「月見台の家」の引き渡しをしました。オープンハウスの時にはまだ備わっていなかった障子が備わり、室内には静謐な雰囲気がもたらされました。板塀やベンチも完成し、あとは植栽を待つばかり。
家の外観の様子の写真は、雰囲気が備わってきたときにまでとっておいて、室内の写真のみ、少しばかりご紹介したいと思います。
上の写真は、玄関ホールから、リビング、そして南庭を見通した場面。
玄関ホールとリビングを隔てる大きな扉は、米松の無垢板を貼ってつくりました。家の中心にあるリビングに入ることが、特別な印象になるように、この大きな扉を象徴的に扱いたかったのです。
南庭の植栽は、雑木による木漏れ日が気持ち良い場所になりそうです。
緑が育ってくると、白い壁には、ほんのりと緑色がかった樹影が映り込むことと思います。
上の写真は、リビングの北側を見返した風景。障子の桟を白く塗り、「光窓」のようにしたいと思いました。ほの明るいやわらかな自然光が入ります。
その傍には、いずれソファを置いて。障子越しの北庭は、少し和風の庭になる予定。
キッチンに立つと、南北ふたつの庭の気配が感じられることと思います。
開放的でありながらも、不思議な「囲まれ感」があって、落ち着く場所になりそう。
キッチンをはじめ、この家の家具はすべて造り付け。ライフスタイルに合わせて設計して図面をひき、家具職につくってもらいました。
シナ合板をベースに、タモ材を天板と手掛けにあしらって、着色しました。丁寧につくられたものは、見ていて愛着がわいてきます。
この家の姿かたちは、どこをとってみても、とりたてて変わったことはありません。そのかわり、光や影の具合、物事の間合いなどを、ずっと吟味してきました。家のしつらえだけでなく、置かれる家具や道具までもが、美しく存在感をもって映えるようなものになることを求めてきました。そういった道筋の先に、住まいにとっての「奥行き」が滲み出てくるように思うのです。
茶室建築に興味をもち、いろいろ調べていたときに学んだことがありました。それは、千利休の造った茶室に、特殊なものは何ひとつ無かった、ということ。たとえば、踏み石は、ごろっとした石を歩きやすいように並べられていること。障子の形も、まったく奇をてらうことなく普通のかたちであること。以後に続く多くの茶人がデザインしたどの茶室よりも、ひとつひとつのパーツは「普通」であった、ということ。でも、利休が残した茶室は、それらのパーツの位置関係や間合いの吟味によって、動かし難い厳密な雰囲気と、緊張感が生み出されています。
たんなる普通のものごとによってつくられる、凄味。美しさ。居心地の良さ。そんなことに憧れを持ちました。そんな雰囲気に少しでも近づきたいという思いが、僕の胸の内にもすこしだけ、あったかもしれません。住まいにおいては、そんな雰囲気こそが、最高の居場所になるのではないかと思うのです。
いずれにしても、そのような雰囲気が少しでももたらされるためには、生活がはじまって、まだもうしばらく時間がかかるでしょう。それを楽しみにしたいと思いますし、時折、ブログでもそんな姿をご紹介していけたら、と思っています。
情緒あるきれいな写真と読みやすく、心にしみるような文章を読んでいるだけで、美しい家に仕上がっていることが判ります。建物の外観は植栽が茂って、敷地と町並みに馴染んでから紹介するというのも小野さんらしいですね。
カタチ派ではない僕の設計を、どのように伝えればよいのか、その表現方法にはいつも悩みます。だから、できたてホヤホヤの建物にオープンハウスと称して先輩方をお招きするのは、いつもためらってしまいます(笑)
楽しみながら書いているこのブログは、そんな意味では僕にとって唯一見つけた「表現体」のようなものですが、いずれ、各務さんに、本物をじっくりとみていただきたいな、と思っています。そのときは、どうぞよろしくお願いします。