光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

花めぐりの、昔を思い出す

2009-07-10 18:39:05 | 植物・花(夏)
  このところ、雨でぱっとしないし、こうゆうときは理由があるから、楽だといえないこともないけれど頭に浮かぶものもなくなると、昔を思い出す、というのも一つで、これが有効かどうか、わからない。

  小石川の植物園もなんども登場するもので、ここによくいった。時代はというと、20世紀、それからかなり時間がたったというのは、これはその当時の入場料が、100円だった、ということからもわかる。その後に250円に上がったような気がする。しかし、そのときの小石川植物園は、たしかに木もあって、また花もあったが、さほど植物園というほどに例えばそれが、深大寺の植物園のように、花はなかった、と思う。だから、そこにゆくまでの方が、結構花があってそれを見ているだけでも十分に花を観賞し、また愛でたりも出来ると思うけれど、しかしそのころは、花がある、きれいな花があるで終わって、まずは坂を上ったりくだったり、歩くことも目的の一つで、花に執着はさほどしていない。だから、100円を笑えないが、「ただ」ならちょうどいいくらいだがと思う感じで、入場券に100円を払うという感じもした。

  小石川の植物園の植物よりも、その庭の構造とかに面白みというか、今考えると庭園のあり方もあったようだが、それ以外にも古い建物もあって、それはそこにいってみるとわかるはずだが、もうはっきりしない。小石川というくらいだから、その辺りも、歩いてみると面白いものもある。製本所とか、印刷所とか、そうゆう関係のものも多いような感じがした。

  話しを花というものに戻すと、小石川植物園にゆくまでに、根津神社もあって、そこには5月以外にも花はあったような気がする。それは、逆の方向だと、上野の森にもつながり、また方向を変えると、谷中の墓地やらにもつながって、いずれにしろ、山手線の駅までは歩いていくことが出来たし、そこには花もいろいろあって、しかし花以外のものを見るというのも面白いとはいえ、さほど興味もなく、ただ歩いている方が多かったようだ。何がいけないのか、というと入場料かも知れず、しかし今も思うけれど、もう少しその辺りを歩いておけばと思うのも本当で、しかしその当時はそうは思わなかった。

  根津神社が出ると、白山神社が思い出される。ここはもうシーズンをとっくの昔に過ぎたはずの、アジサイがあって、アジサイ神社とか言われたと思う。それ以外にも、アジサイ寺とかは多いと思う。で、白山神社のアジサイというのを見にいってそのころに、ガクアジサイを知ったようである。今はもうかなり変わっていると思うが、その辺りに人が多いということはなかった。人の多さでは、根津神社のツツジ祭りのころが一番。小石川の植物園もさほどの人もいない、そうゆうときが多く、人ごみで辟易した記憶もない。

  白山通りを北上するというか、何しろ地図でいうと山手線に、近付くその方角は、北か北東かという方向だと、いくつかのお寺か神社かというものがあって、通りは違うと思うが、六義園とか、古河庭園というのは、どちらかというと下町を歩く感じで、そのときに寄り道をしたという思いが強い。何を見るでもなく、一応は、ぶら下げていたカメラを使うがさほどの枚数もなく、しかもその当時はまだオートというのがなかった。これは焦点距離のほうだが、それゆえピンボー写真が多く、ネガかポジが残っているはずで、ねずみに齧られているかも知れない。
  なかなかそこにいるとそこの「よさ」というのはわからず、また逆に滅多に行かなくなるということも考えられる。これも、もうそうゆうところにゆくこともないと思う、から、思うのかも知れない。ある意味、ないものねだりの神経というのは共通してあると思う。あーあそこにいっておけば、という思い。

  今思うのは、ときどきだが、その当時私もそこにいたというところで、花が咲いて、建物があって、さらに今頃そうゆうものを見るということが出来るという、一種「夢」でしか考えられないものが本当になった、ということ。ブログ。これは時代の大きな変化。なかなかめぐり合うこともないが、そのころのものがよみがえるのも事実で、そうゆうことを今ここで書いている。
  で、この辺りの、その当時というのも、私は少しだけ知っているはずだが、実際のところ、街のほうにゆくことはあっても、またときに海に行くことはあっても、それ以外はまったく知らなかった。興味もなかったのである。今は、別な意味でもいろいろ歩いてはいるものの、昔のことを思い出すようなことは少ない。そうゆうものが消えるというのも、今は鄙で、昔が残るのは、都か都会かとも思ってしまう。それくらい田舎の変化も大きいが、これはどうしようもないか。





  曇りの日の、白のキョウチクトウ。白いだけで、様子がよくわからない。きょう、もう一度見ていると、たくさん花が落ち、またたくさん花が咲いている。




  もう一度、ノウゼンカズラ。




  八重の、ムクゲの花がある、そう思って2日後にいった。なんだかいい時期を逃したようで、八重かどうか、その境もはっきりしない、ムクゲ。ムクゲの花は一晩で散るかどうか、しかしその花の寿命は短いのがよくわかる。




  端っこから。




  八重らしさ。




  小豆のような、その他に何が適当か、うまそうな実がなる。どうなるのか。




  見上げる、ヒマワリ。大雨の前の画像で、またカンカン照りでもない。
  でも、これは大きなヒマワリ。

雨のアジサイ、お天気は晴れ

2009-07-10 16:22:07 | 植物・花(夏)
  ようやく、天気回復。
  青空と太陽、まぶしい。
  太陽は、まだあった。

  午前は、夜中が30℃くらいで、それから気温が下がって
  朝も雨が強まると、気温もどんどん下がって、
  だから何がどうなったのか、よくはわからない状況。
  いいのと悪いのと。

  晴れ間がはっきりしたのは、午後の3時ころのようで
  風もない。朝の雨がもう記憶から、葬り去られる感もある。

  でも、雨のことは忘れられない。
  カメさんは、雨のアジサイをしっかり記憶している。

  それを借りるしかない。





  アジサイの花だが、例えば葉っぱの上の水玉が大きくなって、
  葉も耐えられなくなって、葉が大きく揺れて、小さな滝のような
  ものが出来る。それがはねっ返って来る。




   アジサイの花も多いけど、いつも同じところにゆく。




  ガクアジサイの装飾花もずいぶんとくたびれて、で、
  このファイルは新しいことの証明にもなる。
  書いていることが味気ない。




  ノリウツギと思うもの。これは雨が似合う。




  もう少し言うと、ノリウツギは何でも似合う。


 

  青のアジサイも、くたびれ方のひどいこと。
  でも、きょねんの花もまだ残っている。
  来年は、どうなるのか。




  アジサイの花の最後というのは、いったいいつか。
  そういえば、考えたことがなかった。 

熱風が吹き荒れて

2009-07-10 06:50:55 | 散策




  お天気は、散々。なんていうお天気でしょう。神様も仏様もおりません、と書かないといけない、悪夢の一夜。こう書くと、やはり大仰。きのうの夕方から、南風が強く、これは雨が落ちた後の乾いた風。湿度は60%台。それで、ジメジメはなく、ほどほどの風が吹いていた。その後、強風に変わる。うるさいが、ほどほど、乾いた風で、寝苦しさはなかった。アメダスの6時の気温、29.8℃。1時から、29℃台の後半か30℃。大体だと朝から30℃。湿度は60%、気圧は997.6hPa。室温は、27℃、それから、6時過ぎから、風に雨が混じる。これもすごい降りかた。

  今は暑い。電球をつけているので余計に暑い。何度も強風でなにかがガタガタいって、目が開くが、風は強いものの、ときに月も、木星も見えている。お天気は夜のフェーン現象、あまり気持ちのいいものではない。ただ、空気は乾燥気味でジメジメは少ない。だから、さほど寝苦しさはなかった。それまでの雨で建物の熱気もなくなっている。
  恐ろしい、という言葉は本当にある?。

  途中を省略、特に面白くない夢を見ているだけである。
  朝が近い。新聞配達の何がしかの音も聞こえず、しかし新聞はちゃんと入っている。やっぱり並みのひとではない。新聞配達の方は、全然違うものを持っている。5時を過ぎた。外の様子を見る。風か、相変わらずひどい風で、しかし明るさはないことはないが、暗めだ。どこにこれだけの雲があったか。もう一度、ごろりとなる。すぐに時間は来る。

  外に出て、なにか大きな異常はないか、たしかめる。大丈夫そうでホッと。それから、TVでお天気情報。なるほど異常はここだけではない。ひとまず安心。金沢で、5時だといっていたと思うが、最大瞬間風速25mを観測したという。納得する。それはいいとして、本の少し北側、日本海に雨の長い長いベルトがある。こいつは困った。これはまた南下するとあの大雨か。まったく、悩みというのは大きくなる一方である。
  G虫の仕掛け、ここにまたいくらか入っている。入らないものもある。釣りの気分を味わう。暗い、電気をもう一つつけて、それで顔を洗う。

  またTVを見る。何時ごろに雨になるか、その雨が来ると、風もおさまると私は考えたのだが。
  さて、もう食べるものは食べた、味気ないこと。それで、先ほどから4、5分しかたっていない。いないにも妙な音がして、それが雨の音。ガラスをたたく音。少し開いていた窓のその桟の下は、もうびしょ濡れ。

  何ごとも覚悟というものも必要だが、この文字を出す必要があるのかどうか今は疑わしい。雨風がひどい。落雷の注意も必要。このあたりで止めて置いたほうがいい。