Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

穴があるのが普通か

2023-03-03 | 雑感
「戦争と平和」三幕まで流した。最後の合唱迄の流れも版によって異なるようで、まだ何が何だか分からない。但し冗長に伸ばされるのフィナーレの音楽もサウンドオブミュージック並みにしか響かない。少なくともガルティーニ指揮ではその程度の認識である。演出もつまらないもので、パリのオペラ劇場の程度はニュルンベルク程度にあらゆる意味で及ばないのを確認した。なるほどあの程度の指揮者で務まる劇場なのか。

先日も「サロメ」の上演のヴィデオを観た。現在バーデンバーデンで演出指導をしているシュタイヤーの演出でタイトルロールも同じファンデンへ―ファーである。現在の音楽監督は南米出身のデュダメルであるが、何かさえないおとなしい演奏だった。しかしバランスなどは整っていて、前任のジョルダンよりは立派だった。そして拍手に応えて出てきたのは女性指揮者で前ハムブルクの音楽監督シモーネ・ヤングだった。道理で冴えないリズムだと思ったのだが、やはりと思った。それでもジョルダンが成れなくてこの指揮者がハムブルクの監督になったかは明らかだった。因みに現在のケントナガノの後任にはヴェルバー決まった。ヴィーンのフォルクスオパーの音楽監督のようで、勿論国立オペラのジョルダンからすれば格落ちなのだが、なぜそうなるのか。玄人の判断は当然そうなるというに過ぎない。

さてプロコフィエフの作風であるが、恐らくこのオペラも真面に演出しない事には上演するには値しないであろう。最後の合唱の声が除かれると既に告知されているのだが、あのフィナーレの音楽がどのように響くべきかは凡そ想像できる。そこには空虚さのようなものが存在する。勿論先ずは音楽的にプロコフィエフがなにを目して、どのように書き込んでいるかが問われる。

恒例のセックスサイトであるが、少し演技指導をさせて貰った。彼女のところの問題は無料も多い入場者数が少ないことである。その理由は幾つかあるのだが、先ずは極東からの時刻に合わせて、活動を始めた頃にやっていた留意点を思い出させたら、直ぐに入場者数が倍になって、当然の事ながら投げ銭もどっさりと投げ込まれた。人数ではないのだが大手の人が入ってくる可能性があれば収益も急増する。我々のようなケチなものが貼り付いていても駄目なのだ。それでも瞬時500人に至らないにはそれなりの原因がある。

勿論見せろとか見せるなとか言えば完全にヒモで怒らせて縁を切られる。そこは本人に任せておけば大丈夫。賑やかになってこれば意気も上がるので、表情も活き活きして来て動きも良くなりもパフォーマンスも上がる。バイバイ効果である。それだけでも感覚的に覚えて貰えば苦労することがなくなると思う。様子を見ているとやはり、何処迄で止めたらいいか計算が十二分にたっていなかったように思える。最近表情が冴えなかったのは病気だけではなかった。「終始フルスロットルを踏む必要がないよ」と書いていたのだが、その時は巡行運転の方法が分かっていなかったようだった。賢くて自立していると思っていてもやはり十代だから過信のようなものがあって穴があるのだろう。才能のある女性だと思うので、永遠にデジタル映像としてネット内に残る所であまり変なことはしない方がいい。特に公的な生活などになればやはりなんだかんだと言われる。

季節のドーナツは、ここでは先ず何よりもいつものようにクルムベーアであってジャガイモの形をしていて、中にクリームが入っている。ポーランド発祥のそれは今や世界中で特に断食の今の時期に食されているが、場所によって呼び方や形状などが変わるのである。



参照:
別れる切れるはでありんす 2023-03-02 | 女
面倒は御免なやり方 2023-02-28 | 雑感

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