貴重な時間を無駄にすると知りながら、善本氏の意見を紹介します。意見のタイトルは、「子供がつくる学校へ」です。
・教員になって14年目、私は江戸川区の日本語学校に勤務した。中国や韓国から引揚げてきた、日本語の全くわからない子供達に、日本語をどう教えるかという学校である。」
この説明からして、疑問が生じます。日本人の子供なら、たとえ引き揚げてきていても、日本語が全く分からないということはあり得ません。いつの頃の話か時期が書いてありませんが、当時中国や韓国から引き揚げて来た子が、江戸川区にそんなに沢山いたのでしょうか。
日本語が全く話せない子供がいるとすれば、中国からの子供は、「中国残留孤児」しか考えられません。韓国からの子供は、戦後のどさくさに紛れ、韓国から密航して来た韓国人家族の子供しか思いつきません。嘘ではないのでしょうが、大切な説明を省略している点で、氏の意見全体に疑問符がつきます。
・この子供たちは、日本の子供たちから中国人、汚い。臭い !! などと、言われていた。まさしくはじめに、民族差別ありきであった。
文章を素直に読めば、この子供たちは日本人ではありません。日本人が民族差別をしていたとそれが言いたいため、事実を曖昧にしたまま意見を述べています
・子供にとっての壁は言葉であると、当時の私は考え、言葉をどう教えるかという技術的なことしか考えていなかった。子供たちは、なかなか受け付けてくれなかった。
・子供の立場で、もう一度授業を見直してみることにした。」
氏が最初から事実をきちんと説明していないため、以後が辻褄の合わない話になります。岩波書店の選んだ反日左翼学者たちは、編集に際してなんの疑問も抱かなかったのでしょうか。
・中国や韓国から引揚げてきた日本語の全くわからない子供達に、日本語をどう教えるかという学校である。
最初の氏の説明は、こうでした。引き揚げという言葉を使えば、子供たちは日本人ということになります。辞書を調べますと、次のように書かれています。
・引き揚げとは、外国から本国へ帰ること。
・特に第二次世界大戦後、外地で生活していた人が内地に帰ったことを指す。
・博多、浦賀、舞鶴などが引き揚げ港として指定され、昭和21年末までに、500万人以上の人が引き揚げた。
母に連れられ、引き揚げの第一船で博多港に着いた私は、この500万人の一人でした。わずか3才でしたが、日本語のわからない幼児ではありませんでした。氏の話への違和感が、ためにする作為への怒りへ変わります。
・引き揚げの子どもたちは、自分のもう一つの故郷、中国や韓国を大切にする気持ちがとても強かったのである。
引き揚げて来た家族が日本人なら、子供だけがそんな気持ちになることはありません。もともと中国、韓国人の子供だから、そうなるのです。人生の貴重な時間を無駄にするというのは、氏の意見をわざわざ読む虚しさを指します。
・そこで、子供たちのもう一つの故郷の母国語を大切にし、中国語クラブを作ってみた。子供たちは、見違えるように生き生きとして来たのです。
・氏の体験ですから嘘ではないとしても、事実を省略した捏造です。捏造を土台にして、氏は大胆にも教育一般論につなげていきます。
・私は当初日本語学級の子供たちを、教え込む対象としてしか見ず、「 学ぶ側 」から授業を考えてこなかったことを、深く反省せざるを得なかった。
・日本の学校は総体で言うならば、「 学ぶところ 」 であるが、いつの頃からか、「教室」となってしまった。
・子供を教育の対象としてだけでなく、主体として捉え、子供が学ぶ場・学室と考えることの方が、より妥当性がある。今、このような発想の転換こそが求められている。
以上が結びの言葉ですが、昭和10年頃は、岩波書店と反日左翼の編者たちは、こんな悪書を日本で出版していたのです。
戸塚廉氏が試みた「子供が作る、子供中心の授業」が、とっくの昔に失敗したのはなぜか。「温故知新」の読書が教えてくれた事実を、忘れないことが大切です。極論は常に間違いますが、「子供が作る、子供中心の授業」も、その極論の一つです。
大人が指導せず子供に任せていると、子供は喜ぶでしょうが、それでは教育になりません。「子供たちが聞けば応えるが、正解は教えない。」「子供達自身で考える助けをするだけで、強制はしない。」・・・こう言う基本方針ですから、漢字も教えない、分数の計算も教えない、小数点についても生徒が質問しないと教えない。
このままでいくと、自分の子供たちは上の学校へ行けなくなる。他の子どもが知っていることも知らないままになれば、先々生きていく場所がなくなるのではないか。「子供の村」小学校では、通う子の親たちから苦情が寄せられるようになりました。
廃校になったり統合されたり、教育方針を転換したり、「子供の村」小学校は失敗しました。後にその一部は、無着成恭氏の「綴り方教室」に引き継がれ、大村はま氏の「単元学習」にも生かされましたが、教育の主流にはなりませんでした。
善本氏が得意らしく主張しても、「極論は所詮、極論」でしかありません。
《 主として政府の管理教育を告発・批判している人たち 》
この章で予定していた人物の5名が終わり、あと一人6人目の佐藤文隆氏だけとなりました。「貴重な時間の無駄」でも、佐藤氏の意見を紹介する必要があるかどうか。一休みして、考えます。