だらだら日記goo編

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死者の目線で

2008-05-23 22:06:38 | インポート

この人は常に死を意識していたという、展示冒頭にこの画家が作らせたライフマスクがあるが、石膏から顔を出したこの人は死を予感させるような表情をしていたという。

何を生き急いでいたのかと思う、寒風吹きすさぶパリの街を絵の題材となる場所を求めては歩き回り、死神に取りつかれたかのようにせつせと描き、わずか30歳で夭折した悲劇の画家、佐伯裕三―その回顧展を横浜そごうに観にゆく。

あまりに悲劇的だからか佐伯についての研究はかなり進んでいるという、今回は大阪市立近代美術館建設準備室のコレクションを中心に展覧する。

佐伯はご存じのように二回渡仏した、日本へ一時帰国したのを「留学」と表現するなど、何か日本人とは思えない表現をする。

もともと裕福なお寺の住職のこどもとして生まれた佐伯だ、金には困らない、パリに行っても不自由はなかったという。

しかしその重苦しい表現はなんであろうか。

カタログにはルオーは絵画を何度も塗り重ねたのに対し、佐伯は下地を厚く塗ることで重厚感を出したとあるが、なぜそんなにまでして重苦しい表現にしたのか。

かって「日曜美術館30年展」で識者がパリの街は夏と冬とではその相貌を一変させる、佐伯は冬の街ばかり描いていたから重苦しいのだといっていたことを思い出すが、しかし今回展示される作品には秋の街もだいぶ含まれている。

そうなるとこれはやはり佐伯自体の性質というか、生と死の結界に立って世界をみつめていたということではあるまいか。

晩年ーといっても20代だが、制作に行き詰まりを感じてモランに移った佐伯、そこではもはや佐伯のトレードマークの広告は描かれない、佐伯としては珍しく青い空も広がっている。

佐伯は死ぬ直前知人に「黄色いレストラン」と「扉」こそ自分の最高傑作だと話したという。

「黄色いレストラン」も黒塗りの扉が描かれた作品だ。

では二つの作品の「扉」の向こう側には何があるのか、僕にはやはり生と死の結界に立っている佐伯の姿しか想像できない。


4 コメント

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こんばんは。横浜の展示をご覧になられたのですね... (はろるど)
2008-05-25 00:49:22
こんばんは。横浜の展示をご覧になられたのですね。ご指摘の「扉」は、私も生と死の結界のようなものを描いたのかなと思いました。

心象風景を見るに一番相応しい画家なのかもしれませんね。
佐伯の「目」が絵に良く現れているなと感じます。

p.s. 遅れましたがチケットをどうもありがとうございました。ヴラマンクまで入れていただいて恐縮です。早速近日中にもう一度行ってきます!
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こんにちは (遊行七恵)
2008-05-25 12:02:06
こんにちは
大阪市立近代美術館(仮)の佐伯コレクションは好きな作品が多いのですが、どうもわたしは『蟹』『人形』などの作品が意外なくらい、印象的でした。
つまり死ではなく佐伯の生を見たように思いました。
大阪にいると、そういう絵を描いたようです。
たぶん、大阪のナマヌルイ空気がそうさせたのでしょう。
小出楢重も、大阪ではそのナマヌルイ空気がジャマして芸術に向かない、ということを語っていましたが、実感があります。
大阪での生とパリでの死とを色々考えます。
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はろるどさん、遊行さんこんばんは。 (oki)
2008-05-25 22:44:34
はろるどさん、遊行さんこんばんは。
疲れているので返事は明日に。
今日は現代美術館「大岩オスカール、夢見る世界」に行ってきたのですが、「花」と思えるものが「爆煙」であったり、現代美術は意外性だと実感しました、うまくまとめられれば記事にします。
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改めまして今晩は。 (oki)
2008-05-26 22:23:51
改めまして今晩は。
佐伯は好き嫌いが観る人の目にはっきり分かれる画家でしょうね。
僕は好きではない、それは彼が自分の内面の暗い部分をはっきりと熟知していたからかな。
遊行さん、人形は展示されていました、裕福だから、骨董屋でみてパッと買ってしまうのですね。
大阪に佐伯はパリと似た雰囲気を感じていたようですよ。
東京の下落合では得られないビルの立ち並んだ重厚感を。
はろるどさん、はろるどさんも「扉」記事にされていましたね、やはり扉の向こうは冥界ですよね。
こちらこそ、戸栗ありがとうございました!
久しぶりに訪問します。
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