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指揮者のテンポ

2005-03-25 23:39:49 | 音楽
前から書こうと思っていて忘れていたことがある。
それは指揮者のテンポについてだ。
「偉大」と形容される指揮者はおおむね晩年になるとテンポが遅くなる。
ベーム、ショルティ、バーンスタイン、チュリビダッゲみなそうだ。
バーンスタインなどことにそうで、壮年期のはつらつとしたテンポの録音と聴き比べるとその変化は驚くばかりだ。
マーラー、チャイコフスキー、彼は敬愛する作曲家をたびたび録音したが晩年のそれには僕はついていけない。
チャイコフスキーの「悲槍」の最終楽章など晩年の録音は二十分以上かかっているのだ。
これを「思い入れたっぷり」とか「円熟」とか形容する人もいるが、音楽が流れないのだ。
僕の好きなベートーヴェンの第九でも第一楽章にこれらの巨匠は十八分以上かけている。
こうなってくると緊張感の問題になってしまう。
カラヤンは自分の第九が一枚に納まるようにとCD開発の際要望したというが、これらの巨匠の第九は全体で八十分、CDぎりぎりである。
そこでカラヤンだ。
僕がカラヤンを偉いと思うのはその音楽性、政治性はともかく晩年になってもテンポが弛緩しないことだ。
言い換えれば彼はごく早い時期に自身の音楽美学を作り上げて、それを晩年まで一貫させたといってよい。
彼の第九は壮年期でも晩年でも日本でのライブでもテンポもスタイルもほとんど変わらない。
変わるのと変わらないのとどちらがいいかは人さまざまだが、カラヤンの場合はスタジオ録音を好んだということもあろう。
バーンスタインは反対に晩年はほとんどライブだった、だから彼の音楽美学というよりそのときの心境がストレートに反映されたのだろう。
最近の指揮者は古楽器の演奏の影響を受けている。
アバドなどいい例で、そのため第九の演奏も以前よりテンポがはやくなっている。
そろそろ円熟期を迎える指揮者のテンポが速まっているとは面白い。
彼らが本当に自分の内面を吐露したい時期を迎えたら、テンポはどうなるか、興味深い話ではある。