昨年に続いて批判的ワインリスト「よーみよ2008」の編集作業に取りかかっているが、先ずはクリスマスの感想だけでも纏めておこう。
今年の目玉は何と言っても2006年産グローセスゲヴェックスに手をつけることであった。とは言ってもただの二本しか残っていなくて、これを片付けようと思った。瓶詰め後二年少々しか経っていないので本来なら若飲みにあたるのだが、この腐りの多かった難しい年であり、葡萄の熟成と共にワインも早熟なのである。そして将来性が薄いのは多くのブルゴーニュやドイツのワインに共通している。
決して2006年を購入していなかった訳ではないが、飲めるものは既に飲んでしまっているものが殆どで数本も残っていない。そこから今まで手をつけられなかったグランクリュの特に重さのあるバッサーマン・ヨルダン醸造所のそれを、栗入りのザウマーゲンに合わせた。ザウマーゲンと言えば昨年フォン・ブール醸造所の2005年産イエズイーテンガルテンとの相性に感動したので、今年もこれが目玉であった。バッサーマン・ヨルダンのそれもビュルックリン・ヴォルフのそれについで素晴らしい筈であった。
結果、期待が大き過ぎたためか大変失望した。深みに欠けた。なるほど、2006年産の特徴である一種の苦味が確認出来、それにも拘らず芯の通った張りは流石にその土壌の格に見合う立派なリースリングであったが、これだけのドイツワインの伝統を築いた醸造所の上から二つ目の土壌のワインとしてはお粗末としか言えない。
倍もする価格のビュルクリン・ヴォルフ醸造所のそれと比較してはいけないのだが、もう一寸巧く纏めて欲しかった。現に、フォン・ブールは糖価は高いかも知れないがもっと巧く醸造しているに違いない。試飲をして購入していてみっともない訳だが、もう少し開いてくるものを待ち侘びていたのである。なるほど、デキャンターに移したその液体を継ぐ度に味の変化が起こり、一瞬残糖感が感じられたかと思うと次ぎの瞬間には引き締まりという按配に若干液体の化学的な不安定さを感じさせるほどであったのだが、結局大きな時間差や余韻をもって大きな華は開かず仕舞いであった。一気に一本空けてしまっても全く堪えないその酒質や純粋醸造にはそれだけの価値があるのだが、今後このワインを購入して行くかと尋ねられると、買えるならビュルクリン・ヴォルフ、買えるフォン・ブールとなって、これは外されるであろう。現に今年はこの醸造所でこれだけを購入していない。その意味から、まだ開けていない三つ目の地所ホーヘンモルゲンからのそれは少し期待出来るかも知れない。
さて、ビュルクリン・ヴォルフの2008年産カルクオーフェンは、その失意を十分に癒してくれた。そこで求められた新鮮なグランクリュの素晴らしさは必ずしも毎年得られるものではなく、今年飲んだ2008産リースリングの最高峰であったことは間違いない。吹き上がるトロピカルフルーツの香りの裏のベースに、その美しい酸の発散の裏を覗くようにして、何処か培養酵母の癖のようなものを嗅ぎ取るのはまるで性格の悪い小姑のような通人の中の通人である。そのような気持ちを起こさせない華やかさは、その辺りのリセに通う少女と言うよりも二十三四の場の雰囲気をその存在で一瞬にして変えてしまうような飛びぬけた美人なのである。上の癖は、敢えて言えば、横顔の鼻筋が少し尖っていると言うぐらいのものであろう。そして、このリースリングとなにも何年付き合おうとかは一切考える必要がないのである。今が素晴らし過ぎて、そんなことなど思い浮ばないほどなのである。それだけで良い。
さて、このように名門醸造所が集まるダイデスハイムの勢力地図に変動が起こっているかどうかはクリスマス二日目の審査結果を待って講評することにしよう。
今年の目玉は何と言っても2006年産グローセスゲヴェックスに手をつけることであった。とは言ってもただの二本しか残っていなくて、これを片付けようと思った。瓶詰め後二年少々しか経っていないので本来なら若飲みにあたるのだが、この腐りの多かった難しい年であり、葡萄の熟成と共にワインも早熟なのである。そして将来性が薄いのは多くのブルゴーニュやドイツのワインに共通している。
決して2006年を購入していなかった訳ではないが、飲めるものは既に飲んでしまっているものが殆どで数本も残っていない。そこから今まで手をつけられなかったグランクリュの特に重さのあるバッサーマン・ヨルダン醸造所のそれを、栗入りのザウマーゲンに合わせた。ザウマーゲンと言えば昨年フォン・ブール醸造所の2005年産イエズイーテンガルテンとの相性に感動したので、今年もこれが目玉であった。バッサーマン・ヨルダンのそれもビュルックリン・ヴォルフのそれについで素晴らしい筈であった。
結果、期待が大き過ぎたためか大変失望した。深みに欠けた。なるほど、2006年産の特徴である一種の苦味が確認出来、それにも拘らず芯の通った張りは流石にその土壌の格に見合う立派なリースリングであったが、これだけのドイツワインの伝統を築いた醸造所の上から二つ目の土壌のワインとしてはお粗末としか言えない。
倍もする価格のビュルクリン・ヴォルフ醸造所のそれと比較してはいけないのだが、もう一寸巧く纏めて欲しかった。現に、フォン・ブールは糖価は高いかも知れないがもっと巧く醸造しているに違いない。試飲をして購入していてみっともない訳だが、もう少し開いてくるものを待ち侘びていたのである。なるほど、デキャンターに移したその液体を継ぐ度に味の変化が起こり、一瞬残糖感が感じられたかと思うと次ぎの瞬間には引き締まりという按配に若干液体の化学的な不安定さを感じさせるほどであったのだが、結局大きな時間差や余韻をもって大きな華は開かず仕舞いであった。一気に一本空けてしまっても全く堪えないその酒質や純粋醸造にはそれだけの価値があるのだが、今後このワインを購入して行くかと尋ねられると、買えるならビュルクリン・ヴォルフ、買えるフォン・ブールとなって、これは外されるであろう。現に今年はこの醸造所でこれだけを購入していない。その意味から、まだ開けていない三つ目の地所ホーヘンモルゲンからのそれは少し期待出来るかも知れない。
さて、ビュルクリン・ヴォルフの2008年産カルクオーフェンは、その失意を十分に癒してくれた。そこで求められた新鮮なグランクリュの素晴らしさは必ずしも毎年得られるものではなく、今年飲んだ2008産リースリングの最高峰であったことは間違いない。吹き上がるトロピカルフルーツの香りの裏のベースに、その美しい酸の発散の裏を覗くようにして、何処か培養酵母の癖のようなものを嗅ぎ取るのはまるで性格の悪い小姑のような通人の中の通人である。そのような気持ちを起こさせない華やかさは、その辺りのリセに通う少女と言うよりも二十三四の場の雰囲気をその存在で一瞬にして変えてしまうような飛びぬけた美人なのである。上の癖は、敢えて言えば、横顔の鼻筋が少し尖っていると言うぐらいのものであろう。そして、このリースリングとなにも何年付き合おうとかは一切考える必要がないのである。今が素晴らし過ぎて、そんなことなど思い浮ばないほどなのである。それだけで良い。
さて、このように名門醸造所が集まるダイデスハイムの勢力地図に変動が起こっているかどうかはクリスマス二日目の審査結果を待って講評することにしよう。
結局欧州の買い付け責任者でしょうが、徳岡はそれほどの輸入商売はしていないでしょう。
これに関しては、最新の記事にも書きました。またBJのホーヘンモルゲンを飲みましたのでこれについても新たに書かして頂きます。
本心からBJのすべてに失望した
わけではないですよね。
2006年の該当ラーゲのできですよね。
それにしても、VBの台頭は喜ばしいです。
蛇足ですが、
徳岡の副社長に、
VBの社長ステファン・ウェーバー氏が
就任したそうです。
なかなかのやり手とか、、、、。