光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ものぐさだから、物が捨てられない?

2007-07-10 07:34:13 | 散策
  朝の天気、曇り。どうもまた雨が降りそう。梅雨の匂い。風は弱く、穏やか。室温24℃。気温は下がっていない。
  ものぐさだから、物が捨てられないのか、それははっきりはわからない。
  梅雨空が戻ってきて、窓から眺める風景にも、毎日同じものを見ているのだけど、ちょっと重たいな、そうゆう空気が流れている。キジバトが、一羽ほぼ目の前を左から右へ、横切って行く。風を切っている音がわかる。その後をもう一羽が追う。その速さは、かなりなもので、よく木やら、建物やらにぶつからないものだ、と感心する。正気に戻る瞬間でもあったが、もう一度同じように、キジバトが、左から右へ、横切ってゆく。鬼ごっこかい、それとも朝の運動か。当然のごとく、もう一羽が、あとを追う。パッと手を出すと、そのハトはどうするかな。
  ものぐさか、目の付け所はいいと思う。もう一つ、気になることを書いておかないと。ちょっと前は、お日様で水を温めるのがブームだった。今は、なんと、太陽光で発電して、それで掃除機などを動かし、余ったら電力会社に売る時代。まー、その太陽電池の如きを最初見たときは、さすがにすぐに何かはわからなかった。宇宙ステーションの、”はね”のような、太陽電池を思い出して、それが、いよいよごく普通のご家庭の屋根に乗っかる。でも、この天気だと、どの程度発電するか、自分をコントロールするだけの電力を確保できるのかな、ちょっと考えさせられる。
  ものを捨てられない話し、断片。目の前に本箱がある。古いタイプ。ここに、PCのモニタを載せている。上段左に、薄い紙を集めたもの。ルーズリーフに書いたかなり前の日記のようなもの。それから、1993年発行の『図書』が5、6冊、あとは、宇宙の本、素粒子の本、東京23区の地図。それからOS/2WARP。痒み止めの薬。もらいものの糊、むろん空である。
  この日記みたいのは、学生のころから書いていて、もはや読むこともない。ビニルで縛ったままのが、そのまま置いてあったりする。当時は、ノートを使った。これが色々な変遷を遂げて、今はコピー用紙。1993年の『図書』が、数冊何故あるか、たぶん漱石特集があった。それだからか、また読むかもしれないと思ったのか。それ以外に、1993年に何かあったな。あれから、15年もたつが、そんな膨大な時間がすでに過ぎてしまったのに、さすがに驚く。
  PR誌を丁寧に集めて、結局最後は、処分したという話しを何かで読んだ。今は、TVで鑑定ものをやっていて、私も毎週見ているが、『図書』では、それこそ最初に発行されたものから全部持っていないと、その対象にならないだろう。今月の『図書』に、700号記念とあり、1949年の11月、復刊第一号が出たとある。1949年の『図書』、それも、第一号だと、持っている価値はあるが、私がこれを集めだしたのは、いつかな。ものぐさだから、そんなこともわからない。
  今日もだめ、何だか過去の記憶をたどるだけで、ものであふれてゆく小さな居場所の改善の手がかりは、つかめそうにない。何か理屈ではなく、ピカッと光るものでも出てこないいと、ものを処分する遺伝子は、活性化しないらしい。続く。

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