光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

紙のいのち

2006-06-19 19:06:56 | 散策
  本箱にあるのは、本だ、とか。他、マニュアル、さらにノート、紙切れ、パンフレット、これらが、一応縦に収まっていればいい。が、これが横になり、上にかぶさり、さらにお前は小さいからといって、奥に押し込まれる。
  本に生まれてこなくてよかった。私は、本の立場を考えて縦にしたり、横にしたり、押し込んだり、上に置いたりしたのだった。その上には、これは、あまり考えなかったが、空気は綺麗なはずなのに、何故か綿ぼこりで一杯で、まさに絨毯を引いたかのようである。
  ときどき、この箱から、本を取り出す。一応使ってるという事。でも、埃が気になるので、十分に、ゆっくりと取り出すことにしている。窓をあけて、空気の流れも感知する。
  奥多摩の地図を見ようとして、長い間本箱にあったその地図を取り出した。空気の流れも考えて、まず、埃を払った。そして、懐かしいが、そんなこともいってられないとその地図を拡げた。スローモーション映画のごとく、薄片が、紙の成分が、一部が、あるいは、もう少し大きい物が、床に静かに軟着陸した。アリャリャー、何でこうなるの。
  もちろん、奥多摩にある沢山の山々のうち、いくつかは登ったことがあるので、その事をここに書こうと思って取り出したのである。思い出です。
  関東近辺の低山の地図と登山ガイド本のうち、登った、歩いたというのを今でも持っていますが、出してあるのは地図だけ。その地図が、こんな状態にあるなんて。といっても、昔のものなので、しょうがないか。ただ、紙のいのちも長くないと思いました。同じころ買った、『奥多摩絵図』というのは、ピンピンしてるのですが。こちらの絵地図を見て、書かないと、ホントすべて忘れてしまう。



  紫陽花も色々だが、この辺り、天気がよすぎて、見ごろを過ぎてしまったというのもある。気象台が、入梅といった日だけ雨は降って、今日などまるで夏そのものの天気である。きれいな紫陽花もしぼんだ。4日ほど前の、一番美しいと思える紫陽花である。