小学校の同窓会があり京都に行きました。集まる人数が少ない割には頻繁にあるこの会、今年の会場は上七軒のビヤガーデン。上七軒歌舞練場のなかにあります。詳しくはわからないのですが、この界隈は花街として祇園や先斗町よりも歴史が古く、かつ格が高いとのこと。新選組のエピソードに出てくる花街も、ここだそうです。その中にあって、このビヤガーデンは一般の人でも気軽に入れる場所として人気が高いそうです。歌舞練場や茶室などに囲まれた中庭がビヤガーデンのスペースとなっており、舞妓さんや芸妓さんもテーブルで談笑している、不思議な光景。庶民的な雰囲気になっているのが、気苦労がなくていい感じ(笑) カメラを持って行かなかったのが悔やまれる・・・。
その日はとても暑く、とてもじゃないけど市中にはいられないような感じでした(後で聞いたところ、毎日こんなもんやで、京都の暑さ忘れたんかいな、しゃあないやっちゃなと同級生にも苦笑いされる始末。)やはり京都の夏は暑いんですね。そこで僕は同窓会の時間まで、山へと逃げ込んだのでした。北西にある高雄という地域の、有名な山寺ふたつを訪れました。神護寺と高山寺。高山寺についてはこのブログでも書いたことがありました。
建築を職業としていると、おのずと社寺仏閣への興味がわきます。学問としての建築史に通じているのはもちろん必要なことだけれども、それ以上に、それらが現在でもなお心地よい居場所になり得ていることは敬服すべきだし、そのエッセンスをしっかり体感し学びたいものだと思っています。そのとき、建築専門外の人の著作や話のなかに、居心地の良さや美しさの本質が見え隠れするときがあります。例えば、写真家・土門拳。彼の著作に触発されて、このふたつの山寺をもう何度となく訪れてきました。行くたびにいい。いつ来てもいい。そんな風に思える場所は、なかなかありません。
神護寺の、夏の石段。いつ来ても、特別の高揚感があります。
同じく神護寺の大師堂。土門拳が「しっとりとした佇まいが魅力」と述べた、弘法大師の簡素な住宅。単に素朴であるのとは違い、簡素とはなんたるか、この住宅を前にするとしみじみ考えさせられます。
高山寺石水院。明恵上人の住宅。土門拳はとりわけ冬ざれの高山寺に惹かれていたようだけど、僕にとっては夏もいい。大きな庇が日射しを除け、風が心地よく抜けていく。黒くシルエットになった柱や雨戸と、緑や花との鮮烈な対比が、美しい。単純なつくりなのに、懐のふかい、不思議な不思議な住宅。あちこちに散りばめられている、物語りの込められたような愛らしい造作も、懐を深くしている要因かもしれません。
今回訪れて気がついたのですが、残念なことに、愛くるしい造作のひとつ「六葉の釘隠し」が、すべて新しいものに取り替えられてしまっていました。鎌倉時代からの風雪に耐えてきた優美な釘隠しを、来るたびに撫でながら土門拳はいろいろなことを考えたそうです。僕もマネして撫でながら考えること数回。でも、もう叶わぬものになってしまいました。在りし日の写真を思い出に。
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