このところ、雨でぱっとしないし、こうゆうときは理由があるから、楽だといえないこともないけれど頭に浮かぶものもなくなると、昔を思い出す、というのも一つで、これが有効かどうか、わからない。
小石川の植物園もなんども登場するもので、ここによくいった。時代はというと、20世紀、それからかなり時間がたったというのは、これはその当時の入場料が、100円だった、ということからもわかる。その後に250円に上がったような気がする。しかし、そのときの小石川植物園は、たしかに木もあって、また花もあったが、さほど植物園というほどに例えばそれが、深大寺の植物園のように、花はなかった、と思う。だから、そこにゆくまでの方が、結構花があってそれを見ているだけでも十分に花を観賞し、また愛でたりも出来ると思うけれど、しかしそのころは、花がある、きれいな花があるで終わって、まずは坂を上ったりくだったり、歩くことも目的の一つで、花に執着はさほどしていない。だから、100円を笑えないが、「ただ」ならちょうどいいくらいだがと思う感じで、入場券に100円を払うという感じもした。
小石川の植物園の植物よりも、その庭の構造とかに面白みというか、今考えると庭園のあり方もあったようだが、それ以外にも古い建物もあって、それはそこにいってみるとわかるはずだが、もうはっきりしない。小石川というくらいだから、その辺りも、歩いてみると面白いものもある。製本所とか、印刷所とか、そうゆう関係のものも多いような感じがした。
話しを花というものに戻すと、小石川植物園にゆくまでに、根津神社もあって、そこには5月以外にも花はあったような気がする。それは、逆の方向だと、上野の森にもつながり、また方向を変えると、谷中の墓地やらにもつながって、いずれにしろ、山手線の駅までは歩いていくことが出来たし、そこには花もいろいろあって、しかし花以外のものを見るというのも面白いとはいえ、さほど興味もなく、ただ歩いている方が多かったようだ。何がいけないのか、というと入場料かも知れず、しかし今も思うけれど、もう少しその辺りを歩いておけばと思うのも本当で、しかしその当時はそうは思わなかった。
根津神社が出ると、白山神社が思い出される。ここはもうシーズンをとっくの昔に過ぎたはずの、アジサイがあって、アジサイ神社とか言われたと思う。それ以外にも、アジサイ寺とかは多いと思う。で、白山神社のアジサイというのを見にいってそのころに、ガクアジサイを知ったようである。今はもうかなり変わっていると思うが、その辺りに人が多いということはなかった。人の多さでは、根津神社のツツジ祭りのころが一番。小石川の植物園もさほどの人もいない、そうゆうときが多く、人ごみで辟易した記憶もない。
白山通りを北上するというか、何しろ地図でいうと山手線に、近付くその方角は、北か北東かという方向だと、いくつかのお寺か神社かというものがあって、通りは違うと思うが、六義園とか、古河庭園というのは、どちらかというと下町を歩く感じで、そのときに寄り道をしたという思いが強い。何を見るでもなく、一応は、ぶら下げていたカメラを使うがさほどの枚数もなく、しかもその当時はまだオートというのがなかった。これは焦点距離のほうだが、それゆえピンボー写真が多く、ネガかポジが残っているはずで、ねずみに齧られているかも知れない。
なかなかそこにいるとそこの「よさ」というのはわからず、また逆に滅多に行かなくなるということも考えられる。これも、もうそうゆうところにゆくこともないと思う、から、思うのかも知れない。ある意味、ないものねだりの神経というのは共通してあると思う。あーあそこにいっておけば、という思い。
今思うのは、ときどきだが、その当時私もそこにいたというところで、花が咲いて、建物があって、さらに今頃そうゆうものを見るということが出来るという、一種「夢」でしか考えられないものが本当になった、ということ。ブログ。これは時代の大きな変化。なかなかめぐり合うこともないが、そのころのものがよみがえるのも事実で、そうゆうことを今ここで書いている。
で、この辺りの、その当時というのも、私は少しだけ知っているはずだが、実際のところ、街のほうにゆくことはあっても、またときに海に行くことはあっても、それ以外はまったく知らなかった。興味もなかったのである。今は、別な意味でもいろいろ歩いてはいるものの、昔のことを思い出すようなことは少ない。そうゆうものが消えるというのも、今は鄙で、昔が残るのは、都か都会かとも思ってしまう。それくらい田舎の変化も大きいが、これはどうしようもないか。
曇りの日の、白のキョウチクトウ。白いだけで、様子がよくわからない。きょう、もう一度見ていると、たくさん花が落ち、またたくさん花が咲いている。
もう一度、ノウゼンカズラ。
八重の、ムクゲの花がある、そう思って2日後にいった。なんだかいい時期を逃したようで、八重かどうか、その境もはっきりしない、ムクゲ。ムクゲの花は一晩で散るかどうか、しかしその花の寿命は短いのがよくわかる。
端っこから。
八重らしさ。
小豆のような、その他に何が適当か、うまそうな実がなる。どうなるのか。
見上げる、ヒマワリ。大雨の前の画像で、またカンカン照りでもない。
でも、これは大きなヒマワリ。
小石川の植物園もなんども登場するもので、ここによくいった。時代はというと、20世紀、それからかなり時間がたったというのは、これはその当時の入場料が、100円だった、ということからもわかる。その後に250円に上がったような気がする。しかし、そのときの小石川植物園は、たしかに木もあって、また花もあったが、さほど植物園というほどに例えばそれが、深大寺の植物園のように、花はなかった、と思う。だから、そこにゆくまでの方が、結構花があってそれを見ているだけでも十分に花を観賞し、また愛でたりも出来ると思うけれど、しかしそのころは、花がある、きれいな花があるで終わって、まずは坂を上ったりくだったり、歩くことも目的の一つで、花に執着はさほどしていない。だから、100円を笑えないが、「ただ」ならちょうどいいくらいだがと思う感じで、入場券に100円を払うという感じもした。
小石川の植物園の植物よりも、その庭の構造とかに面白みというか、今考えると庭園のあり方もあったようだが、それ以外にも古い建物もあって、それはそこにいってみるとわかるはずだが、もうはっきりしない。小石川というくらいだから、その辺りも、歩いてみると面白いものもある。製本所とか、印刷所とか、そうゆう関係のものも多いような感じがした。
話しを花というものに戻すと、小石川植物園にゆくまでに、根津神社もあって、そこには5月以外にも花はあったような気がする。それは、逆の方向だと、上野の森にもつながり、また方向を変えると、谷中の墓地やらにもつながって、いずれにしろ、山手線の駅までは歩いていくことが出来たし、そこには花もいろいろあって、しかし花以外のものを見るというのも面白いとはいえ、さほど興味もなく、ただ歩いている方が多かったようだ。何がいけないのか、というと入場料かも知れず、しかし今も思うけれど、もう少しその辺りを歩いておけばと思うのも本当で、しかしその当時はそうは思わなかった。
根津神社が出ると、白山神社が思い出される。ここはもうシーズンをとっくの昔に過ぎたはずの、アジサイがあって、アジサイ神社とか言われたと思う。それ以外にも、アジサイ寺とかは多いと思う。で、白山神社のアジサイというのを見にいってそのころに、ガクアジサイを知ったようである。今はもうかなり変わっていると思うが、その辺りに人が多いということはなかった。人の多さでは、根津神社のツツジ祭りのころが一番。小石川の植物園もさほどの人もいない、そうゆうときが多く、人ごみで辟易した記憶もない。
白山通りを北上するというか、何しろ地図でいうと山手線に、近付くその方角は、北か北東かという方向だと、いくつかのお寺か神社かというものがあって、通りは違うと思うが、六義園とか、古河庭園というのは、どちらかというと下町を歩く感じで、そのときに寄り道をしたという思いが強い。何を見るでもなく、一応は、ぶら下げていたカメラを使うがさほどの枚数もなく、しかもその当時はまだオートというのがなかった。これは焦点距離のほうだが、それゆえピンボー写真が多く、ネガかポジが残っているはずで、ねずみに齧られているかも知れない。
なかなかそこにいるとそこの「よさ」というのはわからず、また逆に滅多に行かなくなるということも考えられる。これも、もうそうゆうところにゆくこともないと思う、から、思うのかも知れない。ある意味、ないものねだりの神経というのは共通してあると思う。あーあそこにいっておけば、という思い。
今思うのは、ときどきだが、その当時私もそこにいたというところで、花が咲いて、建物があって、さらに今頃そうゆうものを見るということが出来るという、一種「夢」でしか考えられないものが本当になった、ということ。ブログ。これは時代の大きな変化。なかなかめぐり合うこともないが、そのころのものがよみがえるのも事実で、そうゆうことを今ここで書いている。
で、この辺りの、その当時というのも、私は少しだけ知っているはずだが、実際のところ、街のほうにゆくことはあっても、またときに海に行くことはあっても、それ以外はまったく知らなかった。興味もなかったのである。今は、別な意味でもいろいろ歩いてはいるものの、昔のことを思い出すようなことは少ない。そうゆうものが消えるというのも、今は鄙で、昔が残るのは、都か都会かとも思ってしまう。それくらい田舎の変化も大きいが、これはどうしようもないか。
曇りの日の、白のキョウチクトウ。白いだけで、様子がよくわからない。きょう、もう一度見ていると、たくさん花が落ち、またたくさん花が咲いている。
もう一度、ノウゼンカズラ。
八重の、ムクゲの花がある、そう思って2日後にいった。なんだかいい時期を逃したようで、八重かどうか、その境もはっきりしない、ムクゲ。ムクゲの花は一晩で散るかどうか、しかしその花の寿命は短いのがよくわかる。
端っこから。
八重らしさ。
小豆のような、その他に何が適当か、うまそうな実がなる。どうなるのか。
見上げる、ヒマワリ。大雨の前の画像で、またカンカン照りでもない。
でも、これは大きなヒマワリ。