Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

何を差し置いても弔いに参列

2012-06-15 | 生活
独日協会の中心メンバーの一人が亡くなった。先週の金曜日のことだったようだ。長い付き合いなので仲間と言ってよいかもしれない。67歳とのことだったが、十年近く前にハイキングに行ったときも息を上げていたので、心臓に来たのは驚かなかった。牧師女史の話によるとそのころから問題があったことが分っていたらしい。

昨晩の電子メールをDLして中身を見ずに今朝新しいものを除くと、葬儀のことが書いてあって驚いた。葬儀に参列するかどうかも明日までゆっくり考えようと思っていたら本日だと分った。

時間的に難しいかと思い断念して弔電かなにかでお茶を濁すべきかと考えていた。久しぶりに森を走りながら、参列者はどれぐらい集まるだろうかなどと考えているうちに、これは何が何でも参列しなければいけないと思うようになった。

彼と最後に言葉を交わしたのはいつだったか思い出せない。最後の印象は新年会で古いカメラを弄っていたときのことだった。ケミカーであるが、典型的な機械好きで、様々なことをPCで試していたのだった。その写真を以って日本の美しさを教えてくれたのも彼だった。

特に写真とその扱いは幻灯までを含めてとても熱心であった。CDROMも貰ったことも、幻灯機についての話も何度となくしたものである。そのように思い出していくととても時間がなくて参列できないなどと言える立場ではなく、寧ろ社会的な関係として一人でも多くの参列者として参上するのは当然であると考えるようになった。

そもそも葬祭は残されたものへの慰めだと言うのが基本理念であり、出来る限り参列しないようにしているが、矢張り参列者があまりに少ないと、何年も前に日本人の奥さんを亡くし子供もいない氏の生前の静かな活躍と愛顧に不釣合いである。実際に参列者数は我々の協会からも僅か五人ばかりで、全体でも40人を超えなかった。

晩年に熱心に活動していて、矢張りそこで倒れたフラインスハイムの劇団の女優さんの弔辞などがせめてもの華であったかも知れない。最後の最後まで静かに活躍した典型的な技術屋さんの生涯だったように思う。本人に、化学工場などに働いていると命が縮むから、それを計算して年金額が多いのだと話したことがあるのを覚えている。



参照:
新年会の食事あれこれ 2012-01-20 | 暦
シネマよりもテアタァーだー 2009-04-26 | マスメディア批評

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