Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

無情なまでの無常

2019-11-09 | 
レンタカーの請求書が来た。見ると一日分しか請求していない。向こうの部品の都合もあったので五日間全額は払うつもりはなかったが、半分は払っても仕方ないと思っていた。つまり、122ユーロほどは仕方ないと見積もっていた。しかしBクラスを借りていたがスマートの35ユーロの一日分だけの請求だった。とても嬉しい。よくやってくれたと思う。早速全額支払った。

修理費を含めて全て2600ユーロを少し超えたぐらいだ。この価格で数カ月間車に乗ろうと思えばリースも中古車も殆ど無理だと思う。月数百ユーロでというと中古車を売買しても可成り限られる。その間に数千キロメートル以上は走るのだ。

本当に安く付いた。4000ユーロぐらいは覚悟していた。5000ユーロでも仕方がないと思っていた。とても助かった。その分新車購入時には売り上げに協力する心算だ。その差額だけでも一寸したオプションの価格ぐらいにはなる。例えば前走車を追走する巡航システムとかのパケットがこの価格で付けれる。渋滞気味の時にはとても役に立つと思う。運転席でのピクニックがし易くなる。最近の運転傾向からするとあれが一番疲れる交通状況である。次の次ぐらいには後ろを向いて歓談していても走れるような車になるだろうか。

高地では週末から雪が降るらしい。南部で海抜650mぐらいまでの高地となっている。ミュンヘンまでのアウトバーンの最高所が820mのシュベーヴィッシェアルペンだと思う。そこに雪がつくかどうか?また来週の水曜日に勿論振っても道路上からも雪は消え、来週末には七度まで上がるので雪景色にならない可能性は強いが、一度振ると道路が冷やされて、その後も積もり易くなる。やはり振って欲しくはない。ミュンヘンの街中は振ってもこれは三日もあれば消えるだろう。チューリッヒ行に関しては寒くなっても木曜日は晴れそうで乾いていれば冷え込んでも大丈夫だろう。

メータ指揮の八番を観た。その前のインタヴューでは、見かけた若い娘に手当たり次第に言い寄るブルックナーがそのためにリンツ行の列車で八番の総譜を置き忘れ、駅員が電話で次の駅に取り次いだことを話した。アメリカで話している映像を観た時はメータ氏の「信じられますかそこで無くなっていたかも知れないことを」の真意はよく分からなかった。しかし一夜明けて、色々考えながら走って帰って来てから理解した。そこで言いたかったのは、この八番の鳴り響く音響も「無常」でしか無い事だったのだ。

音楽ほどその物理構造からして「無常」なものはないが、メータ氏が大学で教えを受けたノヴァーク教授の核心はそこにあった。「無情」なまでの音楽の進め方で初めてその全貌が表れる。なるほどノヴァーク版を指揮していたベーム博士の即物的なそれも共通項があるのだが、メータ氏の方が曲を掌握していて、遥かにコントラスト豊かに鳴っている。

余談であるが、今週車中のラディオがミュンヘンの音大で教鞭をとるパーカショニストのエジプト人教授が、日本の音楽の情感過多(型)の表現について触れていたが、なるほどパンソリ文化の亜流で「ものの哀れ」の「寂寥感」が精々の日本人の心情では無常も無情とはなりえず、「実存と虚無の世界観」は難しいのかもしれない。戦後吉田秀和が欧州で「日本人にはブルックナーはまだ難しいだろう」と言われた逸話があるが、その意味を改めてここに感じる。

実存と虚無が激しいコントラストを描き、同時にヴィーン情緒のフラグタル唐草模様や青年様式がランドスケープとして散りばめられる。恐らくノヴァーク版指揮では今後ともメータ氏を抜く指揮者は出て来ないと思う。同時にもしかするとキリル・ペトレンコがハース版プラスでこの曲を指揮するのではないかと思うようになってきた。

それにしてもイスラエルから指揮をしながらのメータ氏の咳が気に掛かる。今回も四楽章などではっきりした空咳が集音収録されている。癌の転移が肺に来ているのだろうか。フクシマ禍の節態々出直しをして東京で指揮活動をしたようだが、ご本人からすればホットパーティクルの影響を考えないことは絶対にない。ロスでの抗癌治療の前にこの曲を東京で最後に振るようだ。



参照:
伝統の継続は眠くなる? 2019-11-08 | 音
孤陰不生,獨陽不長の響 2019-11-03 | 音

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