パンダ イン・マイ・ライフ

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移植手術 「神々の沈黙」 吉村 昭 28

2009-01-18 | 吉村 昭
昨日、兵庫で頭部外傷で入院中の30代男性が脳死と判定され、その男性の心臓と肺が大阪の30代男性に、肝臓は福岡の50代男性に、腎臓の片方とすい臓が東京の40代女性に、もう片方の腎臓は兵庫の50代男性に移植されたという。
病気で苦しむ人々に、死を迎える人が臓器を提供する。
平成9年(1997)10月16日「臓器移植法」が施行されたことにより、心臓停止後の腎臓と角膜の移植に加え、脳死からの心臓、肝臓、肺、腎臓、膵臓、小腸などの移植が法律上可能になったという。しかし、提供者(ドナー)の環境整備や技術上、倫理上の問題、そして移植後の生存率の問題などがあるとされる。

吉村昭は、昭和42年(1967)12月3日に南アメリカで行われた世界初の心臓移植手術に興味を持ち、昭和44年(1969)12月に「神々の沈黙」を発刊した。自身が肺結核を病み、手術を経ていることから、著作からも医術に関心の高いことを伺わせる。

吉村はそのあとがきから、この手術を「外科医の業績としてではなく、人間の本質そのものに関するものも含んでいる」と書いている。
1例目は18日間生きながらえ、1例目の手術の3日後にアメリカで生後間もない嬰児が移植を受ける。これが2例目だが、6時間後に死亡。この手術には日本人医師も参加している。
心臓は体に1つしかない臓器であるから、それを取り上げるということは死を意味する。つまり提供者の死をもって、移植者は生を受ける。ここに根本的な人道的問題が存在する。
翌昭和43年(1968)1月2日に南アメリカで行われた3例目は、人種差別と金銭的問題が絡み、波紋を投げかけた。4例目はアメリカで。1月6日に手術し、21日後に死亡。5例目はアメリカで1月9日手術し、12時間後に死亡するなど死亡率の高さが問題になる。また、提供者の死の判定問題や移植者の拒絶反応など、未解決の問題も山積した。

そして、この43年8月には世界で30例目となる移植が日本で行われた。そこには医学のみではなく、人道的、法律的問題も絡み、執刀医は殺人容疑で告発された。

吉村の著述は、世界で3例目となる移植者が死を迎える昭和44年(1969)8月で終わりを告げる。医者の立場ではなく、移植者・提供者を含めた患者の立場から、その経緯をドキュメンタリで綴る迫真のノヴェルである。

日本で2例目の心臓移植手術が行われたのは、30年を経た平成11年(1999)のことであった。

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