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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

慈しむの美への弁証法

2025-05-24 | 文化一般
承前)先週木曜日ベルリンからの中継、お話しの部分を初めてゆっくり聴いた。生放送では翌日からの旅行に持って行く食事の準備に追われていたからだ。なによりも興味深かったのは中継終了後に語られたベルリンでのマーラー九番演奏史とペトレンコ自身による解説部分である。オンデマンドでDLした。

ペトレンコ指揮が14人目のフィルハーモニカーで振る指揮者ということだ。初演その後のことから長く取り上げられなかったのは、ナチ政府による演奏禁止もあるだろうが、1960年代のルネッサンスまでは同時代の音楽としても十分な評価を得ずに音楽として古びて仕舞っていたということらしい。

そこで1964年の初録音へと続く指揮者バルビローリでの成功まで待たなければいけなかったとなる。人気指揮者のということでそのメロディアスな音楽がウケたのはよく分かる。1972年にジュリーニ、そして1979年のバーンスタインのデビューとなる。

その時の逸話を語るのがコントラバス奏者ウルリッヒ・ヴォルフで、その週の日程表はあり得ない過密になっていて、約束通りに通常より多い四回の練習が行われたのにも拘らず最初一回は歴史的政治情勢とかのお話しに終始していたらしい。そして多くの団員はバルビローリ指揮の思い出に浸かっていたという。然しバーンスタインの指揮は先ずは汗を掻く独逸風とは異なり最初に感情と音楽の自己化が奏者にも要求されてと我々が知る晩年のその指揮の方法が取られた。

その系譜にいるのが指揮者アバドで、ルツェルンでも率いたヴィオラのコッホが語るには、終楽章の最後はパート譜でなく総譜を見て演奏させらたと、なるほどと思わせる。そして音楽が終わって一分以上の静寂。まさしくバーンスタインの系譜であり、なぜ最晩年第八交響曲指揮を最早価値がないとしてキャンセルしたかが知れる。

それに比較してラトル指揮は、バーンスタインデビュー直後に指揮をしてレパートリー化したカラヤンの系譜に違わない。音響作りに全てを賭けている。そしてそこで紹介されているのがヴァルター指揮1938年のヴィーナーフィルハーモニカーの演奏録音がオーストリア併合前の最後の演奏として、そのコンツェルトマイスターで作曲家の娘婿ローゼと共に指揮者が亡命したその惜別だったと、柴田南雄が書いていたことが紹介された。

更にラトル指揮プログラムに組み合わされたデビュー作曲家ラッヘンマンがその時のインタヴューでこの交響曲の形式に言及している。その惜別たるものの意味となる。全てへのお別れでしかないのだが、ペトレンコがこの交響曲から直接の影響を受けた新ヴィーン楽派アドルノの言葉を挙げてその解説をしているのに対して、現代の作曲家はその古き良き美しさとあまりにも酷さの対比をしてドイツの弁証法だと笑う、それによっての美である — 復活祭の第九で言及した。

なるほど作曲家が語る様にポピュラーでありコラールでしかない音楽は、正しくバーンスタインのルネッサンスによってアメリカ文化の要素を以てシオニズムの音楽として蘇ったのであった。同時にその音響の意味するところをラトル指揮などが追求する反面、本来のその音楽の意味が失われ、演奏史としても今回の定期公演からツアーへとかけて絶えず発展することが要求されることになった。

先ずは録音・録画の残っている二回の演奏以外のケルンでのそれからその変化だけを記録しておきたい。(続く)



参照:
計画された第九の神殿 2025-05-09 | 文化一般
対象への認知の距離感 2023-10-08 | 音

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