Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

嘘のベーシックインカム

2017-10-09 | 雑感
日本記者クラブからの中継を見終わって、パン屋に向かった。前夜にもネットでの討論会をYOUTUBEで見た。BIの話しから耳を離せないからである。前夜に小池知事の話を聞いてはっきり分かった。視聴者からの「労働意欲を失わないか」という質問に対して、「ベーシックインカムは通常の収入に上乗せするものだ」と明言したことだ。翌日には「枠が決まっていない」とか誤魔化していたが、その意向は解明された。つまり年金以下の金額が一様に生活保護者から障害者にまで支払われるということで、不労者は浮浪者並みに陥り、元気ならばなんとか稼げても障害者など完全に困窮に落ち込み、全ての手当てはそれで支払われているので物乞いをしろと言うことらしい。

ドイツの緑の党もベーシックインカムに反対なのは健常者とそれ以外の人との差が埋められないということで、まさしく働かないで良いことこそがベーシックインカムの信条なのである。峠から走り下りて汗を流して、車で戻る途上、森へのは入り口で栗拾いの人を見かけてスピードを落とした。家族づれなど多くの人が栗拾いをしていたが、すれ違ったのは早朝銀行で見かけなかったCAおばさんだった。ピンクの服が見えてすれ違う時に分かった。自分で栗を茹でる訳ではないから拾って金にしようというのだろうか。先日も若い福祉士のような女性と朗らかに話しながら歩いていた。態々寒いのに浮浪しないでもよいのにと思うが、金だけはしっかり握っているのだろう。彼女もどちらかといえば障害者ともいえよう。

もう一つ大阪のやくざ政治団体の知事が高等教育の無償化と議員報酬の削減などを並べて話していたが、まさかB層と呼ばれるような知能程度の低い人でも流石にこれについては突っ込みを入れるだろう。一体議員の数と高等教育を受ける人の人数だけでもどれだけの差があるのだろうか?そのようなものが財源になる訳がない。

さて、いよいよ時間が無くなって、追い込まれてきた。ブラームスに続いて、プログラム一曲目の「子供の魔法の角笛」のお勉強である。

一曲目「ラインの伝説」でなによりも目に付くのは、テムポ指定が最初から「のびやかに」から二小節目にはリタルタンド、三小節目でテムポになっていて、二小節目のエクスプレッションから、歌詞が無くても三小節目から「歌う」になっていて、全く歌詞の無い歌となっている。そこは草刈りの労働歌であるが八分の三拍子であるから一寸けだるいネッカー河畔の雰囲気であり、水辺を思わせる。指輪が河にぷかぷかと流されて遥か海に沈むのだが、そして魚に出合うと「最初よりも少しのびやかに」となっている。実際にはスラーの中の三連符の中にアクセントがつけられていて、魚の泳ぐ躍動感的なものがあるのだろう。その後王の食卓の魚から指輪が出てくる件で再びポコリタルタンドが掛けられて、また再び更にリタルタンドとなる。

二曲目の「トラムペットが鳴り響くところ」は、三拍子の幻想的な恋悲歌と二拍子のトラムペットの軍ラッパが組み合わせられている訳だが、そもそも冒頭の三拍子の朝の響き自体が起床ラッパ風に組み合わされているのが面白い。調性的な扱いも興味深い。

三曲目の「浮世の生活」の弱音器をつけたせわしい生活の刻みの繰り返しのブラックユーモア効果もあるが、子供の叫びに合わせたダイナミックスも目に付く。

四曲目は「原光」。

五曲目の「無駄な骨折り」は、なんといってもシュヴェビッシュ訛りの響きが面白いのだが、これも三拍子のウイット系の「ラインの伝説」と共通点が多い。

六曲目の「死んだ鼓手」での三巡目の死の行進続ける最後の手前でオーボエ、クラリネットの旋律が一度だけピアノで声に重ねられる。

七曲目の「少年鼓手」での同音進行や四度の下降音型、テムポを落としてから二部の対旋律のコールアングレなどが所謂初期の角笛交響曲よりも後年の死の主題となっているのは、そのテキストの内容の通りである。



参照:
ブラームスの交響曲4番 2017-10-08 | 音
BIのユリノミクス? 2017-10-07 | 歴史・時事
Simple is the best. 2017-07-28 | 雑感
コメント
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