光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

心の中で生きつづける

2007-01-25 18:54:24 | 散策
  今頃、年賀はがきがどうのこうの言うのもおかしいが、ふと来なくなるのがあると、どうしたのか気にかかる。昔は、3年くらい書いて、便りがない場合は、止めた。はて、年賀状というものは、返事を期待して書くものか。そうゆわれると、確かに、来たからそれでは、お付き合いで、返事を書かないといけない、そうゆう理由はない、必要性もない。そうか、その辺りを忘れていた。でも、3年書いて返事がなかったら、やっぱり止めよう。
  悲しい知らせというのが来る。そうゆう年齢になってしまった。でも、だいたいが、長い間合ってなくて、ただ、はがきだけでやり取りしていた。だから、そのはがきを見ていても、思い出すのは、学生のころか、まーその前後のものだ。最近は、ちゃんと自分のページを持ったり、あるいは必要上公開されたりするので、内緒でこっそり見たりする。顔に関しては、昔の面影なんてまったくない。ただ、ちょこっと書かれた自筆の文字を見ると、アー、あいつだ、なんて思う。中には、これはまーいい男だから出来るのだろうが、写真を印刷する人もいる。はげてるのに。しかし、これは、いいことだ。なんか、ホンマに年寄りくさいこと書いてる。これも、どうも天気がすっきりしなくて、ほかにも、ややこしい事がごろごろしてからやねん。
  何を考えていたかというと、人というものは、心の中にいるもので、正体があるかないかは、さほど問題ではないのでは、という事。悲しいことの対処法。

  好きなだけ写真の撮れる時代だが、その分これは、というのはなくなって、どうも困った。これで、1週間はもつだろうと思っていても、そうはいかない。だいたい、何をいつ撮ったか、それさえはっきりしなくなる。ぐずぐず。



  ずいぶん、いろいろなところが尖ってる雑草である。まだ、咲いてるのか、もう咲いているのか、そこんところがわからない。でも、地元の新聞を見ていると、この近くだが、どうもここより寒そうなところで、春近しの便りが載る、これも、不思議。  

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