令和元年の一つの出会いが、正岡子規だ。
正岡子規といえば、俳句。としか漠然と印象のない私にとって、家にあった子規の本は、岩波文庫の創刊70年記念の特装版、1997年、平成9年、2月の第1刷の「子規句集」のみだった。そんな子規の本「病牀六尺」が、令和元年10月の新聞書評で紹介されていた。
題名の通り、病床にあった子規が、座ることもできなくなり、布団の中から、見たこと、聞いたこと、食べたこと、考えたことを、ただただ、文章にしていく。解説者は、子規の功績を、短歌・俳句の改革者、文学としての領域に位置付けたのだが、近代文学史の視点から子規の功績は、この「写生文」の発見と完成にあったともいう。
「病牀六尺」が図書館にあったので、借りた。まず、解説を読む。新聞に掲載された随筆集。晩年も晩年、死の2日前までの記事127個である。子規は、明治元年1868年の前年1865年10月に生まれた。つまり満年齢が、元号と一致する。亡くなったのが、明治35年(1902)9月19日。誕生月の前月なので34歳だった。
文体は、難しい。しかし、その自由で赤裸々な内容に惹かれた。
調べれば、岩波文庫に子規の随筆もあり、岩波新書にもある。つい先年、2015年、平成27年は生誕150年だった。
子規の世界を読み進むことにした。
正岡子規といえば、俳句。としか漠然と印象のない私にとって、家にあった子規の本は、岩波文庫の創刊70年記念の特装版、1997年、平成9年、2月の第1刷の「子規句集」のみだった。そんな子規の本「病牀六尺」が、令和元年10月の新聞書評で紹介されていた。
題名の通り、病床にあった子規が、座ることもできなくなり、布団の中から、見たこと、聞いたこと、食べたこと、考えたことを、ただただ、文章にしていく。解説者は、子規の功績を、短歌・俳句の改革者、文学としての領域に位置付けたのだが、近代文学史の視点から子規の功績は、この「写生文」の発見と完成にあったともいう。
「病牀六尺」が図書館にあったので、借りた。まず、解説を読む。新聞に掲載された随筆集。晩年も晩年、死の2日前までの記事127個である。子規は、明治元年1868年の前年1865年10月に生まれた。つまり満年齢が、元号と一致する。亡くなったのが、明治35年(1902)9月19日。誕生月の前月なので34歳だった。
文体は、難しい。しかし、その自由で赤裸々な内容に惹かれた。
調べれば、岩波文庫に子規の随筆もあり、岩波新書にもある。つい先年、2015年、平成27年は生誕150年だった。
子規の世界を読み進むことにした。