光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

セミの初鳴きを聞く

2007-07-10 19:10:08 | 植物・花(夏)
  南からの風が時に強く、またパラパラ雨も降るので、なるべく短く歩いて、さっさと買い物も済ませて帰って来たつもりだが、大して短くもなってない。でも、外から帰った常として、パタパタシャツやらをはたいて、かなりの年数はいている通気性がよく保温効果も高いズボンもブラシをかけて。で、一瞬静かになった時があって、その時に、シュワシュワというかシーシーかも知れないし、ジージーだった、これが一番近い、音がして、そうだ、今朝、セミの鳴き声を聞いたことを思い出した。
  静かだと、人の耳にはひそひそ話も聞こえるようで気を付けないといけない。それで、少し眠りも浅くなって、確か、新聞配達の自転車の音もした気がする、さらに、眠りが浅くなる時に、ジージーという音を、音波ですね、聞いてこれは、セミの鳴き声だと思った。でも、また眠るから、その瞬間だけ、今年初めて聞くセミの鳴き声だと思ったが、それは忘れ去られる。これが普通で、こうゆうことがその日のうちに、特にセミのニュースを聞いたとか、セミには13年ゼミというのがあって、みたいな、のがあれば別だが、思い出される事はない。
  それで一体セミは、いつごろ鳴くのだろうか。ちょっと興味はあるが、その日の午後にも、そのセミの鳴き声を感じ取ったのは、これはどう評価すべきか。私は、時に耳鳴りがしていると自覚する。それがやけにひどい時があり、困ったものだとずいぶん思ったものだが、最近は特にそれを意識しない。でも、これが耳鳴りかセミの鳴き声か、まだ疑問は残るが、まず間違いなく、セミの鳴き声である。何も、こんなにまわりくどい言い方をする事はなかった。
  この辺りで、まずセミというと、アブラゼミでこれ以外に実物を目にする事は難しい。でも、今鳴いているのはニイニイゼミ。なぜか、今日、ラジオでもこの話題が出た。でも、私のセミとはと言うと、これはクマゼミになる。子供のころは、関西にいたし、これを大阪とも限定できる。また、モズ(百舌鳥)という鳥が時々出てくるのもそのせいである。
  さて、そのニイニイゼミであるが、これを見つけるのはかなり難しい。小さいと言う事が一番の要因だが、よってこれを捕まえることは、まずはない。これが、短い地上での命を全うして、再び自然に戻った状態ものを見て、これがニイニイゼミかと、しみじみ眺める。クマゼミを小さくしたのに似ている。どうして、こんな小さい体から、あのジージーというちょっと低く切ない鳴き声がするのか頭をひねる。しばらくは、耳を澄まさないといけない。

  花の方に目をやると、ムクゲ(木槿)かフヨウ(芙蓉)かというものの花が咲き始めた。去年も、これはどっちだろうと思うことはあった。そのまま夏は過ぎた。で、今年は、というと、この辺りで咲いているのは、ほとんどが”ムクゲ”であると言っていい、そうゆう風に思うことにした。あちこちネットで、二つの違いを調べてそう思った。
  問題は、ムクゲあるいはフヨウという言葉がなかなか出てこないこと。またそれが、ムクゲであるとわかっていても、二つの一方が出ても、もう一つがなかなか出て来ない。それで、馬にくはれるのはムクゲという、おまじないのような、文言を作った。むろん、芭蕉の有名な俳句を参考にした。ムクゲを辞書で調べてもこの句が出るし、また、岩波の『図書』に、四方田 犬彦さんという方が、”日本の書物への感謝”という読み物を連載されていて、今月号は、芭蕉がテーマになっていて、その句についての言及があるのも、刺激になった。



  日が当たっている。真っ白なムクゲ。朝に開いて、夕刻には花弁を閉じるのはわかるけど、翌日はどうなっている?。



  曇りだと、やはりパッとしない。夏の花だから、30℃あるいはそれ以上あってパリっとする。熱い花でもあり、繊細な花でもあると思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿