取り持ちを頼み、弱みにつけこんだ濡衣が姫に武田の盗みだすよう条件をつけ、そこでまた勝頼だという確証を得た姫がすがりつきというこれもかなり無茶苦茶な話。そこで主の謙信の声で姫と濡衣は姿を隠し、現れた謙信は蓑作に塩尻への使いを命じた。謙信(彦三郎)は勝頼と見抜いていてふたりの刺客を送り出す。それをききつけた八重垣姫は命乞いをするがききいれず、謙信は濡衣を引っ立てて行ってしまう。
続いて「奥庭狐火」の場。花道から人形遣い(梅枝)が白狐の人形を操って登場し、奥庭の諏訪法性の兜をまつった祭壇に狐がとびこむ。白狐は諏訪明神の使いである。八重垣姫は勝頼に暗殺の計略を知らせようと奥庭から諏訪湖に出て舟で先回りしようとするが湖面が凍っていて渡れない。こうなったら兜の力に縋ろうと祭壇の上の兜を手にとり、庭の池に姿を映すと狐の姿が現れる。姫には狐の霊力がのりうつり、凍りついた湖面の上を愛する勝頼のものに駆けていくのを花道の引っ込みで見せて幕。
今回は『歌舞伎名作ガイド50選』で前回の国立劇場での鴈治郎の時の『本朝廿四孝』の時の写真や解説を読んで観に行ったのだが、なんとなく違和感がある。帰ってからまた見てみると、花道の引っ込みがずいぶんと違うのに気づいた。鴈治郎の時は、前後に黒衣がふたり、それぞれに白狐の人形を操って一緒に引っ込んでいくのが映っていた。ちょっと今回の公演の時蔵の引っ込みは素晴らしかったが、ちょっとさびしかった。狐がとりついて氷の上を渡っていくのだから前回のように狐と一緒に引っ込んでほしかった。
新聞かどこかで指摘されていたという信玄と謙信の姿がほとんど同じようだったのも物足りない。ともに出家して入道姿とはいえ、同じようなつるつる頭に同じように髭の顔、衣裳ももちろん違った衣裳だろうが同じようなデザインなのは手抜き感が強い。謙信はせめて頭に被り物をつけるなどしてほしかった。
それと今回驚いたのは筋書きが安っぽくなっていた。背表紙もなくなり綴じ目がむき出しだし、ページ数も減って同じ700円。前回の幸四郎の公演と比べると関係者の鼎談のページなどがなくなっている。
国立劇場は、独立行政法人になって独立採算制になったということで、こんなところに影響が出てきたのだと実感した。しかしながら、筋書きは読むところが少なくなると資料的な価値が落ちてしまう。さらに人件費を減らすために黒衣や四天などの人数を減らした演出をしているのではないかと思ってしまった。舞台転換が回り舞台でできないのは舞台の構造上難しいのかもしれないが、場面転換なども難しいために、舞台が単調だ。
国立劇場のチケット代は安いが、これでは歌舞伎座での上演に比べて面白みが少ないような気がする。確かに客層がこの2つの劇場は全く違う。国立の客席はあまり着飾った人は少なく真面目そうな高齢層が多い。ご夫婦で通っていますというような方たちも見受けられる。一方歌舞伎座はもっとミーハーな感じ。どちらが悪いということでもないが、国立劇場ももっと努力しないと先細りしそうな感じがする。少なくとも私はこのままでは頻繁には行きたくない。

さて、主要キャスト評。
勝頼=片岡愛之助
1月の浅草歌舞伎以来だが、「十種香」で正装して座って現れた時は客席に溜息がたくさん聞こえたが、本当にうっとりするほど美しい。首が長~い。それに偽の勝頼は目が見えないという設定なので終始目をつぶっているが、その伏し目もうつくし~い。蓑作で現れた時、侍にとりたてられた時との変化もきちんとしていたし、今回も愛之助を観にきたというのが一番の動機なので、満足できた。
私はこの間、眉と目の間がある程度長めの顔立ちの方が上品で美しいし、表情も豊かになるという持論を持っている。伏し目がちにしていて、目の開き方に変化をつけた時に顔全体も多様な表情ができる。また、声の高低を使い分けられるかどうかもいろいろな役ができるかどうかのポイントになると思う。1月の星影土右衛門の時は目を大きく見開いて低い声で演じていたし、忠兵衛の時は伏し目がちに高い声で演じていて、その演技の幅の広さに驚いたものだ。これからが楽しみな人である。

八重垣姫=中村時蔵
主役を観るのは初めてだが、端正に美しい姫姿。愛之助の若さとの釣り合いもまだ大丈夫だ。必死にくどく様も可愛らしかったが、本領はやはり狐火の場。「翼がほしい、羽根がほしい、飛んでいきたい、知らせたい」の悲痛な声、狐がとりついたあとの所作の迫力。これもいいタイミングで観ることができたと満足。


濡衣=片岡孝太郎
こんなにちゃんと観るのは初めてだが、腰元とは言っても実は斉藤道三の娘で今回の公演では描かれていないが最後は父に殺されるという父にスパイとして使い捨てにされた薄幸の女という役どころはいつもさびしげな顔の孝太郎にはぴったりだ。顔を長く見せるために奥歯をかんでいないのではないかと思うくらい顔の下部分にしまりがないが、これからどんな役をどんなふうに見せてくれるのかは興味深い。

写真はこの公演のチラシ写真(日本伝統芸能協会のHPより)。

05/04/07 桜満開のお花見オフ会?!

2005-04-08 01:54:36 | つれづれなるままに
お茶屋娘さんの案内で浦和の街を散策。このブログへのコメント常連3人のオフ会となった。
まずは昼前に駅前で集合。昼食は中仙道沿いの「満寿家」へ。店の正面も老舗と言う感じでいい雰囲気。995円の鰻ランチが美味しく肝吸いつきでこの値段ならリーズナブルと満足。私は中山道沿いの古そうなお店を撮影しながら歩く(何でも撮りたがるカメラおばさん)。

しばらくして「調神社」へ。「つきじんじゃ」というだけあって入り口には左右で一対のうさぎが鎮座している。お茶屋娘さんの歴史うんちくをききながら境内を散策。奥の「調公園」では青空の下で何本もの桜の木が満開。その下で親子連れ、ご近所のグループらしき人たちが大勢お弁当を広げていて、見ているこちらも幸せな気分になる。
そこからお茶屋娘さんと私の母校へとご案内。大正年間に建った校舎はもう壊されて新しい校舎になってしまったけれど、中庭にあったはずの太くて立派なソメイヨシノを見たくて中まで入ってみたら、ありました、ありました。ここまで見事な桜の満開はなかなか見ることができないと一同感心して見入ってしまった。
そこから「玉蔵院」というお寺の有名な枝垂桜の見学へ。こちらの桜の方が開花が早いだけにすでに葉桜になりかけていて、折からの風で桜吹雪がこれも美しい。私はアナログのカメラでいろいろなアングルから撮影。青空とお寺の建物と桜がいい感じ。気に入った空間を切り取る感じが好き。こうして3箇所も桜の名所めぐりができてしまった。

その後、駅前の「山口屋」でケーキセット。コーヒーはおかわりをつぎに来てくれるし、苺のなんとかというケーキにカラメルソースが回りにたっぷりかけてあって美味しいしでこちらも満足。ここで芝居談義の花がこちらも満開になったのはいうまでもない。

写真は「玉蔵院」の枝垂桜のアップ。