光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ゴミの溜まる部屋と、黄色い花

2008-05-11 19:16:50 | 散策
  なぜか、今まで、15分くらい?、ここに書き込みをしようとすると、直接入力になって、アルファベットしか出ない。ここんところの悩みは、日本語の入力のバーが、画面にも出ないし、タスクバーにも、最小限のアイコンしか出ず、最悪直接入力しか出来ないことがあって、一旦書いたことを先に送信して、一度このサイトから抜けて、要らないファイルの消去をしてから、ようやく日本語の入力が可能になることである。
  メモリ、リソースとかも言うようだ、の大食いソフトはわかっているし、それをはずすわけにもいかない。まったく持って、許せない。これを、完全に、無効にすることは多分出来ないはずだが、それを無効とした上で、例えばPCを起動させると、それをオンにした場合に比べて、半分以下の時間で、PCは使い物になる。この辺がどうも納得出来ないが、自分をだましながら使うしかないか。

  ゴミが溜まって、という話しを書こうとしたらこんなことになってしまった。笑っているかたもおられるだろう。

  ゴミの溜まる部屋の書き物を、先ほど再読していて、そのゴミというのが、割とわかりやすいものであることがわかった。例えば、衣服である。これが部屋の中で散らばっている。さすがに、そこまではいかない。それから、生活に必要なもの、今ならコタツ、それに扇風機。電気ヒータに、除湿機。これは、ちょっと大変である。これらのものは、出しっぱなしのものもあるが、半分はしまっている。後は、まー雑誌やら本やらである。これは、たしかにある。これが、実は大変なのである。ずいぶんとお金をかけているし、いつかまた見る。そうゆう可能性がある。
  しかし、実際は見ない。そのとおりであった。

  書き物であるから、なかなか実際の苦労というものは伝わらない。例えば、40リットルのビニルの袋、街の指定のゴミ袋に、まー破れないと考えて、それで、はたして何冊くらい本とか雑誌が、そこに入れられるか。かなり重いものになる。もし、それも可能であっても、そのものをえっちらおっちらゴミ置き場まで持ってゆく、ということが出来ない。
  何だか中途半端になって来た。ゴミの出し方を再読して、ここのところはどうしたのか、そこは書かれてなかった。つまり、体力とか、気力とか、年齢とか、やる気とか、それからゴミ置き場までの距離など。
  最近の私のゴミの出し方は、時々に雑誌をそれも新しいものから、少しまとめて、これを外の物置に移動するくらいだ。燃えるゴミとして、出せそうで、はっきりしない。問題は根っこを張った、そうゆう昔からのゴミの出し方だが、ここまで書いてやっぱり出す気力はない、そう思うようになってくる。
  何だか、最初からガタガタだったが、さらにガタガタになった。

  夕刻も6時近くからいいお天気になり、夕日が雲の隙間から、あるいはずっと顔を出したまま、多分苗が植えられた田んぼを照らしている。この光景は、雨上がりの後であるし、強風もゴミを飛ばしてくれて、やけに美しい。
  五月雨は、今の梅雨の雨であると書いて、さらに五月晴れは、今の時期の晴れ間でなく、それこそ梅雨の時期の、そうゆうときの、いいお天気のことを指すと、頭ではわかっていたが、あるところで、快晴と書くところ、ついついその五月晴れという言葉を使ってしまった。しかし、これは、ゴガツバレと書いたのである。決して、サツキバレと書いたのではない、と自分に言い聞かせて、しかし、頭をかいている。弱ったねー。せめて、5月晴れ、とするべきだった。しかし、繰り返しになるが、ゴガツバレと書きたかったのであって、それはもちろん、今日の5月の、晴れていた時間のお天気のことを言いたかったのである。


  アヤメ科の植物の花と言うと、ブルーが一番目立つし、いいような気がするが、ここは黄色いもので登場してもらいます。




  風があった日だが、この風がピタっと止まってくれる瞬間がある。




  透過光と、反射光がうまく調和した時間だと思う。




  別の場所、別の時間に撮ったもの。これ一つだけが咲いていて、思いの外いい感じである。あとから見て少しびっくり。もう一枚、同じもの。




  太陽が、雲の破片から抜け出して、一気に明るくなる。角度からいうと、少し上側からになっている。この色の出具合は、まさに天からの贈り物といいたくもなる。ありがたいものです。

ピラカンサの蕾とテントウムシ

2008-05-11 16:08:09 | 植物・花(春)
  お天気は、午後になって、また少し怪しくなっています。
  
  小さめの花が咲くピラカンサのある道を歩いてきました。
  風は、お天気の回復とともにおさまると思っていましたが、
  結構な強風が続いています。





  蕾の大きさは、どれほどでしょうか。小さいのは事実ですが。
  大きいのは、これほどの蕾は付けないのでは?。



  接近してみます。花はまだもう少し時間がかかりそうで、しかし
  強い太陽光が当たれば、すぐにでも咲きそうです。
  左に、赤い点と黒地が白く輝いているのが見えますが、




  テントウムシです。向こう側に、もう一つ赤い斑点がありますが、
  特別なものではなく、やはり「ナミテントウ」が、一番近く思えます。  

正反対のもの

2008-05-11 07:20:51 | 散策
  朝のお天気、雨風。時々、かなり強い。窓も開けられない。東北東からの風で、これは雲の動きから判断。アメダスの6時の気温、10.2℃、風速7m、これは多分平均値。室温14℃。

  少し寒さに慣れた。今どきの、5月の寒さに。それから、まだ衣類の整理というのもやってなくて、よかった。まったくの、初冬の格好でも涼しいくらいのお天気であるから、これはうまいこといった。ダラダラした生活というか、大雑把というか、整理整頓が出来ないというか、それがたまたまよかった。

  本の少しの衣類の整理というのを出来ない、そうゆう人をかなり昔に見ていて、しかしどうもおつむの方は、数倍、いやもっと上等に出来ている。ちょいと生まれてきた時間が遅かったというだけだ。さらにスポーツマンで、キャプテンであったりする。それに似た感じでというと、ま、スポーツはやらなくても、頭の毛は長くしかもちょっとデザインのいい眼鏡をかけて、性格は温厚で、これまた共通なのは、おつむの出来がいい。数学に関しては、飛び抜けてよく、数学科の学生も舌を巻くが、しかしなぜか衣類の整理はだめで、悲惨だ。こうゆう人は、すぐにあるものをくすぐるらしく、その後の生活においても、特に変化はない。

  もう少し、よくある話し、よくある空間に対象を持ってゆくと、まずは住居拝見というものがある。ガラーンとした玄関があって、まずは鍵穴がなくて開かない。自動で開くらしい。それから玄関だった。見通しがよく、その玄関から10mかそれより先に大きな窓があって、その先からは高いタワーが見える。これがあの有名な東京タワーか。でも少し、体が震える。高所恐怖である。その先までゆくことなく、次に、リビングにゆく。大きな部屋で、しかし小さな椅子が少しあるだけ。明るさはというと、少し暗いが、なぜか少しこちらを見つめるものがある。
  これは本物の西洋画家の書いた、それも印象派と呼ばれる方の作品である。少し、恐怖というものをここでも感じる。美の向こうには、ここにも少し恐怖というものが潜んでいる。

  あまりに生活からかけ離れている。もう少し卑近な例はないか。
  ごくごく普通のレベルのある方のおうち、は、やっぱりドアは自動で開くし自動で閉まる。しかし、鍵はあった。何か、おまじないをしている。玄関だが、靴箱とかが在るのはわかるが、その配置もいいし、それにこの色具合のセンスは何といったらいいか。途中省略して、やっぱりリビング。ここで、少し深めのソファに座る。ぐっと沈み込んで、お腹が圧迫される。ここのおうちの方はみな痩身なのである。それで、この深いソファも特に苦にならなのだろう。それから、次に目を瞠るのはオーディオ装置。これが、かなり高級である。見た目は簡潔であるが、もうそこから出る音を聞いた瞬間、かなりのものをかけていることがわかる。どこにスピーカがあるかわからない。ターンテーブルも見当たらない。圧迫されたお腹が少し苦しいが、しかしこの振動で血の巡りは悪くない。

  まさに、自分と正反対の性格の方で、また勤勉家でもある。それから、食べるもののかなりのものは自分で作られていて、それに力を注いでいる。野菜、くだものに困ることはない。お腹がさすがにくたびれて来て、もうおいとまするときが来た。ちゃんとお土産がある。新聞紙にくるんだ、ナスとキュウリと、それにトマト。貴重品のものは、しっかりと奥深くしまい込まれている。多分、自分でも開け方を忘れているのではないか。
  その方に、衣類の整理はしたかどうか、聞くのを忘れた。でも、多分この程度の寒さではびくともしない、からだを持っている。

  この、取れたてのトマトはやっぱり甘い。それに、おいしい。少し苦い思いをしながら、人のあり方というのを考えてみる。