光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

シャクヤクの花

2008-05-17 18:52:05 | 散策
  外の気温のほうが高い、そんな感じのするお天気だったが、アメダスの3時までの最高気温は21.1℃であって、この値はさほど高くはない。きのうの温度もそんなに上がってなくて、今朝は雲の多い晴れであったけれど、その後もこの程度の気温だと、建物の中のほうが、日が入らないところでは、涼しげかも知れない。
  日中は、そよ風もあり、太陽も顔を出して、しかしそれほど気温は高くないから、過ごしやすい感じがした。それでも、やたらくしゃみが出たり、眠かったりで、この季節はややこしいの一言である。

  行楽か、何だろうね。先ほど、サラリーマン川柳の上位10傑というのを新聞で見ていたが、どうもあまりに柔らかすぎて、ピリッとしたものがない、などの感想を持ったが、これも今時だからであって、当然かも知れない。こうゆうものを見るのは楽しいが、作るとなるとそりゃ大変である。そう簡単に、皮肉の効いたものが出るわけでもないし、かといって、落ちすぎるのもだめ、下品もだめで、ほどほどの中で、これはと思わせるものを作るのはむつかしい。当然、私にも作ることは出来ない。
  川柳というと、このPCでは、ちゃんと川柳と出るが、これを紙に書くと千流になる。センリュウかと思いそれを紙に書くと千流というものになってしまい、慌てて、センは川で、リュウは、柳だと思いなおす。りゅうは最初から柳だったかも知れない。こうゆう高級な遊びは、超高級かも、普段から感覚が研ぎ澄まされていないとだめだし、いざいいものが思い浮かんだ、と思ってそれを紙に書こうと思うわけだが、どうゆうわけだか、いざそのときになると、ころっと忘れてしまうもので、きのうまで一所懸命覚えていた台詞を、いざ本番となると、それがどうしたわけか全然出て来ない、というものにも似ている。
  さらに、今日は、きのうか、久しぶりにドイツ語の予習をした。今日は順番でゆくと私が当たる番である。まー何だかよくわからんが、一応は意味だけは調べたから、あとは、ぶっつけ本番でやれば、何とか合格になるだろう。そう思って、そのナニナニ教授のドイツ語の教室にゆくと、なぜか指名されず、きのうやった予習はなんだったという苦い思いにもつながる。

  行楽という言葉から、なぜかサラリーマン川柳が思い出された。これは新聞を読んだすぐ後だから、特に不思議ではないが、それにしても、千流以下のことは、あまりに哀れで、涙ぐましい。
  行楽か、TVをしばし見ながら行楽をすることにした。相撲観覧。そういえば、一回だけ見にいったことがあった。それから、外の今どきの気温というものを知るため外に出てみた。風は少しずつ弱まっている。ついでに、髭の花も見るが、あまり元気はない。その後は、またコタツに戻って、相撲を少し見て、あとはチャンネルを変えた。今どきの行楽って、時期遅れ。でも、それもまたいい。あまりに人のいないところが好きな人には、今は観光地巡りにちょうどいいかも知れない。
  まだまだ日も出ている。この時間の散歩というのも、なにか新しい発見がありそうで、しかしそうゆうこともなかなか実際にやれるかというと、これは話しは別である。夕刻の景色はただ窓から外をのぞくことしか思い浮かばない。


  シャクヤクの花が、何ヶ所か探してみて、ようやく一箇所咲いているところがあった。

  蕾のあるところは多い。



  雨がもう少し降っていればと思うが、大体気が早すぎる?。今頃から咲き始めるのが普通かも。蕾にアリがくっ付いている場合が多い。

  
  ここはどうか、というところ。



  いかにも、水分不足であるが、咲いていた。遠くから眺めて、あー咲いていそうだ、とわかった。まじまじと眺めるが、かわいそうなくらい。なかなか写真には出ないが。




  二つ目。色が少し濃い。実際に、こちらの方が濃いのである。この2つしか咲いてなかった。よく咲いたと思う。ぱさぱさ、という感じ。


  髭の植物の、3つ目の花も咲いた。



  淡い、桃色である。


  それにしても雨が降らない。雨乞いをしないといけない。ここのシャクヤクは、まだ蕾さえもあるかないかわからない状態。 

泣いている月と、雨

2008-05-17 06:58:58 | 散策
  朝のお天気、晴れ。雲も多かったが、今は日が出てきた。風は、ほとんどない。周りに、台風があるのだが、その影響は今のところない。晴れマークである。アメダスの気温6時で、14.2℃。室温18℃。この温度は過ごしやすい。

  もう少し地面が濡れているか、と思ったがそうでもなさそうで、おしめり程度の雨。夜中、窓から外を見る。西の空に、傾いたお腹の出っ張った月が出ているが、しかし瓦はやけに水っぽい。これは結露というより雨かも知れない。そうでないと、こんなにピカピカしないもの。もう一度月を見ると、その回りには黒雲が立ち込めていて、渦を巻いていて、叢雲といってよかった。むらくもの出し方は、「そうしょ」と書いて、叢書と出し、それから書を雲に変える。かなり面倒。
  早春もそうだが、冬は寒くて月を見ている余裕もない、心底冷えてこれでは、寒すぎる。春は今頃になると、この月見もいいものであるが、ただただ肉眼で見ていてもあまりに面白くない。風景の中で、これを見るのが一番だけど、そうゆうものもなくなっているような気がする。大体、占いを月を見てやる人はどのくらいおられるのか。その点、昔は、かなり昔で、それこそ明かりも行灯に頼っていたときはこの月も、大いに頼りになったし、見つめられる時間も長かった。

  さらに昔に、この月を見ていた人がおられるが、そうするとそれが、紙にも書かれて、あとに残ることになる。昔から、書のうまい人はいたし、文も達観であって、それが後々、超新星の現象が起きた時の同定の作業に役立つことがあるし、また大彗星の記録も残っていて、これなども、今は当たり前のことに思われている、周期彗星の存在の確立に大いに貢献することになる。どうも、あまりに感動するのもいけないか。
 
  わずかの雨が降って、蜘蛛の巣がかかっている梅の木の、その蜘蛛の巣に大きな水滴が残っていて、これで、雨が降ったことは確実に思えた。それにしても、地面は乾ききっている。もう少し雨、と思う。