だらだら日記goo編

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兄弟逆転?

2007-11-12 00:21:01 | アート・文化

今回の展覧会カタログ冒頭には、河津蓬莱という人の光琳が兄で乾山が弟であるというのはまちがえで乾山こそ兄だとする説が紹介されている。

まあそれも仕方ないことかもしれない、浪費家の光琳は乾山からも借金をしたのである、その文書も今回展示されている。

ここのところ面白い展覧会が続く出光がまたまたやってくれた、「乾山の芸術と光琳」だ、乾山が仁和寺の近く鳴滝の地に窯をかかえたのは1699年のこと、しかし鳴滝の発掘調査はほとんどおこなわれておらず、2000-2005にかけてやっと本格的な調査が行われたという、今回の出光の展覧会はその発掘調査のお披露目でもある。

仁和寺といえば古来からの伝統ある地、乾山も王朝の美意識を持って作陶した、そのことは「色絵定家詠十二か月和歌花鳥図絵皿」などが伝えるところである。

しかし乾山の挑戦はそこにとどまらない、景徳鎮窯だのデルフト窯だの果てはベトナムの陶器も研究し尽くして乾山の作陶は営まれる、それはまことにアヴァンギャルドである。

さらに推理は続き、黄檗宗の開祖隠元が日本にもたらした「煎じ茶」を飲むための茶碗として乾山の半筒形の器は作られたのではないかとする。

実際乾山は若い頃黄檗宗の下で修業し、当時の大陸との最新のネットワークを誇る黄檗宗文化のもとでいまあげた海外の知識を吸収したとも考えられよう。

なかなか面白い推理ではある。

展示はいろいろと続き兄の光琳との合作やら晩年江戸にうつってもっぱら絵画に励んだ作品も展示される。

絵画作品もまたダイナミックで画面をはみ出すような勢いは陶器の絵付けにも感じられる。

言ってみれば乾山はこじんまりとまとまるタイプの芸術家ではないのである。

展示は陶器断片室にも及ぶが、これは発掘調査の成果発表という目的からいって正しい。

出光もすっかり変り、ビデオルームまで作って鑑賞を楽しめる。

こんな魅力的な展覧会なのにお客さんが少ないのはなぜ?

前回の仙がいの展覧会は大盛況でカタログも二回売り切れになったとききますのに?

雨降る寒い土曜日、お互いの誕生日も近いからとJuneさんとご一緒させていただいた。

素敵な展覧会と素敵なプレゼントをいただき大満足で家路に就いた。


府中市美術館トリビア

2007-11-08 21:49:44 | アート・文化

府中市美術館「キスリング」の展覧会に早く行かなければならない、今頃にしてチケットが入った。

ところで府中市美術館には美術館のシンボルとなる彫刻があるのをご存じだろうか。

そんなもの見たことないといわれる方がほとんどだろう、そのシンボル的彫刻は地下三メートルに及ぶ巨大なオブジェ「ディジー」なのだ!

そんなものが存在することは多摩美術大学美術館「若林奮DAISY」の展覧会に行くまで知らなかった。

いや展覧会は十個の彫刻と二百点のドローイングからなるもので説明も一切ないのでカタログを読んではじめてしったわけである。

若林奮については、多摩美術大に研究会があり「くるみの樹」という展覧会を以前やったし、世田谷美術館の常設展示でも若林の作品展をやったくらいしか知らない。

しかしDAISYというのは垂直を意識した作品というが、まさか府中市美術館玄関前に、地上にではなく地下に埋まった彫刻作品があるとはびっくりした!

今度行った時是非確かめたい。

若林の回顧展は豊田市美術館、川村記念美術館で大規模なものが数年前にあったというが

名前を記憶にとどめたい。

多摩美術大美術館は次の展覧会は福沢一郎だという、これまた楽しみだ。


日本の始原へ

2007-11-06 22:06:58 | アート・文化

一週間ほど体調不良で美術館から遠ざかっていた。

さて再開はどこからにするかと考えて、やはり岡本太郎にしようと川崎市岡本太郎美術館へ。

今の企画展示は「「藝術風土記」-岡本太郎が見た50年前の日本」だ。

岡本は1957年に「藝術新潮」連載のため日本各地を旅して写真をとった。

そのため他の仕事ができなくなってしまい、連載は未完に終わったというべきだが、岡本の写真を眺めるのはこれまた面白い。

岡本の写真の特徴は日本の原始性と、写真が図らずもひとつの日本文化論になっているところにあると思う。

岡本がまず取り上げたのは秋田だ、なぜならなまはげに魅せられたからだという。

そうかと思えば村上善男の推薦で岩手に行って「鹿踊り」を見て「すっかりうれしく」なる。

そしてこう推理する、これは縄文文化人が鹿肉を常食にしていたころからの儀礼的伝統でアイヌの熊祭りと同じだと。

こうなるとこれは岡本太郎独特の世界で常人にはついていけなくなる。

日本文化論というのはこうだ。

岡本は長崎で「恐るべき混乱」「空虚」さを見出す。

それを突き詰めていくと日本がヨーロッパの文化を吸収した「混乱」を思うのだ。

京都でもありきたりの神社仏閣をとりあげたりしない。

岡本の眼は「友禅」と「お茶」に注がれる。

そして日本文化の特徴を「抽象性」に求めるのだ、お茶の所作のような抽象化された営みこそ日本文化の良いところだと。

そのほか出雲にも行き、大阪へも行き、四国へも行った。

「武蔵野」は取材はしたがついぞかかれなかった、岡本の疲労も限界に達したのだ。

そしてこの連載が終わってから岡本は沖縄と出会う、何もないところの神聖さにぶつかるのだが、それはこの展覧会の範疇を超えている。