なぜか、今まで、15分くらい?、ここに書き込みをしようとすると、直接入力になって、アルファベットしか出ない。ここんところの悩みは、日本語の入力のバーが、画面にも出ないし、タスクバーにも、最小限のアイコンしか出ず、最悪直接入力しか出来ないことがあって、一旦書いたことを先に送信して、一度このサイトから抜けて、要らないファイルの消去をしてから、ようやく日本語の入力が可能になることである。
メモリ、リソースとかも言うようだ、の大食いソフトはわかっているし、それをはずすわけにもいかない。まったく持って、許せない。これを、完全に、無効にすることは多分出来ないはずだが、それを無効とした上で、例えばPCを起動させると、それをオンにした場合に比べて、半分以下の時間で、PCは使い物になる。この辺がどうも納得出来ないが、自分をだましながら使うしかないか。
ゴミが溜まって、という話しを書こうとしたらこんなことになってしまった。笑っているかたもおられるだろう。
ゴミの溜まる部屋の書き物を、先ほど再読していて、そのゴミというのが、割とわかりやすいものであることがわかった。例えば、衣服である。これが部屋の中で散らばっている。さすがに、そこまではいかない。それから、生活に必要なもの、今ならコタツ、それに扇風機。電気ヒータに、除湿機。これは、ちょっと大変である。これらのものは、出しっぱなしのものもあるが、半分はしまっている。後は、まー雑誌やら本やらである。これは、たしかにある。これが、実は大変なのである。ずいぶんとお金をかけているし、いつかまた見る。そうゆう可能性がある。
しかし、実際は見ない。そのとおりであった。
書き物であるから、なかなか実際の苦労というものは伝わらない。例えば、40リットルのビニルの袋、街の指定のゴミ袋に、まー破れないと考えて、それで、はたして何冊くらい本とか雑誌が、そこに入れられるか。かなり重いものになる。もし、それも可能であっても、そのものをえっちらおっちらゴミ置き場まで持ってゆく、ということが出来ない。
何だか中途半端になって来た。ゴミの出し方を再読して、ここのところはどうしたのか、そこは書かれてなかった。つまり、体力とか、気力とか、年齢とか、やる気とか、それからゴミ置き場までの距離など。
最近の私のゴミの出し方は、時々に雑誌をそれも新しいものから、少しまとめて、これを外の物置に移動するくらいだ。燃えるゴミとして、出せそうで、はっきりしない。問題は根っこを張った、そうゆう昔からのゴミの出し方だが、ここまで書いてやっぱり出す気力はない、そう思うようになってくる。
何だか、最初からガタガタだったが、さらにガタガタになった。
夕刻も6時近くからいいお天気になり、夕日が雲の隙間から、あるいはずっと顔を出したまま、多分苗が植えられた田んぼを照らしている。この光景は、雨上がりの後であるし、強風もゴミを飛ばしてくれて、やけに美しい。
五月雨は、今の梅雨の雨であると書いて、さらに五月晴れは、今の時期の晴れ間でなく、それこそ梅雨の時期の、そうゆうときの、いいお天気のことを指すと、頭ではわかっていたが、あるところで、快晴と書くところ、ついついその五月晴れという言葉を使ってしまった。しかし、これは、ゴガツバレと書いたのである。決して、サツキバレと書いたのではない、と自分に言い聞かせて、しかし、頭をかいている。弱ったねー。せめて、5月晴れ、とするべきだった。しかし、繰り返しになるが、ゴガツバレと書きたかったのであって、それはもちろん、今日の5月の、晴れていた時間のお天気のことを言いたかったのである。
アヤメ科の植物の花と言うと、ブルーが一番目立つし、いいような気がするが、ここは黄色いもので登場してもらいます。
風があった日だが、この風がピタっと止まってくれる瞬間がある。
透過光と、反射光がうまく調和した時間だと思う。
別の場所、別の時間に撮ったもの。これ一つだけが咲いていて、思いの外いい感じである。あとから見て少しびっくり。もう一枚、同じもの。
太陽が、雲の破片から抜け出して、一気に明るくなる。角度からいうと、少し上側からになっている。この色の出具合は、まさに天からの贈り物といいたくもなる。ありがたいものです。
メモリ、リソースとかも言うようだ、の大食いソフトはわかっているし、それをはずすわけにもいかない。まったく持って、許せない。これを、完全に、無効にすることは多分出来ないはずだが、それを無効とした上で、例えばPCを起動させると、それをオンにした場合に比べて、半分以下の時間で、PCは使い物になる。この辺がどうも納得出来ないが、自分をだましながら使うしかないか。
ゴミが溜まって、という話しを書こうとしたらこんなことになってしまった。笑っているかたもおられるだろう。
ゴミの溜まる部屋の書き物を、先ほど再読していて、そのゴミというのが、割とわかりやすいものであることがわかった。例えば、衣服である。これが部屋の中で散らばっている。さすがに、そこまではいかない。それから、生活に必要なもの、今ならコタツ、それに扇風機。電気ヒータに、除湿機。これは、ちょっと大変である。これらのものは、出しっぱなしのものもあるが、半分はしまっている。後は、まー雑誌やら本やらである。これは、たしかにある。これが、実は大変なのである。ずいぶんとお金をかけているし、いつかまた見る。そうゆう可能性がある。
しかし、実際は見ない。そのとおりであった。
書き物であるから、なかなか実際の苦労というものは伝わらない。例えば、40リットルのビニルの袋、街の指定のゴミ袋に、まー破れないと考えて、それで、はたして何冊くらい本とか雑誌が、そこに入れられるか。かなり重いものになる。もし、それも可能であっても、そのものをえっちらおっちらゴミ置き場まで持ってゆく、ということが出来ない。
何だか中途半端になって来た。ゴミの出し方を再読して、ここのところはどうしたのか、そこは書かれてなかった。つまり、体力とか、気力とか、年齢とか、やる気とか、それからゴミ置き場までの距離など。
最近の私のゴミの出し方は、時々に雑誌をそれも新しいものから、少しまとめて、これを外の物置に移動するくらいだ。燃えるゴミとして、出せそうで、はっきりしない。問題は根っこを張った、そうゆう昔からのゴミの出し方だが、ここまで書いてやっぱり出す気力はない、そう思うようになってくる。
何だか、最初からガタガタだったが、さらにガタガタになった。
夕刻も6時近くからいいお天気になり、夕日が雲の隙間から、あるいはずっと顔を出したまま、多分苗が植えられた田んぼを照らしている。この光景は、雨上がりの後であるし、強風もゴミを飛ばしてくれて、やけに美しい。
五月雨は、今の梅雨の雨であると書いて、さらに五月晴れは、今の時期の晴れ間でなく、それこそ梅雨の時期の、そうゆうときの、いいお天気のことを指すと、頭ではわかっていたが、あるところで、快晴と書くところ、ついついその五月晴れという言葉を使ってしまった。しかし、これは、ゴガツバレと書いたのである。決して、サツキバレと書いたのではない、と自分に言い聞かせて、しかし、頭をかいている。弱ったねー。せめて、5月晴れ、とするべきだった。しかし、繰り返しになるが、ゴガツバレと書きたかったのであって、それはもちろん、今日の5月の、晴れていた時間のお天気のことを言いたかったのである。
アヤメ科の植物の花と言うと、ブルーが一番目立つし、いいような気がするが、ここは黄色いもので登場してもらいます。
風があった日だが、この風がピタっと止まってくれる瞬間がある。
透過光と、反射光がうまく調和した時間だと思う。
別の場所、別の時間に撮ったもの。これ一つだけが咲いていて、思いの外いい感じである。あとから見て少しびっくり。もう一枚、同じもの。
太陽が、雲の破片から抜け出して、一気に明るくなる。角度からいうと、少し上側からになっている。この色の出具合は、まさに天からの贈り物といいたくもなる。ありがたいものです。