光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

強い北風の吹く一日

2008-05-09 19:04:59 | 散策
  皐月というと爽やかな感じがするものだが、これなどは一つは書物からの、もう一つは、常套句だから記憶にあって、それも何か書くときに、爽やかですね、など書くことが多いこともあるのだろうが、本当のところはどうだ、っというと、そうではない。そうゆう自分がこれまでにあって、それこそ平均など何の役にも立たない、大体平均的な家族なんてないし、平均的な人がいるなら、それこそ会ってみたいなど、お腹の中で思っていた。統計ねー、なんだろうか、月の平均気温、それがどうした、今年の5月の気候は初夏を通り越していたぞ、どうしてくれる平均さん、に統計さん。こんな気持ちでいきまいていた。

  それがようやく、五月らしくなった、早月らしくなったので、その平均さん、それから統計さんにも、大して腹などたたず、この気温だとどうにか平静でいられそうだな、など思う気にもなる。それより、少し寒くないか。平均さんはもしかしたら、二十歳くらいの、まだ老化の階段を下りていない、下りようとしていないそうゆう年齢の人のためにありそうで、これからは、年齢に応じた、あるいは老化の段階に相応の、そうゆう平均さん、それから統計さんを用意して欲しいと思うことになる。

  涼しいといっても、それも少し動けば、まだまだ人の子供であるから、体も息切れもし、暑くもなってくる。一枚脱ぎ、また一枚脱ぐ。もうそろそろ、洗濯するものはしないといけない。そのうち、そっれこそどれが洗濯物で、どれがそうでないのか、わからなくなってしまう。それにしても、今日は20℃を越すことはなかったらしい。この辺りではどうだろうか。動けば暑く、それから涼しく思う時間になるのも、早い。このコントロールがうまくゆかないことが、一番の苦労することだけど、
  世の中相変わらず、メタボリック・シンドロームがどうのこうの、スーパで買い物をするときは、自分で買い物籠を、買い物袋を、持って来て下さいなどのことをいっている。どうも、そうゆうところもおかしな感じがする。これを平均とか、統計で考えるとどうなるのだろうか。メタボリックなシンドロームは、今に突然に増えたのだろうか。それから、きのうのきのうまで買い物袋を自分で持ってくる人は、どのくらいいたのか。そうゆうところも、平均さんに、それから統計さんに、聞いてみたい気がする。

  少しピリピリして、それから寒かったり暖かかったりで少し血の巡りがよくなったような気もする。もう少し、涼しいとどうだろうか。
  まだまだコタツが、必要な時期である。これもこの列島の国も広いから場所によって違うから、色々だろう。ここではやっぱりコタツは必要である。それから、ヒータだが、これもまだ必要になる人がいる。
  これと少し、話しがずれてゆくが、やけにクシャミが出る。風邪では、特にウイルス性のそれではない。夏風邪もウイルス性のものが多いらしいが、それとも違って、鼻詰まりがある。花粉症に似る。なんだろうか。色々、やっぱりこの5月というのも、ややこしい問題が、相変わらずたくさんあり続けるのもかも知れない。色々ごたごたが、世界のあちこちで存在する。
  少し元気を取り戻したようだ。これはよかった。このままだとどうなるかと思ったが、少し元気が出て来て、反発心も出た。いいことである。それに、この北風である。この風に対してどうかというと、少しは頭を覚ましてくれて、また少しは感覚を研ぎ澄ましてくれたと思う。この北風のピリピリは、涼しいか寒めではあるが、自分にしっかりしろと応援してくれているようでもある。

  田んぼに水が入ると、少し寒くあるいは涼しくなるのはこれはわかっていることで、水打ちよりも何倍もの効果がありそう。それから、空気中の水分子も増えるのではないか、とも思う。少し冷えれば、植物の葉の上に、一部液体として存在しそうである。なぜかしおれているような、クレマチスも風に揺れているが、花弁は全開である。




  日が西に傾く。西北西に変わりつつある。少し、露光を抑えると、田んぼの反射光が生き生きしてくる。




  手前に、引き寄せてみる。向こうの風景がぼんやりしてきた。




  さらに手前にレンズの先を持ってきて、それから露光をさらに抑えてみるとなぜか、水面の反射光は、少し悲しい色調を見せてくれる。秋かも、と思ってしまうが、この辺りは偶然かも知れない。  

もう一度、シラン

2008-05-09 15:55:54 | 植物・花(春)
  ここはある方が、手入れをされているところ。
  この季節になると、シランやらアヤメなどの花が咲きます。
  他にも野菜を植えられたりしています。

  それで、花が咲くころになると、ちゃんと草をムシっておられます。
  えーっと、その後に、きれいな花が咲くわけですが、
  これを撮らせてもらっています。
  まことにありがたいことです。




  足元と花に気を付けて、まずは一枚。




  これは超拡大写真になります。見た目の何倍になっているでしょうか。
  あまり似合わない感じもしますが、一枚だけやってみました。




  ありそうで、ないような、配置です。




  名残惜しい感じもするので、もう一枚。




  これは、オリジナルの縮小のみ、それと少しお化粧。手前にもう少しあり、
  花が次々に咲きます。どれを選ぶか迷うところです。

  花にお礼をいったかどうか、忘れました。今心の中で、お礼。
  手入れをしているかたには最近お会いして、お礼をいいました。

ちょっと気になること

2008-05-09 07:14:20 | 散策
  朝のお天気、薄曇。雲の多い晴れ。どのへんで晴れにするか、曇りにするか。これは、多分気象関係の分類方と違う。外に出て、風はやはり冷たい。動きはそうはない。アメダスの6時の気温、14.5℃。室温18.5℃。温室効果か、室温効果か。

  妙に早く目が覚めて困ることもあるが、目覚ましの時刻まで夢の中というのも困りものだ。大体に悪夢が多い。これも、なにかこれまでのことが緒を引いていて、しかし、やっぱりそれは自分の脳の作っていることで、外、場がどうのこうの、というのはない。ただ、「レイ」がどうのこうの考えるのは自由である。
  これはさほど困った事でも、気にしている事でもないが、

  左手の付け根が痛い。4月ころから気になっていた。起きたときが一番痛く、日中は意識しない、どうも、やっぱり父を起こすときとかに、両の手を使う。このときに、左手に負担がよりかかるのだろう。右手は利き手だから特になんともないが。この辺りの痛みというのは厄介である。そう予感している。かいなを返せばいいというのが、思い浮んだりするが、実際にそれをやるときはすっかり忘れている。これは少し、気がかり。
  「ちょっと」という言葉を多用するのも、ちょっと気がかりである。なぜちょっとなのか、自分でもわからない。話しで、同じ言葉が続いてもなんとも思わないが、書いて見直すと、同じような接続法が出ると、変えてみたくなる。そのままほったらかしという場合もあるし、もっともこんなものそこまで考える必要がない、というのは、これまたもっともなことだ。文のへたくそなことには定評があって、これに反対する方はおられない。
  でも、例えば、PR誌など読んでいて、どうもべったりな文を見ていると、これが自分の書いているものに影響していると思うことがある。まったく、途方もないことを考える。考えている。これも、気になることだ。


  目薬の瓶、と言うか入れ物はなぜあんなに小さいのだろう。これはちょっとでなく、かなり小さい。もう少し大きくして欲しい。目薬の値段は、包装とか、容器とか、営業、販売に関する諸費用でほとんどを占めているように思われる。せめて、50mlくらいの大きなのがあれば、と思う。
  あるときに、気になってこれを使い始める。しばらく忘れるが、またこれを探す。するともう、入れ物そのものを見つけられない。水道水でいいか、と思う。もしもあったとしても、なぜか半分に減る。そのうち、底にあるかないかになる。まったくなー、やっぱり、水道水を使う。これと似ているものに、パソコン用のプリンタのインクがある。滅多に使わないが、なぜかインクは減っていく。これはやっぱり、適度に使わないといけないようだ。そうでないと、いけないのである。これとさらに似ているものに、自分のおつむがあるが、もうこんなことも書くことはない。

  いったい何がちょっと気になることか、それもずいぶんと薄まってしまった。