光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

今頃咲く花の、光と影と

2014-05-15 14:08:22 | 植物・花(春)
  お天気、気にしていなかったが、雨になった。


  ただ気象庁のレーダー・ナウキャストを見ていると雨雲の強いものは日本海にある。

  この雲が真東に移動すると、ときとして大雨になる可能性。

  ただ急に風が出てきたので、この天気一時的にでも、荒れるかも知れない。

  あるいはまったく気の抜けるものかも知れない。


  5月15日、沖縄返還の日。1972年のことである。

  今頃の若い人は、このことを知らない人も中にはいるのかも知れない。

  それまでは米国、USの支配下にあった。占領されたままだったのである。

  学生のときであって、この沖縄を日本に返してもらうということが重要な問題でもあって、

  どこででもといっていい、抗議行動がおこなわれていた。


  米国としては、この沖縄が軍事基地として、非常に重要なものであったので、そうは簡単に

  返還出来ないという考えは当然強かった。ベトナム戦争もまだ終わっていない。

  あの息苦しさも伝わる、当時の戦局の様子は新聞、マスコミ、さほど日本ではきっちりとは

  報道されていない感じでもあって、それでもどう考えても残酷というしかないことが行なわれて

  いた。


  結局、沖縄は占領をとかれて、日本の一つの県となったのだけど、軍事基地はそのまま残ったまま。

  この詳しい、正確な歴史というのは、私は理解していない。


  で沖縄は、とにもかくにも日本に復帰はしたが、それ以前はという問題も残っている。

  琉球という国であったというのは間違いはなく、これがどうゆう経緯で日本国になったのか。

  これはしかし、現代の沖縄の抱えている問題と同じレベルで考えることはあまり意味は

  ないように思われる。昔、琉球という王国があった。同じように、徳川の幕府があったといった

  感じであろうか。


  この今も変わらず存在する沖縄の軍事基地を抜きに、憲法解釈を変えるなど、到底出来るもので

  はないのではないか。仮想の敵国の存在のみを考え、現実として、アメリカの軍事基地が日本に
 
  多数ある、ということ、これは同盟関係を結んでいる以上のものがある。


  自国にいてはわからないのかも知れない。だが国際社会、この言葉も勝手に都合のいいように

  解釈されているが、どう考えても、この列島の国が「戦争を放棄する」という憲法条文を持つ国

  とは理解されないような気がする。

  今の自民党内閣、同じような考えのこじんまりとした政党、は、簡単に足を掬われる

  ようなことをやる。


  世界中で争いごとがおさまらない。これにいかなる理由があれ、悲惨な思いをする人はいても、

  あるいは死者が出ることにもなるが、まったく不毛としかいえない。


  NHK-TVのデータ放送に、小さく沖縄返還されて、何年というニュースがあった。それゆえ

  思うことを書いたのだが、それにしても、忘却とは恐ろしいことでもある。



  雨はさほど強くはないようだが、今しばらくこの様子でも眺めるしかない。

  雨が降ってさてどうなるか。

  
  いまは花はここにはあるが。



  その一。人の歩いた跡。歴史の重み。




  その二。名はあるが、ハルジオンだが、雑草。




  その三。紫色のこの小さい花。




  その四。




  その五。若田光一さんは無事地球に戻ってきた。宇宙体験を聞いてみたいものだ。




  その六。結構ガタガタなバラだが、これもバラ。




  その七。このバラ、棘は?。




  その八。

 



  その九。オランダアヤメ。




  その十。




  その十一。




  その十二。この紫色あるいは赤紫の色の花もよく見かける。

  5月か。半分過ぎた。

  6月か、すぐに来るかな。


  ときどき来ることがある、たった一人の姪っ子が、突然やってきたので、なるほどこの人

  らしいと思った。来るなら、月曜か火曜であって、待っていたが、どうも天気も悪く、都合も

  悪かったらしい。きのう、電話もした。草刈ったという話もして、ちょっとすっきりとした

  という話もした。全然こちらに来る気もなかったようだが、


  それが突然なので、いかにも彼女らしいやり方である。

  一応玄関の戸は閉めてある。それではと、開いているだろうところから入ってきた。

  この辺も特徴的である。風の音かと思ったのだが。


  話し方も独特で、短くいうと、何事も短い言葉にすべてを込めているような話かたである。

  それゆえそれを自分、つまり私の頭で翻訳するのには、少し時間がかかる。

  一風変わっているようにもうつるが、変わっている程度といえば、これは私のほうがずっと

  上である。姪っ子ののは高級感がある話方としておこう。

  私のは、これは下世話な話的なものに、どうしてもなってしまう。


  雨はたいしたことはない。



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