Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ここに定着する印象

2019-09-14 | 
今頃になってルツェルンのコンサート評などを読み返す。昨年のように生中継も無かったので、番組での批評家のお喋りも無く、自分自身もその前のゲヴァントハウスから盛り沢山だったので若干混乱していて、あまり人の言うことが耳に入らなかったからだ。

しかし二日目8月29日の録音が放送されたことで、少し気持ちが落ち着いた。嫌が応でも印象を定着させなければいけなくなったからだ。序でに3月のベルリンでの放送録音を流す。DCHでの放映もあったので、マイクを通して三回、生で三回もフィルハーモニカーとの五番を聴いた。その内ベルリンでの三回とボンでの座付管弦楽団のホルンは同じデングラーで、今回比べても明らかにドールよりも上手い。確かに弱音をドールも頑張って吹いているが、二楽章を上手にこなしたのは復活祭の一日目だけだ。余りにもアヴェレージが低い。デングラーはミュンヘンの奈落でも安定していて、やはりベルリンに欲しいソリストである。フィラデルフィア管弦楽団のようにシェーンベルクはドール、チャイコフスキーはデングラーが吹くような体制を取るべきではないか。またフィルハーモニーの分析的でクールな音響はそれはそれでとても魅力なのだが、視覚や楽譜などがあればそれを補うことは可能である。そうなると最初の喰い付き程には音楽的魅力が薄い。

そしてなによりも、前半のシェーンベルクに於いての二日間で残した最も強い印象は、その録音にも新聞評にも記録されることになった。ノイエズルヒャー新聞にはミヨーのアンコールでは無くて、もう一度協奏曲を演奏して欲しかったぐらいだとある。現実的ではない希望にしてもその気持ちはこうして録音を聴くことで同じ気持ちになる。

シェーンベルクが終わって拍手が始まるまでのコパチンスカヤの不安そうな顔が印象的だった。前回に復活祭で演奏した時はお互いに見える位置で明らかに気の無い拍手をした私である。だからその気持ちがよく分かった。録音を聴くとやはり色々と変えてきていた。詳しくはじっくりとベルリンでの録音や録画と比較してみたい。次回の再放送までまだ一週間近くある。

20時からライプチッヒのゲヴァントハウスからの生中継がある。映像のストリーミングもあるので、シューマンフェストという事でこれまた愉しみである。さてどの程度の演奏をしてくることか。



参照:
ルツェルンでの視界 2019-09-04 | アウトドーア・環境
コンツェルトマイスター 2019-09-01 | 音




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